水銀党本部執務室

冬月のブログです。水銀党本部の活動や、政治社会問題、日常の中で感じた事など様々なテーマで不定期に更新されております。

【福知山線脱線事故】司法は冷静な判断を

2012-01-09 19:48:44 | Weblog
私が勤務先で法務部に異動になったばかりの一昨年12月16日、関西大学社会安全学科が主催する「企業のクライシスマネジメント」をテーマにしたシンポジウムが丸ノ内であり、上司の指示で出席しました。
当時、他大学に先んじて創設したばかりだった「社会安全学科」を東京でPRし、加えて将来起こり得る首都圏直下型地震と津波のリスクを声高に主張して関西圏への首都機能移転を訴えたい関西大学の政治的思惑が色濃いシンポジウムで(今思えば数ヶ月後の大震災を予言するようでしたが)、各企業から私と同じ法務部署の人間がまばらに出席していました。そして、後の九州電力やらせ問題調査で一躍有名になった郷原信郎氏が(既に複数の有名不祥事の調査委員長を歴任し有名でしたが)、福知山線脱線事故を例にとりあげ、企業のコンプライアンス・危機管理の考え方について講演されるのを間近で拝聴しました。

郷原氏の講演は、コンプライアンス=法令遵守という企業側の常識は誤りだという、私達を驚かせる印象的な言葉から始まりました。
コンプライアンスとは、法令よりむしろ社会的要請、「社会が求めているもの」への対応として理解すべきだとし、その具体例として福知山線脱線事故で、JR西日本の経営陣が刑事責任を問われ起訴したケースが挙げられました。
郷原氏によれば、「はっきり言ってJR西日本に法令違反は無く、経営陣の起訴は無理筋」だというのが、法曹界主流の見解だそうです。

検察側は、事故現場カーブの半径を半分にした96年当時、業界では自動列車停止装置(ATS)の必要性が認識されていたという前提に立ち、 その上で
①現場のATS設置を怠り、ダイヤ改正で高速で走る列車を増やした
②工事完了直前にJR函館線で起きた類似事故が報告された
とし、現場を急カーブに付け替えた当時の安全対策責任者(鉄道本部長)だった被告の判断に過失があるとして、業務上過失致死傷罪でJR西日本の前社長を立件しています。

ですが事故当時、ATS設置に関する国の明確な基準はありませんでした。
また、事故が起きたのと同様のカーブはJR西日本管内に限らず全国に数千カ所もあり、その全てにATSが設置されているわけでは当然無く、さらに検察が論拠としている函館線事故の原因は居眠り運転で本件とは異なり、当時の被告が必要性を認識できなかったのが業務上過失致死傷罪に値する過失とするのは、客観的に見れば甚だ乱暴な論理です。

にも関わらず検察が前社長を起訴したのは、106人という多くの犠牲者を出し社会的な影響の大きかった事件であり、JR西日本が悪という世論が形成されているために、はじめからJR西日本トップの立件ありきだったわけです。

事故に対するマスコミの反応は、事故発生からわずか2時間後のJR西日本の緊急記者会見で、その時点でまだ事故原因を回答できないJR西日本に対し読売新聞の記者が「人が死んでんねんで!」「遺族の前で泣いたようなフリをして、心の中でベロ出しとるんやろ!」と罵声を浴びせたことに象徴されます。
事故と因果関係は何も無く法令上も問題の無いJR西日本社員のボーリング大会を槍玉に挙げたのを手始めに、マスコミはスクラムを組んでJR西日本をリンチにし、刑事罰を求める世論を形成しました。
郷原氏によればこれが法令を超えたところにある「社会的要請」であり、検察も裁判所も配慮せざるを得ない。
行政や司法が、「法令」で厳格なジャッジをしてくれる機関だというのは、こと日本においては幻想だというわけです。
従ってコンプライアンス=法令遵守だという考えを持っていると、不祥事が起きた際に足元をすくわれる。法令違反が無いのにマスコミのリンチを受けた事例として他に、「殺人エレベーター」のレッテルを貼られたシンドラー、
湯沸かし器のパロマなどがシンポジウムでは挙げられていました。
最後に、出席者からの質問の中で、「社会的要請」は抽象的過ぎて納得がいかないとの声が多く、郷原氏も結果責任となってしまう現状の問題点を認めていました。

