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鼓曲萬来

Rock'nRoll My Way ⑯ PEGMO2

60年代、70年代は心の底から音楽で世界は変わると思ってたんだ
いや、ほんと.....
世の中の不条理や、あいも変わらぬ政治腐敗、偏見、差別、格差
 
それでも、大メジャーなバンドや大スターに比べれば
影響力は小さいのかもしれないけれど
俺達のロックンロールは確かにこの国の若い奴らの
行動や思考の触媒、感性のエネルギーになるとは思っていたんだ
いや.....ほんと
近田はロックンロールって奴は「アマチュアがプロに勝つ事」と定義付けていたけど
確かになんの力も持たない自分たちでも
何か出来るんじゃないか

そんな気持にさせる何かを確かに自分たちも、そして時代も持っていたし
60年代や70年代はそういった戦う敵の姿も見えやすかった
実際、村八分やハルヲフォンの時は
戦う相手の構造も見えたし
 
体制派と反体制派とでも表現しようか
常に自分たちはどんな時でも社会的マイノリティーの立場で
音楽を作って来たつもりではいたんだけど
 
しかし、80年代に入ると自分たちは
その構造自体が見えにくくなったというか
社会全体や自らの生活が以前よりもちょっと裕福になったというか
友達の当時の革命闘士達も社会の歯車に飲み込まれ
失う事の怖さを感じる年齢にもなり
安定した生活を望み
遂には、お腹を膨らました、中年に成り下がってたって訳さ
 
いや、それでも自分たちよりはちょっと下のパンクの連中は怒り心頭に達していたし
電撃的東京やオールナイトニッポンで提示したコンセプトは
ネオGS、昭和歌謡なんてものへ結びつき
60sのモッズシーンへの憧れは
東京でも徐々に盛り上がり始めていた
 
そしてデジタルな感覚とジョイントしたニューウエーブの連中は
ロックの共有域から更に枠を外して
新しいライフスタイルにメッセージを発してはいたんだが
 
俺にとって、村八分やハルヲフォンで始めた事は色々と形を変えて
次の世代に少しは受け継がれていたのを確認した時点で
もう一度自分たちがそれを踏襲する気持ちにはなれなかった
もうここには自分の居場所は無いと感じたのは事実なんだ
 
そこで、俺は考えたんだ
ここは一番、思い切って自分の考え方を180度転換させる時期かなって
 
勿論心情的にはパンクもニューウエーブもロックも大好きさ
ステージで大汗を掻いて好きな曲を演奏する、ラストバンドマンはそれが生きがい
勿論ロックする情熱や演奏内容も当時のバンドには負けない自信はあったんだけど
やれと言われりゃ喜んでという気持ちもあるけどね
 
でも、どちらにせよ、その頃の音楽シーンで
事務所や業界の力を借りて大ブレークなんて望んじゃいなかったし
追従してそれ風の音楽をやって末席に置いてもらうってのもね
 
つまりさ
簡単にいうとね
ひとっつしかないケーキを
よってたかって奪い合うような
当時の業界にそんな感じがしてしまったんだ
 
昔に比べて確かにケーキの大きさは大きくなっていたんだけどね
いかんせん、以前に比べてケーキを望む人や切り分ける人が増えすぎた
日本のロックシーンなんてものは
所詮島国の小さなケーキだなって
其のときはそう自分では思った訳なんだ
 
ロックンロール2ウエイ
 
そこで、この時代、俺は2つの道を行こうと決めたのさ
一つは和太鼓奏者としての道
これは...なんというか、好きな打楽器という面もあるけど
80年代当時、日本の国内で和太鼓なんてものに興味を持つ奴は殆ど皆無
という事はつまり
演奏する機会の中で、妙な期待等は介入する面も無い
たっぷりと余裕を持って技術の向上なり
今までには無い分野へのアプローチも可能って事を意味してた
 
ゆっくりと時間を掛けて取り組んで行けるってのは
つまり師匠達のように70,80になって形を成せばいい
その位の歳回りになって初めて認められるなんてのは
伝統音楽の世界しかありえない事でもある
 
そしてこれは重要な事なんだけど
視点を国外に持っていくと
徐々に日本の文化というか、特に和太鼓は
外国の文化人等に徐々に認められつつあった
勿論日本の国内ではそんな事は誰も思わなかったろうけどね
 
