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鼓曲萬来

加藤和彦平胴大太鼓

本日は加藤和彦さんの命日
御所有だった平胴大太鼓は
縁あって私どもの所に
海外の時には重宝して使わせて頂いております
改めて感謝をば

平太鼓と申しますのは通常の大太鼓より
奥行きが細くなっておりまして
若干運搬等に便利なところから
よく海外渡航の舞台等に使用されるのであります

そして何故「加藤太鼓」と呼称されるのかといえば
この太鼓は生前、あの
フォーククルセダーズ、サディスティックミカバンドの
加藤和彦さんが所有していた事から
そう呼ばれておる訳でおりまして

何故に加藤さんは和太鼓に
興味をお持ちになられていたそうですが
しかし、あのように、お亡くなりになられて...

その後、主無き、行き場を無くした太鼓でしたが
加藤さんの関係者が我々の昔からの知り合いという事もあって
その方を通して我々のスタジオに
様々な縁あって持ち込まれた次第であります

村八分を京都でスタートさせた時
チャー坊の相談する相手は
意外と思われるかもしれないけど
決まってはしださんか加藤さんだったんです
同じ京都という事もあったんでしょうか
そんな縁もあったのかもしれないですね

私は楽器というものは
確かに楽器以外の何物でもないのですが
その持ち主の心であるとか
思いというものが込められ
その方の分身とも言える様な
いや、其の方自身であるとも思う事があります

加藤さんが畑違いとも思われる和太鼓を通して
又この平太鼓を通して
一体どのような音を作り
どのようなメッセージを発したかったのか
それは今となっては解りかねますが

我々が思い描く加藤さんのイメージは
いつも柔和で暖かい笑顔
そして広く海外に迄目を向けた
センスのある音作り

不思議なもので
その思いというものは
この平胴太鼓に込められ
私どもの使用する他の太鼓とは
音も、受ける印象も異なる気も致します

重量の関係で大太鼓の代わりに
海外での演奏によく使われるこの「加藤太鼓」
きっとそこにも加藤さんの
和太鼓に向けた思いがこめられているのかなとも...

これからも
その思いをしっかりと受け止めるべく
この太鼓、打ち続けてまいります

コロナ禍になって渡航困難になりましたが
その前の最後の海外演奏は
加藤さんの太鼓と共に
ルーマニアブカレストそしてブルガリア
流石親日国、そしてチャウシェスク政権を倒した熱き心
盛り上がりが半端ありませんでした


ブルガリアのリラの僧院にて
まるでドラゴンクエストの世界に入り込んだようでした



R.I.P.加藤和彦

萬来

# 鼓絆和太鼓奏者養成塾からのお知らせ

和太鼓を演奏してもう長い時間が経ちました
日本国内に留まらず諸外国にも演奏に参りました
実際にその年月は40年と言う長さでしょうか

もともと御諏訪太鼓の持つ流れと申しましょうか
なかなか限られた領域以外での演奏には目に見えない
障壁もありましたが
広く外に出て演奏を伝えていって欲しいという
宗匠故小口大八の意を受けまして
鼓絆を結成したのが1995年
以来西野恵と共に演奏を続けてまいりました

そして未来にその演奏を伝えるべく
鼓絆和太鼓奏者養成塾として弟子たちに指導してまいりました
もう弟子たちも立派に演奏できる水準にも達しましたし
以前より私や西野の体調、年齢も考慮致しまして
講義以外の実働に関して弟子たちの何名かに引き継がせて行こうという
そういった案も出ておりましたが

今回話し合ってその任を任せる事に相成った次第です
勿論講義や演奏には引き続き相務めますが
公演依頼や、演奏会或いはスケジュール等の実働に関しましては
弟子の数名が連帯して受け継いでいってもらうという事です

色々と窓口は事務所、或いは西野、私となっておりましたが
これからはその者達が執り行うという事ですので
連絡等はそちらへ直接お願いする次第です
順次その体勢の連絡先等を発表してまいりますが
とり急ぎ御報告迄

といっても長年我々がやって来た事を全部という任は難しいかもしれません
細々した公演内容から折衝 楽器、運搬、告知、撤収、ギャランテイに至るまで
最終の決定権が我々にあったところから引き継ぐ訳ですから
それはかなり戸惑う事もあるかもしれませんが
我々も影に協力しながら養成塾の更なる発展を願う次第です
師の意思を引き継ぐべく更なる精進を期待致しまして

平成5年吉祥日
萬来

という事で清々しく迎えられる皐月の朝
数ヶ月後のうだるような朝を考えますと
この時期は貴重ですね
外に出て足腰を動かしつつ
皆様もどうぞ良い一日を   乙 
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