Chris's monologue

二匹+ONE?のクマンズとChris(謎の生命体)の怠惰な生活

三浦三十三観音 第18番 岩戸山 満願寺

2018-01-18 08:03:35 | 三浦三十三観音霊場巡礼のようなもの


駐車場から寺が見えないってところが敗因でしたね

や、だれに負けたの? ていうか、なんの戦いなの?



だれに?

ここの観音さまとお地蔵さま、パないから 眼光するど杉だから フツー、お地蔵さんって柔和な笑みとかたたえてない? マジ、めっちゃにらまれた

浮ついた気持ではなく、しっかり修行せい! ってことやね



クマル、浮ついてないから いつでもチョー本気(マジ)だから



これで緑地区すべて制圧な 次、イエロー地区、覚悟なさい

いってるそばからソレかよ



*開基は三浦義明(大介)の末子である義連(佐原十郎義連)、開山は大達明岩正因禅師。義連は三浦義明の十男末子で、この地に住し、寿永3(1184)2月、19才の時、平家迫討の戦に源頼朝に仕え、源義経に従い凱旋して、一の谷合戦では、ひよどり越えの崖を真っ先に駆け降りて活躍した。本尊の聖観世音菩薩(国重文)は、寄木造り像高224.7㎝の立像で、義連が西国に出発の際、「戦場に出で、再び故郷に帰ることを思わず、骸を軍門に曝し、名を天下に上げ、後世に残さんと欲す」と、自らの姿を仏像に刻み、一宇に安置して誓願したと伝わる。作者は定かでないが、構造や形相からみて鎌倉時代の初期に運慶によって作られたと見られている。幸いに西国各地に転戦、願望満ちたるに従い寺号を満願寺と称し現在に至っている。尚、近年の境内発掘調査により、創建当初の伽藍は現在の数十倍の広さをもつ寺領百貫の一大伽藍であったとされている。



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あいば くりす



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