シンポジウムの後、私も個人的に関心をもって本件の裁判の行方を見守ってきました。
神戸地検は裁判の冒頭、法廷で犠牲者106名全員の名前を読み上げてみせました。厳罰を求める被害者感情と世論を背景にした、裁判官への心理的なプレッシャーであることは明らかでした。

誤解が無いよう強調させて頂きますが、私は何の咎も無く通勤通学中に突然命を奪われた106名の犠牲者の無念と、その遺族、さらに負傷者とその家族の今日までの想像を絶する苦しみは決して片時も忘れてはならないと思います。私の親しい友人やその知り合いにも、福知山線を利用していた人はおり、決して他人事ではありません。他人事として、面白おかしく事故を論じたくてこの文章を書いているのではありません。「自分がもし被害者の側だったら」というマインドを忘れてはいけません。被害者の感情を理解しようと努力しなければいけません。
当然ですが、JR西日本の道義的・社会的責任は大変重く、会社の総力で償っていかなければならないと思います。これは、昨年の福島原発事故を起こした東京電力にも同じことがいえるでしょう。

ですがその一方で、大学で法律を学んだ端くれとして、この国の世論が時として法治国家として未成熟な様相を呈することを、私はとても残念に思うのです。

道義的な責任と、法的な責任は全く別次元のものです。
数年前、飲酒運転による事故で子どもが死んだ裁判では、法令・判例上の量刑の限界を超えた加害者の刑罰を求める声が圧倒的でした。
今は脱原発の嵐が吹き荒れ、東京電力をはじめ電力会社が社会から袋叩きにされています。
その一方で、厚生省高官OBの連続殺傷事件では、情状酌量の余地が無い狂気に満ちた犯罪であったにも関わらず、殺されたのが元官僚だから犯人を「義賊」だと正当化する主張がネット上にあふれかえっています。

かつてこの国の民衆は、5.15事件というテロリズムを正当化し、ようやく根付きかけていた議会制民主主義を滅ぼし、陸軍の増長を止めるどころか煽り、この国を自殺行為に等しい戦争に追いやった前科があります。

そして戦後は、「東京裁判」というどう見ても公正ではない戦勝国のリンチを唯々諾々と受け入れましたが、逆に言えばあの戦争について自らで自らを裁いたり反省したりすることはせずに、今日に至ります。

福知山線脱線事故の裁判は、明後日に地裁の判決です。
犠牲者、ご遺族、被害にあわれた全ての方への配慮は決して忘れてはならないものですが、同時に司法には、後に残す判例として適切な判決を下すよう期待し、見守りたいと思います。


【予見可能性の判断焦点=JR西前社長、11日に判決―福知山線脱線事故・神戸地裁】
2012年1月9日 時事通信
http://www.asahi.com/national/jiji/JJT201201090034.html
兵庫県尼崎市で2005年、乗客106人が死亡した福知山線脱線事故で、業務上過失致死傷罪に問われたJR西日本前社長山崎正夫被告(68)の判決が11日、神戸地裁である。検察側は被告が唯一、事故の危険性を予見し対策を取れる立場にあったと主張。弁護側は実情から掛け離れた無理難題の押し付けで無罪と訴えた。JR史上最悪の事故に対する会社幹部の刑事責任を、判決がどう判断するか注目される。
 事故は運転士(死亡)がブレーキをかけず、制限時速を大幅に超えカーブに進入して起きた。主な争点は、カーブ半径を半分にする工事をした1996年から約1年半、鉄道本部長だった被告に▽危険性の認識と事故の予見可能性があったか▽脱線防止のため自動列車停止装置(ATS)を設置する義務があったか―の2点。 

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