まず、朝一番の常磐線中電に乗って、水戸で水郡線に乗り換え、水戸から乗ったのは郡山行ではなく、先発の常陸太田行、上菅谷駅の駅舎が最近改装されたので立ち寄ることにした。
5年ぶりに訪れた上菅谷駅、駅舎は鉄骨2階建てのものになったが、旅客が使えるのはその一部だけだった。ガラス張りの吹き抜けで綺麗になったけどね。また、リニューアルされたのは駅舎だけでホームはそのままだった。上屋を延ばしてもいいと思うのだけど。駅前広場はきれいに整備されたので駅舎と釣り合うものになった。駅周りを見ながら、常陸大宮方面から常陸太田行きへの通学流動を観察した。
さて、駅降りで回った順序は以下の通り。数字は磐城石井からの駅数、=は駅歩きとする。
3中豊=2近津ー0磐城石井ー6里白石=5磐城浅川ー1磐城塙ー7磐城石川ー4磐城棚倉ー9川辺沖=10泉郷ー8野木沢ー12小塩江ー11川東ー14磐城守山ー13谷田川
中豊に943、谷田川に1834に到着した。
以下、特筆した駅以外は郡山方面に向かって右側に片面ホームがある構造とする。
磐城石井は交換設備が撤去された駅、ホームは外と同レベルである。磐城塙は郡山方面ホームに駅舎のある相対式で跨線橋で結ばれている。駅舎は賞をもらったくらいの大きいもので、中には図書館や喫茶店、富永一郎作品の展示室が入っている。駅前は広いものの、全く整備されておらす、バス停も少し離れた所にあった。
近津は珍しく郡山方面に向かって左片面、ここも交換設備は撤去され、ホームと外は同じレベルではある。近津から中豊までは国道が少し離れて並走するが、新しい商店が並び棚倉駅近辺より栄えている。中豊はホーム端から降りる構造なので、他駅のような新しい駅舎は整備されていなかった。
磐城棚倉は島式、郡山方面に向かって左側にある駅舎とは屋根付きの跨線橋で結ばれている。ヤードがあったのか駅舎とホームは離れている。駅前には新白河方面へのバスが乗り入れ、駅ではバス定期券が扱われている。またタクシーも数台停まっていた。
磐城浅川は水戸方面ホームに駅舎のある相対式で跨線橋で結ばれている、駅舎は古いもので時間によって窓口扱いも行う。駅近辺に商店はあるものの、人影が少なく閑散としている。里白石は緩いカーブ上にあった。
磐城石川は、福島県内の水郡線駅で唯一の2面3線、駅舎は水戸方面側にあり、ホームは郡山寄りの構内踏切で結ばれている。夜上りの石川止りが3番線で滞泊するため、下り最終郡山行きだけ2番線発着となる。
野木沢は小さな駅舎が、JAの建物と隅ら一っこっで共有している構造、川辺沖はホーム端から降りる構造なので駅舎がない。泉郷は玉川村の玄関口、駅舎は白壁の古い建物風になっており、時間によって窓口での扱いを行う。高速のインターが近いのでコンビニやスーパーが近くにある。
川東は水戸方面ホームに駅舎がある相対式、駅舎は赤い古いものである。駅から歩いて5分くらいの所には、須賀川方面へのバスが発着するバス停があった。小塩江もホームが外と同じレベルという構造で、磐城石井や近津と似たような駅舎があった。
谷田川は水戸方面ホームに駅舎のある相対式、両ホームは構内踏切で結ばれているがホームからは微妙に離れている。また、構内踏切からは駅舎と反対側に抜けられる、水郡線としては珍しい構造である。磐城守山は交換設備が撤去された構造、安積永盛と郡山の間ですれ違うことができるから、必要なかったのだろう。
列車は基本2両運用だが、常陸大子発1436は単行、その折り返し郡山発1651は2両と連結して3両、常陸大子発1753が単行単行だから、その折り返しである最終磐城棚倉行、及び翌朝の磐城棚倉始発は単行になる。単行だからといって、極端に混んでいるわけでないし、輸送力は適正といったところか。
データイムの臨時は、学生に合わせたのか第1、第3、第5土曜に設定。しかし、学生より普通の利用客で他の列車より微妙に混んでいた。平日はともなく、日曜祝日も設定してほしいところ・郡山への買い物需要もあるだろうし。
最新の画像もっと見る
最近の「駅降り行動」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事