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カルトキリスト教
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なぜ、日本は半島に行ったのか1

2020-07-02 02:10:52 | 日本
なぜ、日本が半島に行ったのか。
 
第一次世界大戦が勃発し、日本はロシア方面に、欧米の要請で向かいました。
ロシアとソ連の見守りです。
 
居留地確保のため、満州国を建国したり、半島を開発したのです。
 
朝鮮半島の閔妃は、中国軍を日本軍に襲わせました。
中国の清に対抗するため、革命家の孫文なとが日本に留学していました。
日本キリスト教団の高倉徳太郎の弟子などは、朝鮮半島で伝道していました。
キリスト教精神により、日本軍と中国軍は和平して、ことなきを得たのです。
 
そのため、閔妃は、土地をロシアに売り、2年間ロシア領となってしまいました。
こうして、朝鮮王朝は終了したのです。
 
日本は、江戸時代末期まで、三千万人しかいませんでした。
つまり、断続的に、朝鮮半島から一千万人以上も来ています。
 
 
日露戦争の戦費。
 
1970年まで、ヤコブシフに払い続けたそうです。
日本の天皇、国民、海軍は、戦争(第二次世界大戦)に、反対でした。
 
賛成したのは、大陸の朝鮮総督府、陸軍のみです。
岸は、満州国で、デモ隊を惨殺しました。
児玉は、麻薬で戦費を作りました。
 
朝鮮と日本を併合するのに反対した伊藤博文を、朝鮮の安重根が暗殺しました。
 
つまり、併合であって、侵略ではないのです。
 
半島軍人の暴走によって、日本は、戦争に巻き込まれました。
 
戦場に行く兵士も、国内も、
餓死寸前、栄養失調、病死で死ぬありさま。
爪が生えず出血。
道端で、へたりこんでいた。
 
よく、戦後の昔話で、近くの川で、
服や食器を洗うと、ありえないほど貧乏であった。
と、悲惨な話を聞くでしょう。
 
日本は、パールハーバー軍港や、重慶の工場を攻撃しただけです。
 
ニューヨーク、ワシントンなどは、攻撃していません。
 
南京大虐殺、慰安婦、徴用工も、韓国や反日の捏造です。
 
南京大虐殺は、30万人死体を埋葬していません。
そのような墓も、発見されていません。
 
慰安婦は、朝日新聞も捏造と認めました。
アメリカの公文書館にも、志願と書かれています。
 
徴用工に関しても同様。
 
特高警察にも、在日はいたようです。
戦争中は、反戦者を戦争に送り、反日テロリストを獄中で優遇。
戦後は、野に放った。
 
 
金天海、安重根、尹奉吉などの半島テロリスト。
 
終戦後8月15日以降に、
ソ連が満州や北方領土に攻めてきた。
 
日本の刑務所から出た金天海などが、大阪、神戸の市庁舎を占拠。市長を監禁。
 
金天海は、戦中はテロリストとして獄中に入っていた犯罪者。
 
日本中で、デモを起こした。
 
日本各地で、警察署を襲おうとして、地元日本人ヤクザ(テキヤ)に叩きのめされた。
三国人事件。
 
 
児玉(文行)、岸(箕子)などの在日の軍人。
戦後、暴力団を作った歴史。
 
岸 総理大臣。
I会 I。
K?会 児玉。
 
 
戦後、竹島に攻めた韓国。
非戦闘員の漁民を殺害、拉致し日本政府に金銭などを要求。
 
ベトナムでの韓国の性犯罪。
非戦闘員の女性をレイプ、殺害。
子供を殺害。
 
フィリピンの韓国暴力団殺害による、韓国が呼んだIS。
 
メモ
尹奉吉

第一次上海事変停戦交渉の最中であった1932年4月29日天長節天皇誕生日)の日、上海の日本人街の虹口公園で行われた祝賀式典会場に、宣教師ジョージ・アシュモア・フィッチの運転する車で入り込んだ尹奉吉は、要人群の席に向かって手榴弾を投擲。爆発で多数を死傷させる事件を引き起こした。

上海派遣軍司令官陸軍大将白川義則と上海日本人居留民団行政委員長で医師の河端貞次が死亡。第3艦隊司令長官海軍中将野村吉三郎第9師団長陸軍中将植田謙吉、上海駐在総領事村井倉松、上海駐在公使重光葵、上海日本人居留民団書記友野盛ら多数が重傷を負った。後の1945年9月、東京湾ミズーリ艦上で行われた降伏式典で降伏文書に署名した外相(当時)重光葵が杖をついているのはこの事件で片足を失ったためである[5]

Wikipedia

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