ロートル技術屋の日記

ドラマ「不適切にもほどがある」に共感するのは年配者だけ?

TBSで放送されているドラマ「不適切にもほどがある」を楽しく見ています。
(Netflixで地上波放送の数日後に配信されています。)
阿部サダヲさん演じる主人公が1986年(昭和61年)から現代にタイムスリップして昭和の常識と現代の常識の違いを面白おかしく比べています。
1986年といえば私が就職した年でこの年の終わり頃からバブル景気が始まりました。
また、男女雇用機会均等法が施行された年です。
それまでは同じ学歴でも男女間に初任給の差がありました。
昇格に関しては今でも男女格差が有りますが1986年以前よりは改善されていると思います。

このドラマを見て感じる事は今の世の中はタイトル通りではないかという事です。
私は〇〇ハラスメントという言葉で何でも片付けて良いものかと思っています。

昭和の終わり頃の常識がすべて良いとは思いません。
当時は今ならパワハラやセクハラで訴えられたら勝てるはずの無い事がまかり通っていました。
例えば当時の勤務先にあった研究所の所長は部下から「天皇」と呼ばれていて何かあると夜中でも呼び出しを受けるという話がありました。
時任三郎さんが出演していた栄養ドリンク剤リゲインの当時のコマーシャルでは「24時間働けますか。ビジネスマン」と歌っていました。
今では考えられないことです。

ただ、現在は余りにもハラスメントに敏感になり過ぎているように思います。
ハラスメントは受け取る側の感じ方で決まる事になります。
例えば言葉によるセクハラやパワハラの場合、同じ事を言われた時に自分が好意を抱いている人から言われた時は気にしないのに嫌悪感を抱いている人から言われた時はセクハラやパワハラと感じるという話があります。
触ったとか、暴力を振るわれたとか、高圧的に怒鳴られたとか第三者から見ても明らかにわかるものを除くとハラスメントと呼ばれるものには絶対的な基準が無いものが多く存在していると思われます。

本人にとってはとても辛い思いをしたということになるのでしょうが、ハラスメントとして訴えたことを何でもかんでもすべて認めていたらそれが個人の我儘な考えであったとしてもまかり通ってしまうことになります。

親からも怒られたことのないという社員が「叱って欲しかった」という場面がドラマの中で描かれていました。
バブル景気の頃に友達のような親子関係を望む親がいることをテレビで放送しているのを見たことがあります。
若い人達には怒られ慣れていない人が多いのも問題だと思います。

お付き合いのある大学の先生方は皆さん「すぐにハラスメントで訴えられてしまうから学生を怒れない」と嘆いておられました。
(以前も紹介したと思います。)
本人よりも保護者からの訴えが多いそうです。
大学にハラスメント問題の担当者がいるそうですが、外部との問題を大きくさせないようにという心理が働くため、先生側は不利になってしまうそうです。
「本人の為に」と行った行為で訴えられたのではたまったものではありませんね。
(中には本当にひどい事をしている先生もいるようなので訴える事が悪いと言うことではありません)

こんなふうに思うのは私が昭和の人間だからなのでしょう。
私の考え方に否定的な御意見も多々あると思います。
それでも、私は「ハラスメントに敏感になり過ぎているようでは良い世の中にはならない」と思っています。
ではどうすれば良いのかと問われると正直なところ具体的な案は持ち合わせていません。
一つだけ有るとしたら親が幼い子供の訴えを鵜呑みにしないことでしょうか。
子供の頃に何でも訴えたら通ってしまうという状況を認めてしまうのがいけないと思います。

以上、昭和の人間のたわごとでした。

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