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鼓曲萬来

ぎこちない季節(改)

60年代から70年代に入る頃に
村八分そしてブラインドバード
70年代中盤から近田春夫&ハルヲフォン
そして80年代にPEGMOで過ごしました後
80年代の中盤から90年代にかけて
実になんというか

私にとってはミッシングリンクと言うか
ぎこちない季節というか
若い頃から殆どバンド生活しかしてこなかった自分に
又別の生き方というか色々と学ばせて頂いたというか
はっきり言って苦闘のハィウエィが訪れた訳です

自分であって自分でないようなそんな時期の話
ロックバンドという形式に一旦区切りを付けて
其の後には和太鼓で海外演奏しながら
やがて鼓絆を結成していく訳ですが
丁度そのエアポケットといった時期でしたが
結構忙しく 三つほどやる事が重なっていたんですわ

一つは人間国宝藤舎呂船にお稽古を付けて貰うため
午前中にお宅に伺って締め太鼓の練習
と同時に和太鼓で仲間達と国立劇場 
そしてハワイ、サンフランシスコに演奏旅行
これは国内の音楽業界しか知らなかった自分に
何か新しい世界、価値観をもたらして貰いました

そして二つ目は
夜、六本木のスーパースターで毎晩の演奏
生活していく為にはやはり安定した仕事に就かねばなりませんでしょ
ここは我々より一つ二つ上の世代の方達との演奏
ロカビリーとかGSの時代の方々と案外楽しく毎晩を過ごしておりました

この二つはいわばどちらも楽器を演奏するという
言わば以前の延長線上でもありますし
それまでの経験もあって別にストレスも抱えずに
まあ、反対に言えば
自分一人の責任で言われた事さえやっていれば良い訳で
スーパースターから引き抜かれてケントス関連の
GS専門店カーニバルのバンマス等で
結構良い待遇も頂いておりました

で、まさに今日の表題「ぎこちない季節」なんですが
自分の周りにいつもいてくれた
マネ-ジャー、事務所、スタッフの方々
そんな仕事を自分がやる事になってしまった訳で
いや、到底自分に務まる訳ないのは解っておりましたが
能力も経験も、スキル0レヴェルに向かう事になっちまったんですわ
それが三つ目

スーパースターに直々トラでギターを弾きに来る面谷という奴と
これもギタリストの矢萩と3人で
目黒の碑文谷に小さな有限会社を設立したんですわ
事務所名は恒田(T)、面谷(O)、矢萩(Y)の頭文字をとってトイズオフィス
まあ..もう思うからに上手く行きそうもないだろうな...と思われるでしょうが...
その通りです(笑)。

で、どんな内容の事をやっていたか..と申しますと..
ア-ティストを一人抱えた訳で
どういういきさつかと申しますと..そのギターの奴が、
「彼女は良い!」..と常々申してまして..
それならそのアーティスト 事務所作ってやってみる?という話が進みまして..
早速その鹿児島のお嬢様のデモテープ制作に入って行った訳ですわ

で、そのアーティストは誰かと申しますと辛島美登里女史で、
(サイレントイヴですか)
 
まあ..どうも..此の手は..(笑)..
もう根本的に畑違いでしたけど
事務所も開いたばかりですし 頑張らねばなりません
従って頭を下げてデモテープを持って各レコードメーカーに訪れる訳ですが..
当然知り合いのDやPでございますので..
「おっ久し振りですな..
今度はどんな感じでやられるんです?」って話になってしまう訳です..
つまり、僕が自分のデモを持って来てるのかなと誤解しているのは見え見えで..
「いやそうじゃ..なくて..実は....」と手間が掛かる訳です..説明も。
 
まあ..僕が持って来る..アーテイストですから..イメージも..
で、やはりびっくりする訳です、「ど..どうしたんですか...かなり普通の..」...って(笑)
デヴィットフォスター、エンヤ、小田和正ですものw

最初のうちはどこも体よく断られたと言うか..、まあ..そうですよね
それまでの感じから言うとまじか?ってサウンドですもの
しかし、何故か彼女の作る曲と声、歌は..私は気にいってまして..
つまりですな..僕が回るから..駄目なのかな..と、正直ちょっとへこみましたわ
 
辛島さんは作曲の能力もございましたので、永井真里子等にも曲を提供して、
その流れで、ファンハウスからアルバムをリリースして行く訳で、
その後の彼女の活躍は御存知かと思いますので(笑)

で、当然、彼女のLIVEに各所帯同してまいりました
私のバンド時代、スタッフの方々の苦労はいかばかりだったのか
その時少しは理解させて頂いた訳で....

で、1枚目、2枚目迄は事務所で対処したんですが
辛島さんのプロモーション、サウンドの面は面谷が主に担当しておりました
彼は本当に頑張りました
しかし、まあ、業界の方ならお解かりと思いますが
つまり業界のシステムとしては、つまり或程度の規模になってくると
3人位の小さな事務所では対応出来なくなってくる訳です..
まあ資本主義社会の鉄則ですね(笑).

