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鼓曲萬来

もどき

奉納演奏とは厳粛、厳かに捧げるといったものより
参集者、演奏者共に一つとなって楽しむという事が
別の意味で重要であると述べさせて頂いたが
その場合、神も又、一つの形態として参集の庭に降臨する
そんな事も神楽の歴史の中には脈々と受け継がれているのだ
 
勿論、神が直接降臨するといっ事は稀だが
それは「もどき」という形で突如として演奏の場に出現する
もどきとは「もどく」という言葉の転で
一般的には似て非なるもの、代用品といった
あまり感じの良い使われ方はされないのだが
 
たとえば「がんもどき」なんて食品もあるが
あれは文字通り、雁の肉に近いところから代替品としての
一段下がった意味を込めての表現でもある
 
しかし太鼓の演奏に関してのもどき
即ち演奏中に突如として現れる
おかめ、ひょっとこ、狐といった仮面を被った「もどき」に関して申せば
これは神世界の住人の代替品であるとか
神の仕草を面白可笑しく真似をする、といった認識だけではなく
時には神を批評し、或るときは批判し
愚弄するまでの特権、権利を有する事もあるのだ
勿論神は寛大な心でそれをも大きく受け入れて
その状況を楽しんで頂けるからこそ神でもあるのだが
 
従って我が国における「もどき」とは通常の妖精であるとか
妖怪、物の怪といったものとは性格、趣を異にするものである
 
ではその本体はいかなるものであるかという事なのだが
ここに一つの重要な手掛かりがある
 
滑稽な仕草で舞い踊るおかめやひょっとこ
あるいは盆踊り、おしなべて我が国の踊り、舞踊には
或る一つの共通した動き、仕草が見てとれる
それはどういった動きであるかといえば
 
片方の手を前方にまっすぐ出し
もう片方の手を折り曲げて、手のひらを自らに向けるという仕草である
これを交互に繰り返し、音曲に合わせて身体を動かして行くというそれである
 
これは何を意味するかというと
つまり伸ばした手で自らの行く先、進む道を示し
顔の前にかざした手のひらを鏡にみたて、過去現在未来を映し
力強く生まれ変わって、生きて行くといった
人間の生への決意といったものを表したものでもあるのだ
 
また、当然踊りには物語があり、その展開も様々でもあるが
ごく初期のひょっとこ踊りとは次のようなものであったという
 
ひょうすけ(ひょっとこ)はオカメと子宝が授かるように
二人でお稲荷さんへ願掛けに行く
ところがこともあろうに、神様であるお稲荷さんがオカメに一目惚れしてしまうのだww
オカメもなんとまんざらでも無い様子
すわ、こいつは一大事とひょうすけは村の男達と協力しておかめの気持ちを
お稲荷さんから取り戻すといった
まあ、なんと人間臭い物語であろうか
 
つまり「もどき」の本体は人間社会のあらゆる生へのエネルギーであり
喜怒哀楽の想いの変異、凝固と捉える事が大事ではないかと思われるのだ。


 

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