しーさるの鉄日記

予讃線各駅停車と四国鉄道文化館と700系新幹線


2020年初めての泊まりがけの駅巡り。
予土線の駅降りは昨日終わったので、今日は予讃線の普通列車と新幹線で帰ることにした。普通列車だけにしたのは、四国再発見早トクきっぷを使うため。でも、後で計算したら宇和島から都区内の運賃13470円に対し、四国再発見早トク2100円、児島から都区内11000円と、370円しか安くならない。まあ、特急使って急いでも、後述の理由で東京着は同じだからな。

昨日の予土線より10分遅い6時14分発の松山行に乗車、充当車両はキハ185系1000番台の当たり運用、 3時間近くもロングシートに乗る羽目にならなくてよかった。薄暗い車窓は、白一色の濃霧から、晴れ渡った朝に変わっていく。八幡浜までは貸し切りだったが、伊予大洲、内子と松山へ向かう客が乗り込んできた。伊予市から先は交換の兼ね合いで遅延、9時03分に松山に到着した。

お土産を買った後、松山からは9時35分発の高松行、伊予西条まではワンマンなので、後ろ1両は回送として立ち入り禁止となる。発車5分前に並んで、運良く海側のボックスシートを確保できた。乗客は20人ほど、特急が出てから20分以上経っているので、半分くらい今治まで乗り通していた。途中駅から今治へ向かう流れもあり、降りる客より乗る客の方が多かった。ほとんどが今治で降りて、特急しおかぜの待避、今治を発車する頃には再び20人くらいになっていた。

伊予西条着11時45分、ここでは四国鉄道文化館を見物することに。入場料は300円だが、JAFの割引が効いて240円になった。まず、以前からある北館へ。岡山のおかでんミュージアム同様、土足禁止のため、入り口でスリッパに履き替えることになる。北館には、0系新幹線とDF50を展示しており、運転台や客室に入ることができる。それ以外にも、四国の鉄道の写真、歴史、NやHOの車両模型、パンタグラフ、昔のサボといった鉄道部品、駅弁のサンプルなどが飾ってあった。南風、しおかぜのイラスト入りヘッドマークとか懐かしい。北館のすぐ横には、東海道新幹線計画を実現した国鉄総裁十河信二の記念館がある。小さい建物ながら、かなり充実した内容で、2階の一角には書斎を再現していた。

ぽっぽ橋で予讃線を乗り越えて、南館へ向かう。こちらは北館のオープンの7年後、2014年に新設された。南館のあるエリアは新しくロータリー、駐車場を整備、その駐車場、芝生の広場を囲むようにミニSL用の軌道が敷かれていた。ミニSLの運転は不定期だが、これは面白い試みだ。南館の前には軌間可変電車「GCT01-201」を展示、独特の可変台車を近くで見ることができる。南館に入ると、HOゲージの鉄道ジオラマがある。一番手前には、伊予西条駅周辺をこの文化館込みで再現、うどん屋や四万十川の沈下橋と四国の光景をちりばめ、奥の方には瀬戸大橋がある。一日に何回か演出走行が行われ、瀬戸大橋の後ろには花火が上がる演出もある。他のローカルジオラマに比較すると小さいが、かなり充実した内容だ。このジオラマの対面には、四国の鉄道車両、珍しい駅を紹介したパネルがあった。

ジオラマからキッズルームを横霧、車両展示場に入ると、C57 44、キハ65 34、DE10 1が展示してあった。C57 44は昭和13年に製造され、まず高崎に配属、1947年に仙台に、1958年に小樽に転属となった後、1976年に廃車、その後は駅から1キロ離れた公園に静態保存されていた。DE10とキハ65は多度津工場で保管されていたものを持ってきたものだ。キハ65の車内は、国鉄時代の懐かしいものではなく、バケットシート改造を受けたものになっていた。C57に面して、SLが走っていた頃をイメージしたホームがあり、昔の駅名標や昭和34年の時刻表が飾ってあった。屋外展示場では、信号や車輪、速度標識などを展示していた。

50分ほど見物して、12時53分の高松行で出発、高松寄7000系、松山寄7200系の3両編成だ。中萩3分、新居浜10分、多喜浜3分と3駅続けて交換待ち、6駅飛ばして、箕浦で8分待ちとなった。香川県に入ると、交換待ちによる長時間停車はさらに増え、まず観音寺で14分停車、本山で3分停車、比地大はすぐに発車して、高瀬で5分停車、みのもすぐに発車して、詫間で3分停車、多度津で11分停車となった。観音寺に到着してから多度津を発車するまでの62分、そのうち2/3近くが停車時間で占められる。乗っている普通列車が宇多津に到着するころには、観音寺で追い抜かれた「しおかぜ」は既に岡山に到着している。

坂出で15時24分発のマリンライナーに乗り換え岡山へ。岡山からは「のぞみ」で新大阪へ向かった。新大阪からは19時23分発の「のぞみ414号」で700系の乗り納め。引退の13日前だが、指定券は2週間前くらいでも十分に購入できた。とはいえ先頭部は700系の最後の雄姿を撮影する人だかりができていた。グリーン車の隣の7号車に乗車、ドア上の字幕ニュースもダイヤ改正前に姿を消す。車販では限定のクリアファイルも販売していたが、7号車に来る頃には売り切れとなっていた。車内放送で、コンセントが一部座席にしかないことを案内、今では希少価値となったコンセントの少ない車両だからな。

700系は1999年にデビュー、この頃は鉄道の乗りつぶしが終わって、遠征はだいぶ減っていた。遠征して駅降りをするようになったのは2006年、当時撮影した写真を見ると、700系より500系に乗る機会が多かった。そのうえ、翌年にはN700系がデビュー、N700系はあっという間に「のぞみ」の主力となり、700系に乗る機会は減少した。数少ない乗車経験といえば、「EXこだまグリーン早特」を使ってのグリーン車ぐらいか。

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