この季節になると、私がいつもウォーキングしている裏の公園では
わが町の青年団の「走り込み」というのをしていて
中学生や高校生、20代の青年たちの威勢の良い掛け声が聞こえてくる。
だんじり祭のことは、良いことも悪いことも聞こえてはくるが
組織の中の上下関係を学ばせるので
年下は年上に、いわゆる「タメ口」で話すことは絶対無い。
一昨年の関西南部の方の台風被害で、わが町も瓦礫などが散乱し
片付けがままならなかった時、青年団の若者が率先してお年寄りの所に
ボランティアで駆けつけていた。
普段から町内のことに関わり、段取りを心得ているからほんとに心強い。
夜の公園で彼らの団体と遭遇すると、必ず「こんばんは〜」と
気持ちいい挨拶をしてくれる。
岸和田の子供は、母親のお腹にいる時から鳴り物を聴いているからか
何故だか知らないけれど熱狂的に大好きな子ばかり。
今年はコロナで9月12、13日の郷土の祭りが中止になった。
私たち子供の頃は14日15日で、14日は午前中登校して点呼して帰れるが
早朝の曳き出しに参加したまま休む男子が多かった。
15日は岸和田だけ祭日にしていて、途中から「敬老の日」となった。
更に、ラッキーマンデーだかが取り入れられてからは、毎年微妙に
日にちが変わる。
私が大人になって知るかぎり中止決定は初めてのことだと思う。
あまり興味の無い私でも少し寂しく思っているので
大好きな人たちの落胆はどれほどかと思う。
8年も前で、法被やTシャツのデザインは変わってしまっているが
以前にも載せた祭りの写真を再度アップしてみる。



寄付の芳名を貼り出している「花板」

テレビで放映されるのは、駅前の槍回しと、お城そばの「こなから坂」という
坂を一気に駆け上がり、お城横にある「岸城(きしき)神社」に入るシーンだけれど
ここでは旧市内の15町がこの神社へ。
下の神社へはわが町と他の町との6町、この駅の一つ大阪寄りの駅周辺の12町は
ここの地域の神社へ宮入りする。
秋祭りは「五穀豊穣」を願う神事の一つ。







法被もTシャツのデザインも今はこれとは違う。

岸和田は城下町なので、旧市内の路地に入ると、お城に関係していたことがわかる
史跡が色々見つかる。

下の写真は、大学時代のフルートの同級生のおうち。
江戸時代岡部藩の時に、お城に「萬屋伊平」だったかの屋号で入っていた
小間物屋さんだったらしい。
「ヨロイ」という名前のブティックをされていたが
8年前久々に通ったらお店はなくなり
おうちのお宝を展示していた。




