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鼓曲萬来

THIS IS MY BAG 10(ハニー・ラントリー&ミーガン・デイヴィス)

小中高校生の頃に影響を受けた音楽について
書いておりますThis is my bagでありますが
今回は10回目と相成りました次第です

#ハニーラントリー

そうですね。あれは1964,5年の頃でしょうか
中学1,2年って頃だったと思いますわ

もう其の頃は所謂マージービート
ビートルズを中心に
リバプールサウンド全盛と言われていた時代でしたから
わが国のGSなんかもようやくその原型が作られていた時期でしょうかね

まあ、自分もドラムの真似事を始めた頃でして
クラスの中には同好の士も何人かおりまして
やれビートルズだホリーズだと
教室の中で少数でしたがかなりの話題で盛り上がっておりました

そんな仲間の一人に変わった奴がおりまして
リヴァプールでもペイスメーカースや
トトナムのデイブクラーク5が好きという
ちょっとうるさ型の男でして
安易にビートルズとは言わない妙な奴でしたけど

そいつがある時こう言ってきたんですわ
「お前ドラムやってんならハニーカムズ知ってっだろ?」と
いや前にも申しましたが叔父からレコードは貰ってましたので
基本東芝から出ているバンドが多かった訳で
大体がキャピタル、オデオン、リバテイといった
そんなレーベルの所属アーティストだったもので
ちょっと知らないと申しますと
「え~、知らねえのかよ~!ドラム女の子だぜ!」

「えっ...本当かよ、ちゃんと叩けんのかよ?」
今ならそういう発言はコンプライアンス的にNGでしょうが
もう今では女性ドラマーだろうがベーシストもギタリストも当たり前で
別段驚いたりはもうしないですけど
当時はそれ位女性のドラマーなんて想像外だった訳です

「それ聞いてみたいな
どんな感じなんだよ
明日持って来て貸してくれよ」
そう言って承諾も得て楽しみに次の日を待ったんですわ

いや、リンゴスターもチャーリーワッツもデイブクラークも当時バリバリ
どうせ女の子のドラマーなんて所詮人気取りに入れたんだろうし
たいした事はないんじゃないかな
あまり期待しないでおこう
まあ当然そんな風に思って翌日を迎えた訳です

で、翌日奴がカバンの中から取り出したのが此れですわ



嘘だろ それもドラマー
実を言うと女性ドラマーと聞いて別のイメージを持っていた訳で 
ルックス迄とは正直期待しておりませんでした

まあ、其のときの気持ちを表すとですね 
月並みで申し訳無いんですが
「ズキュウ~ン!」って言うんですかね 
ハート幾つあっても足りませんわ
此れ位付けときゃ良いでしょうかね



当然其の頃はユーチューブとか映像とか有りませんでしたから
確認の仕様もありませんでしたけど
後年になって動く絵も拝見しましたが
其の初見時点ではもう頭の中で中二少年は
勝手に想像して頭の中で膨らんでおりました

で、早速家で音も聞かせて貰いまして
オーッという感じでしたね
のっけのギターからあのジョンミークプロデュースの
トーネイドス テルスター風でスペースチックなりヴァーブ音
EMIやデッカの音に慣れていたもので新鮮に響きまして
どうせ....とか言う気持ちも其の途端どこかに吹き飛んでおりました
ドラムの音圧も思ったより全然ありましたし

レーベルもPYEなんていう
キンクス、サーチャーズなんてバントを有する
ちょっと当時のリバプールサウンドとは毛色の変わった
そんなレーベルからのデヴュー

なにより、まずこの跳ねるようなリズムはその時初めて聞いた訳でして
ビートルスともストーンズともなんか違う独特な
4ビートでもシャッフルでも無い なんて表現したら良いんでしょうね

スネアがタンタンタンタンと四つ打ち
ハイハットがチキチキチキチキと跳ねる感じ
で、タンバリンがズンズタッカズンズタッという
シャッフルブギとも言うんでしょうかね
もうこういうリズムパターンは最近聞かなくなりましたね
後年一時グッとテンポ落としてスネアにコンプかけて
ゲイリーグリッターで久しぶりにカムバックしたリズムパターン
グラムロックの頃には全盛の音になりました

それから暫くの間リンゴやチャーリーを忘れて
ハニーラントリーの跳ねるドラムフレーズの
コピーの日々を過ごした訳です

"Have I The Right" The Honeycombs (My Extended Perc Remix) 

性格上一旦気に入ってしまうと
もう全てが良いという気持ちになってしまうんですよね
で、まあ....それからも何曲かヒットを出しつつ
そんな中 ハニーカムズは来日したんですよ
当然見に行きましたわ

まあ、その時の事は
なんて言いましょうかね.......
当然当時の音楽界の音の進歩はかなり早くそして激しかったですし
私自身もそれまでに色々なドラマーを見て
技術のレヴェルも少し解って来ておりましたし
まあルックスを含めましてそのLIVEの音の事は置いとく事としましょう
まさかロンドンのバンドが
ワイプアウトやるとは思いませんでしたもの

ちなみに後でわかったんですが 
このシングルジャケット
ズキューんと来たのは確かに良いんですが
発売元のミスで
A面とB面が逆さに印刷されているという
いわく付きのシングルだったそうです

いや、それはそれとして
ハニーカムズはこの曲で全英一位
アメリカでも全米五位に入る大ヒットだったそうで
その余勢をかって国内のみならず
海外公演も積極的に行っていたようですね

その流れでの日本公演だったんでしょう
来日時にコロンビアのスタジオで
「ラブイントーキョー」なんてシングルもレコーディングしておりましたし
この時の公演の模様はLIVE IN TOKYOとしてリリースされております

あのリヴァプールバンド全盛の時代
ビートルズのハードデイズナイトじゃないですけれど
きっと男性社会、バンド世界の中で
女性として多忙な日々を送っていたんでしょうね



多くの女性ミュージシャンは
改めてこの方に敬意を払って頂きたいなと
そう思う訳であります
ハニーラントリー 最後まで現役のドラマーとして
75歳でお亡くなりになったと聞きました

I Can't Stop (45 Version)


#ミーガン・デイヴィス

当時はハニーラントリー孤軍奮闘と思っておりましたが
これは後年になって解った事なんですが
64,5年辺り つまりハニーカムズと同時期に
もう一人女性のプレイヤーがいた事を知った訳で

しかし其の頃日本にはこのバンド
紹介されていたんですかね
少なくとも私のところには情報は届いておりませんでした
アップルジャックス
其のバンドのベーシストも又女性のプレイヤーでした

THE APPLEJACKS - Like Dreamers Do 

名前はミーガン・デイヴィス
しかもこの曲作詞作曲はかのレノン・マッカートニー
名前からも解るように
あのキンクス
レイとデイブのデイヴィス兄弟の妹さんだったそうで
恵まれた環境の中での活躍だったんでしょうね

という事で本日は女性プレイヤーの話でありましたが
ガールスグループだのラナウエイズとかバングルス等の
登場するずっとずっと前の話
間違いなくカレンカーペンターもまだまだずっと先の話
今は当たり前のこの状況も
こういった方々の存在あっての事と
改めて認識したと共に
気持ちは妄想真っ只中の中二時代へと
戻らせて頂いた次第です 乙

Honey Lantree | What Was It Like Being a Female Drummer in 1964? 


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