法則化中学・兵庫太子サークル

子どもにとって価値のある教育をしたい。兵庫県たつの市・太子町で活動している中学教師のサークルの活動記録です。

教師の授業行為を分析する

2010年10月19日 | Weblog
 先日、某中学校の公開授業を見る機会があった。
教師の授業行為の中で気になることをメモした。
1時間の公開授業でメモがノート見開きいっぱいになった。
その一部分です(サークル例会で配布します)

(1)板書する際に生徒に全く背中を向けている。
   その間、教室中が全くの死角になる。
    生徒が他のことをしていても分からないであろう。
   板書は半身で書くべきである。
(2)「~してくれ」という作業指示。
   教授行為のなかで、このような言葉遣いには違和感を感じる。
(3)下を向いたままの指示。
   指示したことは「やらせる」。それが教室を統率していく。
    下を見たままでは、やっているかどうか分からない。
やらせ切ることも出来ないのではないか。
(4)発問のあとすぐに指名して発表。全然考える間がない。
   生徒は考える間もなく授業が進んでいく。
    つまり「考えなくてもいい授業」となっている。
   そして授業にどんどん参加しなくなっていっている。

 それをまとめた物を、職員研修用の通信として勤務校で配布した。
 何か、凄く「偉そう」な感じもしたが、まずは発言しないと次には進めない。
 違和感を感じたこと、その一つ一つは些細なことなのかもしれない。
 しかしそれが積み重なって大きな差となるのではないか。
 
 人権教育、情報教育、道徳教育、いろいろな研修会に出張で参加する。
 そこで思うのは、子どもの指導を大雑把にしかとらえていないということだ。
 
 たとえばある研修では「教師が人権感覚を持つことが大切」という意見が出された。

 その研修では、公開授業が行われた。
 では、その学校の前面掲示はどうなっているのか?その学校の教師はスリッパを
 履いているのか、いないのか?

 分からない子どものためだと思って長い個別指導をしたりしていないだろうか?
 このように具体的は部分で実践を語られることはほとんど無い。
 
 そこには「授業論」が無いのである。
 子どもの人権を大切にするためには「特別支援教育に対する知識」が絶対に
 必要である。つまり教育(教師の教授行為)を総合的に考える必要がある。
 
 そういった観点で「授業論」を語れるのは「TOSS」しかないと考える。