今でこそクールジャパンwwとか言っているけど
日本のアニメや、ゲーム、そして日本の音楽自体が
欧米人にはとてもエキゾチックでカッコいいと認識されるきざしが
もうこの時代には浸透しつつあったのだ
 
という事で一つは和太鼓奏者としての道
そしてもう一つが前述の、等身大としての新しい分野へのアプローチ
こいつは昔からの仲間が一緒に戦うにはふさわしく
自分たちがやってきた日本のロックという領域から
一歩足を踏み出して
未開拓な分野へ足を伸ばしてみよう
新しい見たことも無いようなケーキを買いに行ってみよう
誰も食べた事のないようなね....
そんな気持ちで結成したのがPEGMOって訳なんだ
 

 SOSペンペンコンピューター

 先日知り合いの教授の息子が助教授になるというので..

まあ..少し話をした訳ですが..なんでもその息子は..
当時「ひらけポンキッキ」SOSペンペンコンピューターが好きで..
当時毎日ヘビロテで放送されていた..あの曲にえらく感銘を受けたという話だった..
で、当然「あれ歌ってるのはこの人だよ」と
 
小さい頃に父であるその教授先生に僕を紹介されたのを今でも覚えていると..
ふ~ん、そうなのあの頃幼稚園児がね~、もう助教授ですか(笑)..
彼は自分の専門である血液の入れ替えを..なんと、私にしてあげたいとの事だった..
まあ..KEITH RICHARDじゃないからね..
でも有り難くその気持受け取っておきますわ..。
 
そして案外此の曲を知っているという人が多いのにはびっくりしたのだが..
当時の「ひらけポンキッキ」の頻度を考えれば当然かもしれないけど..
どうも最近「日本のテクノポップ」というジャンルのコンピ等には
YMO等と同じに此の曲が使われているのが多いそうなんですな、
まあ..それで納得です。

しかし、まあ..反面此の曲しか現在(2018)露出が無い..
と言うのはかなりpegmoとしては
そのイメージが屈折してしまうのは致し方ない事ではありますが、
これはね~、つまり幼稚園、小学生向きに、
私もガチャピン、ムックと同じ世界の人と言う意識で制作、
そして歌入れした訳ですので...
若干本体のpegmoとはね~....
.いや..いや...言訳はよそう...これもpegmoの1面である事は間違い無い訳で..
 

「誰がインプット間違えた~♪♪」かなりぶっ飛んでますでがしょ..
しかし..70年代を自分の中でふっ切るには最適の一曲であったとも申せる訳です..
精神的に(笑)

曲はコンピューターが迷走して地球に帰れない..と言う
ボウイのスペースオデッセイのような内容なんですが..
デンジャーデンジャー!宇宙船アボガド3号!コンピューター故障、
軌道をはずれている!
軌道をはずれている!...
「軌道をはずれデンジャー!」という駄洒落を大二が考えて..
まあ..哲学的ではありますが..。

チョットだけILOVE YOU
 
3枚目のシングルこれは事務所側のからみから..
SHARPの新しいラジカセ
「メロデイサーチャー」のTV CM用にリリースされたのですが..
 
なんと此れはCM出演も果たした訳です..
メインアクターは故、益田喜頓翁でございました、
頑固そうなおじさまが此のラジカセでにっこりすると言う..
まあ.我々は何故かその音の迫力で髪の毛が逆立ち、
遂には爆発して顔が煤だらけになると言う(笑)..
まあ..決して2の線では無かったのですが、
めでたくCM初出演となった訳です..リズムはこれもデジタルドドンパ!..
かなりPOPな出来ではありました。
 
しかし..70年代無し..とは申しましても、此のジャケット..(笑)来てます...。
坂下が笑う!案外坂下辺りが一番此のバンドを愛しているのかもしれませんな..
今でも「pegmoやろうぜ」って頻度は彼が一番多い訳です。長沢も凄い!
頭おかしい..としか思えませンです。

此のジャケットの撮影の時..スタイリストが(笑)..
男の方でしたが(まあ..二丁目、あるいはそちら関係の方だとは思いますが」..
「この子~可愛い~..?」と何故か私、ものすごくもてた記憶がございますです..
それにしてもラジカセ!長時間の撮影は本当に「重かったす...」。
 
