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アスガー・ファルハディ監督作『英雄の証明』と現代イラン(上)

2022-03-11 | イラン映画

アスガー・ファルハディ監督という名前を聞いて、ピン!と来た人は多いと思います。イランではアスガル・ファルハーディー(اصغر فرهادی )となりますが、日本でもすでに『彼女が消えた浜辺』(2009)、『別離』(2011)、『セールスマン』(2016)などが公開されていて、アッバース・キアロスタミ亡き後のイラン映画では、一番名前が知られている監督と言えるかも知れません。そのファルハディ監督の新作で、第74回カンヌ国際映画祭でグランプリ(最高賞パルムドールに次ぐ賞)を受賞した作品『英雄の証明』が、4月1日(金)より日本でも公開されます。これを2回にわたってご紹介したいと思いますので、まずは映画のデータとストーリーからどうぞ。

『英雄の証明』 公式サイト 
 2021年/イラン、フランス/ペルシア語/127分/原題:قهرمان Ghahreman/英題:A Hero
 監督:アスガー・ファルハディ
 主演:アミル・ジャディディ、モーセン・タナバンデ、サハル・ゴルデュースト、サリナ・ファルハディ
 配給:シンカ SYNCA
 提供:シンカ、スカーレット、シャ・ラ・ラ・カンパニー、Filmarks
4月1日(金)Bunkamuraル・シネマ、シネスイッチ銀座、新宿シネマカリテほか全国順次公開

イラン中南部の都市シーラーズ。その刑務所から出て来た男が門前からバスに乗ろうとして逃してしまい、タクシーをつかまえます。彼が向かったのは、シーラーズ郊外にあるナクシェ・ロスタムの遺跡でした。彼は看板職人のラヒム(アミル・ジャディディ)で、借金返済を滞らせた罪で収監されている刑務所から休暇をもらい、姉マリ(マルヤム・シャーダイ)の夫ホセイン(アリレザ・ジャハンディデ)が修復技師として働く遺跡の現場へ会いに来たのでした。借金が元で妻とも離婚したラヒムは、小学生の息子シアヴァシュを引き取ったのですが、収監されるにあたり、シアヴァシュを姉夫婦宅に預けていました。また、借金の相手は離婚した妻の兄バーラム(モーセン・タナバンデ)だったのですが、今回の休暇中にバーラムと交渉し、訴えを取り下げてもらいたいと思っているラヒムは、そんな件も姉夫婦に相談していたのです。

©2021 Memento Production - Asghar Farhadi Production - ARTE France Cinéma

厳しい取り立てをするバーラムとの交渉を思いついたのは、ラヒムの婚約者ファルコンデ(サハル・ゴルデュースト)が刑務所のラヒムに送ってきたメールを見たからでした。ファルコンデが偶然拾ったバッグの中に17枚もの金貨が入っていたそうで、これを売ると借金も返せるのでは、と彼女から提案されたラヒムは、刑務所から出られるかも、と希望を持ったのです。そんなわけで勇んで休暇を取ったラヒムは、姉の家に落ち着いた後ファルコンデと連絡を取って貴金属商に行ったのですが、金貨の額は思ったほどにはならず、借金額の半分になるかどうかというところ。バーラムは全額を返してくれないと訴えを取り下げない、と言いますし、そうこうするうちにラヒムは、人の金貨をネコババしてしまうことにも後ろめたさを憶え、金貨を落とし主に返すことにしました。休暇の間に街の各所に張り紙をしたところ、ラヒムが刑務所に戻った後に自分が落とし主だという女性が現れ、姉がラヒムから預かっていたバッグを受け取っていきます。とラヒムがラヒムが張り紙に書く自分の連絡先電話番号を刑務所にしていたことから、この話が刑務所の係官に知られ、美談だと持ち上げられます。マスコミにもこの”美談”が流れ、やがてラヒムはチャリティ協会から顕彰を受けることに。その顕彰式で、吃音があって言葉が出にくい息子シアヴァシュが、声を絞り出すように「お父さんが刑務所に帰らなくて済むように...」と言ったことも同情を呼び、ラヒムはすっかり時の人となりますが...。

