櫻井郁也ダンスブログ Dance and Art by Sakurai Ikuya/CROSS SECTION

◉新作ダンス公演2024年7/13〜14 ◉コンテンポラリーダンス、舞踏、オイリュトミー

断片2/20 (あるダンスシーンから、、、)

2020-02-20 | アート・音楽・その他

リリアナ・カヴァーニ監督の映画に、ダンサーがナチスに無理矢理踊らされるシーンがあって衝撃を受けたことがあった。

ホロコーストの渦中、殺されたくなければ踊れ、ということでそれは始まるのだが、ダンサーは強いられた踊りにも関わらずダンスを踊るほどに強く光り、対するナチの将校は踊りを見つめながら時に歓喜し時に打ちのめされたように溜め息を漏らす。

そのシーンに眼を凝らしながら、この異常な官能と不穏は一体なんなのかと、心が壊れそうになった記憶がある。

ショックなのに、なぜか魅かれ、それで、機会あるたび何回も観るうち、あるときから、ふと、もしかするとこれは「自由」なるものについて突き詰めたシーンなのではないか、と思うようになった。この荒涼としたダンスシーンを思い出すときなぜか、自由、という言葉のとてつもない広さを、同時に思うようになった。

近松門左衛門の人形文楽の惨劇を観る感じにも近い。サドの文学を読むときの感覚にも近い。宿命や抑圧や怒りや無念が、ある瞬間に振り切って、闇が逆に光を発し始めたり、逆境の中で存在が輝き始めたりする瞬間を、まのあたりにする感覚にも近い。

不条理とヒューマニズムとエロチックと怒りと悲しみと無力感と絶望と渇仰と、、、書き出せば切りがなく、言葉に書けば書くほどに混乱が生まれるような、無数の感情と感覚とがひしめき合っているような、だからこそ、生理的とも言えるような反応が、からだにこころに、湧く。

このシーンは何度観ても心の根っこに揺さぶりをかけてくる。なんだろう、この感覚は。と思い感じるまま、ふとまた思い出す。

 

(追伸:「自由」という言葉に引っかかるのはダンス創作の現場でも頻繁。活き活きと踊る、のびのびと踊る、心底から踊る、、、色んな言い方はあれど、踊る、というのは「自由精神」と不可分なのではないかと僕は思えて仕方がない。自由精神、フライガイスト。その規範があるわけではない。しかし人間は、心のどこかに自由を衝動しているにちがいない。自由の問題は、芸術を通過して、やがては教育や経済におよぶ問題に近づいてゆくのではないか、と、漠然とだが最近そう思うことがふえている。)

 

 

 


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