そんな訳で辛島さんはサイレントイブでブレイクして
事務所も替わってまいりました
こちらにその経歴が載っておりますので
いきさつは想像におまかせ致します

辛島美登里




Silent Eve -サイレント・イブ - 

いや、簡単に事務所移ってと一行位の事ですが
まあ、世間的にはその一行で済む訳ですが
結構自分にとっては気持ち複雑でそれなりに
精神的にも厳しい時期を過ごしておりました

で、若干空虚な喪失感を感じつつも
和太鼓の練習と毎夜の演奏に没頭しておりました
(その頃はもう和太鼓のチームは色々な処で活動もしていた訳で)、
その仲間の一人に田中博信という青年がいたんですね
..
彼は前にNECアヴェニューから1枚アルバムをリリースしていた事があって、
仲間内には本職はシンガーソングライターと言う事で紹介されてたんですけど、
そんな彼から相談があって
「今度COSMO石油のCMが決まって..NECから東芝EMIに移籍するんですが..
マネージメントお願いできませんでしょうか?」との話でした

まあ..前の辛島の時もそうだったけれど..
無理!第一私には向いておりませんもの
それに余りにも彼は素直で好青年過ぎますもの
.それは解っておりましたが.
まあ..大事な演奏仲間ですしね
当分の間なら、と引き受けた訳です

そんな訳でEMIと少しずつ作業に入ってまいりました
しかし彼が所属してた前の事務所が急にクレームを入れてきまして
それは本人もよく理解してなかったんでしょうね
契約期間が契約上知らないところで若干少しまだ残ってたみたいで
それに何か美味しそうに思ったんでしょうね
もう数年 彼の事は何もしていなかったのに
まさにそれは晴天の霹靂 マジか!芸能界
最初の仕事がこれですもの

かなりすったもんだしましたが 
会社の法務と何度も相談し
其の時は始めて叔父の業界でのネットワークも借りてしまいましたが
無事にその事も解決しまして
田中は東芝EMIでレコーディングに入ってまいりました..

いや~東芝EMIですか、私にとってはまあ縁遠からぬと申しましょうか..
此の会社に於いて、つまり前にも書きましたが、
叔父の伝説はまだ根強く残ってまして..
勿論現場の若いディレクター等はそんな事は知らずもがなでしょうが、
上層部においては「あのNさんの、甥っ子の手掛ける」って事で、
社内会議等も上層部総出で、一種の緊張感もございましたが..
お生憎様で、私にはとてもそんな才覚はございませんです
 
で、田中博信は東芝EMIより、アルバム「アクアリウム」
シングル「ぎこちない季節」「この雨は許そう」をリリースしていきました
(御存知の方もいらっしゃるかも知れません
「あの、小さな、熱帯魚を鎖骨のくぼみで泳がせる~」ってフレーズが印象的な歌でした

ぎこちない季節

まあ、このアルバム
自分としてはかなり良い内容で満足しているんですが
もし機会があったら聞いてみて下さい
ズバリ感じとしてはスティーブンスティルス&マナサス!
ドブロギタースタイルO,そしてC&W、
ステイールギター(村中君どうしてるかな)
そしてテックスメックス!
って、なんでそんな感じにしようと思ったかは
今となっては......わかりませんw

で、このアルバム後
ライブ活動の為に合宿に入ったり
彼のバンドの為にドラムを演奏していましたが
最初の約束通り 2枚目の制作前に
この仕事を終えて
鼓絆の結成に向かって参りました

はからずも鼓絆結成時には此の田中博信も
メンバーに加わって行く事になる訳ですが
 田中は太鼓奏者として数十年一緒に演奏したけれど
身体の事もあり鼓絆を抜けて、「これからどうするんだ」と聞いたら
「無名のアイドル達の音楽監督になる」ということで
秋葉原方面に行くと言うんですね
それから10年、AKB48は日本一のアイドルグループとなった次第で
その田中博信は現在もAKBの音楽プロデューサーとして第一線で頑張っている
 
業界ではレコーディングのやり方も「田中博信方式」と評価も有るそうで
おそらく、もう毎日、スタジオに缶詰め状態なんだろうな.....
巷に溢れる音を聞くたびにいつも思うのだが
この曲もあの曲も
博信が歌の指導や音源を作っているんだろうなと
本当に先は予測できないもんなんですわ
ロックンロールの神って奴は........

夏空のパイロット

という事で年齢的には40歳からの時期
この時期には自分的には色々な事があったし
それまでのバンド一辺倒な毎日から
大きなターニングポイントを迎えた頃

一旦それまでの自分から将来どうして行こうかと
模索していた時代
懐かしくもあり又同時に不安と焦りで
心も揺れ動いた時期

今になって振り返ってみると
ちょっぴり心が痛み
同時に懐かしさも湧き上がる
投げやりな気分にもなって一からやり直そうなんて
なんか....本当に「ぎこちない季節」でした
長い人生にはそんな時期もあるんですわ
いや勿論その後も色々な事があるんですけどね 乙

シャボテン&ベッド
 


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