この頃は確かTVでは「ひょうきん族」がブレイクしていた訳で..
そんなからみから、伸助.さんま、の「い.け.な.い.お化粧マジック」.
あれは我々の制作録音、演奏でございました..そうですな..
思い切って..ドリフターズ路線に進めばよかったかなとも、
今になるとそう思いますな(笑)
 
ハッピーデイズ
 
4枚目のシングルだったかな..TVまんが「イソップ物語り」のテーマソング。

これもタイアップ、時代ではありますが..
やはりタイアップという方式が主流だったんですな..
何かおまけを付ける..まあ..そうしなきゃシングル出す意味もなかった訳ですが。

※思い出したんだけど..当時僕達の契約の条件はアルバム1枚、シングル2枚と..
まあ..ここまでは普通だけど..オプションでアーテイスト歌唱印税美空ひ●りクラス!
(笑..す、凄い)、

で..これはB面はクロージングテーマ「ハローハロー」
普通じゃ気がすまないと言うか(笑)..
どうもマニアックな方向へ自然と流れて行ってしまう、
そんな損な性格がございまして..
評価と実質があまり噛み合わない、
そんな業のようなものがあるのかな?とも思う訳です。
常に評価は何十年後..此れは音楽を始めた時からそうでして..
元来へそ曲がりな所も合重なって..難しいものです。
 

PEGMO..は当時別の方向へ行っていれば叉別の展開もあったのではないか?
今はそう思えるのですが..当時はなかなか対処する方も..
又演奏する方も、リスナーもうまく噛み合わず、
滑る、引く、下がる..の3重奏の様相を呈しておりました.な、
 
で、まあ..演奏活動も続いてまいりましたが..
やはり次の作品は、「年相応の感じ」と言うのが誰となくあがりまして..
作詞内容もぐっと年令高目に設定、..の筈だったんですが..
どこでそうなったのかは今も謎ですが、
出来上がった曲はどれもH内容を含むという、
まあ..他のアーティストは取り上げないだろうな、
と思われる題材ばかり集まってしまった訳で
 
で、次のアルバム「にっ!」には副題として昭和春歌集という
思ってもみない文字が踊っておった訳です..、。

もう此のアルバムに至っては説明がなかなか難しいのです、
聞いてもらえばとも思いますが、残念な事にCD化されてないし..
よく中古レコード屋を捜しますと..時々出現する事があります(笑)..
確かにサウンドはかなり錬られていて、
今聞いても「上手いな~」とは思うんですけれど、
なにせ詞が凄いのです..こんな歌詞がよく歌になるな..という感じ、
最近よく話すんですけれど..此れ再発を望みたいな..
デジタルリマスタリングされたら..
入っている音やコーラスだけでも納得出来る..
そう思うんですわ。

PEGMOの2枚目がYoutubeに上がっておりました
岡井大二がなんらかの形で動いているだろうけれど
アルバム2枚とも再発を希望するところです
他にもSOSペンペンコンピューターやまんがイソップ物語主題歌
或るいはシャープメロデイサーチャーのちょっとだけI LOVE YOU
CMの数々、高橋信之さんプロデュースのオールディズ物
その他諸々、3枚組あたりでどうでしょうかね

こちらがその頃の内情

連日CMやらRECやらでスタジオ缶詰めの日々の中
全曲我々の演奏とコーラスだけど
1曲だけパートタイムラブであの賀川雪絵姉さんが
ウッフンモッフンSEで参加してくれてるのが懐かしい 乙


にッ。(full album) - Pegmo (1983)


そしてこちら!stアルバムの頃の状況


Pegmo - PEGMO [Full Album]


80年代の初期の頃
まだデジタル機材も充実していなくて
CDの登場ももうちょっとしてからの頃


考えてみれば今ならサッとできるところが
一日がかりの様相を呈しておりました
まあよく孤軍奮闘といった処ですが
今聞きなおしてみると
手間を掛けた分、愛おしささえ覚えます


SOSペンペンコンピュータ (Perfect Ver)

 

という事で村八分からPEGMOまで

約20年の活動をまとめてみましたが
当然この後も活動は続いてまいりますが
それも又思い出しつつ書いて参りたいと思う次第です。
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