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鼓曲萬来

神楽の系譜

和太鼓の演奏に関して、やはり神楽の認識が大切でございますが
わが国に於いての太鼓の歴史を考えるに当たっては
その発祥面にも留意しなくてはなりません
 
さてわが国に於ける太鼓の歴史のそれは文献等によると、
どうも楽器としてのそれよりも神具、
あるいは呪詛の道具としての一面が強かったように思われます
 
神楽は神座(かむくら)の転でササとも申しまして
おそらく巫女の打ち鳴らす鈴の音をもってかく読ませたと推測されますが
 
神楽は強力な霊魂である神を上座に勧頂し、鎮魂の祈祷をなし、
神の託宣を聞く神事にその起原を持ち

宮中では太陽や光がその力を失う冬至の頃に
鎮魂と活力を頂く儀式を行ったと文献には示されております


さて、その託宣の庭には憑座を囃す者、
憑座に神が降臨した時にこれに対して物を問う者、
神の降臨を願う各々の者がその役割を果たして行ったわけですが
特にこの最後の者を即ち神の言葉をわかり易く訳し伝える者を
審判者(さにわ)と呼び、
奈良時代あたりからこの役は太鼓打ちが務める事と定められて行ったそうです
 
おそらく、太鼓を打つその態や、音色、繰り出される音量等をもって
その年の吉凶、あるいは予言に至る迄、様々な事が神座に降臨する様子を持って
決められていった事は容易に想像出来る処でもあります。


その後、神楽は平安、室町、戦国の世、とその形を変化させて行く事となりますが
この神事に関わるもの、宮中に於ける行事等の神楽を里神楽と呼び、
現代に繋がり宮中、神社仏閣に於いて
その勤めを遺憾なく発揮させていく事となってまいりました


さて江戸時代に入ると、この神楽は民衆の中に広がっていく事となってまいりました

勿論神事としての神楽の役割は薄れ、大衆、民衆の娯楽、
エンターティメントとしての面が強くなって行くのは当然と考えられますが

此処に到り神楽は神憑かりから神のドラマとしてのあり方、
即ち神への奉納の色合いが強くなって行く訳でございます
 
それはおかめ、ひょっとこ、即ちもどきの出現を持って完成されていくのですが
それ等は里神楽の代りという意味を込めて代々神楽、太神楽と呼ばれて参りました
 
もどきは(もどく、神の仕種をオカシミを持って真似する)から来ており
更には中には神を批判批評という形を持つもの現われていく事となりまして

太神楽は仮面劇の面が強調され民衆の中に浸透し、
今日、神楽のイメージはこの時期の神楽という面が
殆どの認識として我が国に於いて定着していく事となっていくのでございます


しかし現代においてもこの神楽の原点、神の代弁者、審判者としての里神楽は、
表面にこそ出てはこないが、綿々と
神事の在り方として受け継がれているのは言うまでもございません
 
 神楽殿にて

 


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