©2021 Memento Production - Asghar Farhadi Production - ARTE France Cinéma

アスガー・ファルハディ監督の作品は、登場人物に悪人は出て来ないのですが、ほんのささいなことで困った立場に追い込まれる人々が登場して、成り行きに最後までハラハラさせられることになります。『英雄の証明』も、ちょっと気弱そうな主人公ラヒムは、控え目ないい人なんだろうな、と思うものの、いくら借金返済に困っていたとはいえ、拾った物を自分のものにするのはいかがなものか、と思って見ていると、案の定、という展開になってしまいます。拾ったのは婚約者であり、しっかり者の彼女が言い出したことではあるのですが、そこで悪魔のささやきに乗ってはいけません、なのでした。さらに本作は、その後も悪魔のささやきが出て来て、やきもきさせられます。そんなわけで、登場人物たちは平凡な市民ながら、一級のサスペンス劇が進行していき、最後まで緊張感が持続しっぱなし。やはりアスガー・ファルハディ作品、とうなってしまいますが、これまでの作品とは違ったテイストも入っており、息子シアヴァシュ君の存在が印象に残る作品となりました。

©2021 Memento Production - Asghar Farhadi Production - ARTE France Cinéma

驚かされるのはイランの刑務所の規則で、軽度の犯罪者には休暇制度があるとはびっくりです。それも会社の年次休暇のように、好きな時に申請でき、かつ貯めておいて長期に取ることも可能なのだとか。身内の冠婚葬祭にも出られるなんて、とっても人間的ですね。その反面、借金返済ができない場合には刑務所に入れられる、というのは少々気の毒で、いわば詐欺罪という感じなのでしょうか。劇中では、主人公のほかにも刑務所に入れられていたという人が出てくるのですが、軽度の犯罪で刑務所行きになった人は結構いるのでは、と思わせられる描写でした。また、主人公を顕彰したチャリティ協会は、死刑囚の救済も行っているようで、後半にそのような描写が出て来ます。そこにはお金がからむらしく、主人公がチャリティ協会からもらえるはずのご褒美が死刑囚の家族に回される、といった話が登場します。刑務所と一般社会が身近なのも、驚かされたことの一つです。

©2021 Memento Production - Asghar Farhadi Production - ARTE France Cinéma

さらには、女性たちのしっかり者ぶりも映画を支える要素になっています。ラヒムの婚約者ファルコンデは、兄夫婦の家に住んでいるのですが、ラヒムとの結婚に難色を示す兄に堂々と反論し、どんな場合でも自分の意見をはっきりと申し述べます。これまでのアスガー・ファルハディ監督作品でも、女性のキャラクターは芯が強く弁も立つ、という人が多かったのですが、ファルコンデはそれに加えて、恋する乙女の甘さと激しい気性をも備えているようで、ラヒムの存在が霞むシーンもありました。ラヒムの姉のマリはよき家庭婦人という感じですが、自分の2人の子供と共に、ラヒムの子シアヴァシュも育てている懐の深い女性として描かれ、あとで振り返ってみると、最初の方でシアヴァシュのゲームばっかりしている孤独な少年という描かれ方は少々不自然にも思えてきます。そしてもう1人、ラヒムの元妻の姪、つまりバーラムの娘ナザニン(サリナ・ファルハディ)も登場するのですが、このサリナ・ファルハディは監督の実の娘なのだとか。と言われて思い出すのは、『別離』に登場した主人公夫婦の高校生の娘で、あのメガネ女子学生が大人になった姿なのでした。

©2021 Memento Production - Asghar Farhadi Production - ARTE France Cinéma

こんな風にファルハディ監督作の好きな方には、特に見どころの多い作品です。主人公ラヒムを演じたアミル・ジャディディが気になる方は、彼自身の公式サイトがありますので、のぞいてみて下さい。気弱げな本作の主人公とは別の顔が見られて、むしろ007とかボリウッド映画ならジョン・アブラハムが演じるような役が似合っているのでは、という感じです。本作の演技では、イラン国内の映画賞ハーフェズ賞や、パームスプリングス国際映画祭で主演男優賞を獲得していますが、彼にとっては体重を減らすことから始まって、チャレンジングな役だったのでは、と思います。最後に予告編を付けておきますので、アミル・ジャディディの演技を始めとする名優の競演をチラ見してみて下さい。

第74回カンヌ国際映画祭グランプリ受賞!映画『英雄の証明』予告編

 

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