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鼓曲萬来

ひらけポンキッキーズたいやきハーツクラブバンド

ハルヲフォンをやめて四人囃子のメンバーと
キャニオンレコードでPEGMOというバンドをやっていたのは
1980年代の事ですが
その頃の事はこのBLOGにも書いてあるのでそれを読んで貰うとして
 
当時そのバンド活動と平行して新たに子供たちに向けて
ひらけポンキッキとかの仕事も
あの「タイヤキビル」なる、キャニオン一口坂スタジオに於いて
演奏していた訳でして
 
当然その頃の作品に触れたちびっこ達は
現在40代50代
何というか、後世の為に←大袈裟ではありますが
紹介しておこうかとも
 
ということで......まずこれからですな、やはり
「SOSペンペンコンピューター」なる
知ってるでしょ此れ、....82,3年当時のヘビーローテーション
 

SOSペンペンコンピュータ (Perfect Ver) 

 

まあこの曲当時のテクノポップ大全集とかには

必ず取り上げられる楽曲ではございますが

此れ実は歌っておるのは私でございまして.....ww

 

まあなんていうか村八分、ハルヲフォンといわば

日本のロック王道から、ガチャピン、ムックと同じ世界へと足を踏み入れた

ある種の覚悟と決意を含んだ最初の作品ではありましたww

 

当時寝坊して慌てて学校へ走って行ったあの時代の子供達には

懐かしく、涙もんの一曲であろうかとも思います

 

で、次はこれ

これはハルヲフォンでベースを弾いていた

そして今も活躍中で一緒に演奏している高木英一の歌で

「水中サーカス」

 

Myポンキッキーズ すいちゅうサーカス

 
あの名盤「電撃的東京」の「きりきり舞い」を彷彿とさせる
歌声は今も健在でございます
 
まあ、これ以外にも私の歌った「アップルパイツアー」ですとか
高木が歌った「カナダ生まれのケペック爺さん」とか
アルバムになってる音源等もどなたかが所有していると思われます
 
で、先日どなたかがyoutubeの方に
PEGMOの1st、2ndアルバムを全曲UPしてくださいましたが
CD化も未だ侭ならぬ曰く付きの作品
何故かと申しますと、当時
まだデジタル化も充分に進まず
CD出現の前の時代
丁度移行中間時期のPCMなんて半アナログマスター
再生不可能状態
全世紀のジェラシックパーク然の
貴重な資料とさえ言われる状態ではあります
 
そのPEGMOはメンバー6人中4人までが
私と西野の和太鼓チーム「鼓絆」で今も一緒に演奏しております
 

という事で、何故こんな事を書いているのかと申しますと

学校が休校になった子供たちに限らず

コロナウイルスで世間の閉塞感は尋常じゃありません

自粛ムードもついに文化方面にも及んでまいりましたし

 

まあ、そんな中で70に近い爺ちゃんとしましては

前の記事でも書いた如く

当時の子供達に全力でぶつかっていった

少しでも喜んでもらおうという

その気持ちだけはなんとか伝えようかとも思いまして

 

しかしながらyoutubeの懐かしい等のコメント等を読みますと

ああ、あの時の仕事は子供たちの少しでも役にたったんだなと

自分自身も何かこの歳になりまして

反対にエネルギーを頂いている次第です

 

という事で

現状ではウイルス蔓延の空気中

そうもいかないのは重々承知ではありますが

気持ちだけでも元気に

胸一杯に大きく息を吸い込んで貰って

アチョー!と

名付けて「ひらけポンキッキーズたいやきハーツクラブバンド」

これにてお開きとさせて頂きます

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