イスタンブール 旅のつづき

以前旅の終着点だったイスタンブールに戻ってきて、生活を開始。また旅のつづきを始めたい・・・

第20回旅行 中央アジア

2008-01-14 04:47:09 | 旅行
明けましておめでとう御座います。12月はほとんどブログも更新しないままにあっという間に年も明けてしまいました。ようやく年も明けて週末ゆっくりと時間もできたので。

と、12月半ば頃にカザフスタンとウズベキスタンに行っていて、年末帰ってきてすぐ休みに入ってバンコクに行っておりました。なので今日は12月の中央アジアの写真をいくつか。

①カザフスタン
今回はそもそもトルコの祝日を利用しての旅行。一応トルコ語を学んだ身として同じ文化圏にあり、経済の発展著しいということもあり仕事のつながりも出てきそうなことも見てみようと思いたち訪問。

まずびっくりするのは物価の高さ。イスタンブールも高くはなっているけれど、それと比べてもほとんど変わらない。カザフスタン?と首をかしげたくなるが、オイルマネーの力は強い。製鉄業もあるけれど基幹産業は弱く、オイルを中心とした資源が圧倒的に強いが、一部富裕層を作り出すだけでなく、一般消費財に至るまで高くなるのだから、国民全体の底上げになっているのだと痛感。アルマティにしか行っていないけれど、街の作りはいわゆる旧ソ連の画一的な作りであまり面白みもなく、あまり経済性の高さは伺えないだけに驚く。走っている車も高級車で、トヨタの人気が高く、レクサスなんかもがんがん走っている。

文化圏が近いと言ったのは、もともとトルコは中央アジアから始まっている遊牧民族であり、言葉が実は同地域であれば6割くらい似ているので、それを確かめに来た意味もあり、その点カザフスタンはまだまだロシア系が多く、ウズベクに行けばもっと通じ合える。

あまり繁華街がなかったのだけど、見かけた中心部の繁華街。確かに-5度くらいで相当寒かったけど。


それとちょっと大きめなshopping center。その名もsilk way。


それと、旧ソ連時代に作られたカザフスタンホテルからの眺め。すぐ後ろには4000m級の山が連なる。山もさることながら、silk roadの通る道、そしてアルマティからは300kmほどで中国に入るということを目の当たりにして、地図を見れば当たり前だけどカザフスタンの位置の重要性も認識。時勢だと資源国家が強くなっていき、その点カザフは大いに成長しそうである。ホテルもこのカザフスタンホテルも外見はキレイで立派だが、中身は3流。それでも130ドルほど。いわゆる5つ星ホテルは2つしかないが、300ドルくらいもするそうだ・・・



②ウズベキスタン
その点分かりやすく、ウズベクはロシア色がそれほど強くなく、ウズベク人の比率が高い。そして資源がなく、繊維が盛ん。ということは経済規模が圧倒的にカザフに劣り、物価が驚くほど安い。滞在中韓国料理を食べ続けていたが、飲んで腹いっぱい食べても20ドルもしない。素晴らしい国である。

かつ私にとっては日常会話であればだいたいはトルコ語で通じる。ちょっと込み入ってくると全然分からないが。
そしてウズベクスタンと言えば「サマルカンド」。イランのイスファハンのこじんまりした感じと言ってしまえばそうだが、かつてはティムール朝の首都であったサマルカンド、いわゆるトゥルク民族の西への進出のきっかけにもなったのではと思っているが、一時はオスマン帝国を滅ぼすなどトルコとも関連があり、トルコにいる身としては感慨深い。




ここにいるとウズベク人と言われることもまれにあるが、顔はトルコ人に近いというより東アジアに近い気はする。


それと、戦後ソ連軍によって強制労働させられた日本人も建設に携わったというタシケントにある劇場。外観、中身も立派で、人生で初めてその時友人にバレエ「くるみ割り人形」なるものに連れて行ってもらったが、新鮮だった。彼はその前の年ロシアにいたから当たり前のようだが、トルコのおれには違和感が。これが文化の違いよと言われてしまえばそうだが。

建物の裏には「日本人によって建てられた」というように彫られている。なんでも大地震があってタシケント全体で建物が崩壊した際にも崩れず、「日本の建設技術はすごい」と評されたそうな。それにしてもあまりの立派さと、山崎豊子の『不毛地帯』、『大地の子』を思い起こさせるその悲惨な強制労働が行われてこうしたものが出来たのかと、じんときた。



ウズベクは人口2500万人ほどで中央アジアでも一番人口の多い国。これからトルコと関わっていく身としては、面白くなって来て欲しい国だな。