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千島土地 アーカイブ・ブログ

1912年に設立された千島土地㈱に眠る、大阪の土地開発や船場商人にまつわる多彩な資料を整理、随時公開します。

各地名所写真

2017-09-22 11:17:20 | 所蔵資料から
今回ご紹介するのは、10.6cm×6.4cmの名刺ほどの大きさの台紙に貼られた写真です。

写真を趣味とした芝川又三郎が撮影した写真が含まれることから、又三郎が撮影したものと思われます。

ほどんどの写真の裏面に撮影場所がメモ書きされているので、どこで撮影されたのかわかるのが大変嬉しい資料です。



彦根旧城内ヨリ楽々園ヲ望ム(千島土地株式会社所蔵資料P25_005)


彦根楽々園八景亭(同P25_002)


出雲大社(同P25_006)


美保神社(島根県松江市)(同P25_003)


宍道湖之夕陽(同P25_012)
この写真は10.4cm×16.6cmの少し大きめの台紙に貼られた写真です。
中央に写るのは、宍道湖に浮かぶ島・嫁ケ島でしょうか。


琴平神社(同P25_010)


琴平神社金堂(同P25_011)


道後温泉(同P25_009)


杵築之宅(同P25_004)
大分県杵築でしょうか。


(同P25_013)
こちらの写真には台紙がなく、説明書きもないため、どこで撮影されたものかは不明です。

※古写真にお詳しい村上忠男氏から、長野善光寺の山門(三門)では?とのご教示をいただきましたので、追記いたします。



※掲載している文章、画像の無断転載を禁止いたします。文章や画像の使用を希望される場合は、必ず弊社までご連絡下さい。また、記事を引用される場合は、出典を明記(リンク等)していただきます様、お願い申し上げます。


奈良の古写真

2017-08-25 16:20:18 | 所蔵資料から
今回は、芝川家が所蔵する古写真の中から、奈良の社寺を撮影したものをご紹介します。

こちらは芝川家の誰かが撮影したものなのか、或いは購入したものなのかは不明ですが、16.5cm×10.5cmの厚紙に写真が貼られ、裏には毛筆でキャプションが記されています。



撮影時期も明確ではありませんが、明治頃のものでしょうか。



猿沢池(千島土地株式会社所蔵資料P29_001)


興福寺五重塔(同P29_002)


興福寺南円堂(同P29_005)


興福寺中金堂(同P29_003)


東大寺大仏殿(同P29_010)


東大寺二月堂(同P29_009)


春日大鳥居(春日大社一之鳥居)(同P29_008)


春日大社中門・御廊(同P29_006)


手向山八幡宮(同P29_004)


新薬師寺本堂(同P29_007)


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「宝塚少女歌劇」関連資料

2014-03-14 16:09:08 | 所蔵資料から
大正3年に第一回公演が行われて以来、多くの人々の心を捉え、人気を博した宝塚少女歌劇(現・宝塚歌劇団)。阪神間で青春を送った芝川弥生子(芝川又之助長女、芝川家6代目当主・芝川又四郎の姪にあたる)もその華やかな舞台に魅了された一人でした。

今回は弥生子所蔵資料の中から、昭和10年代を中心とする宝塚少女歌劇関連資料をご紹介します。


●しおり&絵はがき
日本的なものから外国のものまで非常に多彩な演目に驚かされます。







●「歌劇」
最も歴史の古い宝塚歌劇団の月刊機関誌。1932(昭和7)年を境に表紙がイラストからスターの顔写真に変わりました。


●「宝塚グラフ」


●「東宝」
東宝は東京宝塚の略。昭和9年、有楽町に東京宝塚劇場が完成し、宝塚少女歌劇団は東京進出を果たしました。
昭和18年発行の「東宝」誌の厚みは前年の半分ほどですが、これはいよいよ悪化した戦局の影響でしょうか。


●「歌劇脚本集」


●スターポートレイト集
トップスターとして戦前の宝塚歌劇の黄金期を支えた小夜福子と葦原邦子。装丁デザインが素敵ですね。


●レコード


●スクラップブック
弥生子が大ファンだった佐保美代子に関する記事が多数見られます。




●弥生子アルバム
弥生子のアルバム写真の中には、宝塚少女歌劇の運動会などで撮影されたと思われる写真も収められています。




●歌劇日記
宝塚少女歌劇団発行のとても魅力的な装丁の日記帳。観劇の感想のほか、弥生子の日常についても記されています。


●海外公演関連資料
宝塚少女歌劇団は、昭和13年に初の海外公演(ドイツ、イタリア、ポーランド)を行い、翌年昭和14年にはアメリカ公演も行いました。


写真中のナチス・ドイツの旗が時代を物語ります。

 
●40周年関連資料
昭和29年、宝塚歌劇団は40周年を迎えました。
この年の9月、元スターの佐保美代子が青函連絡船洞爺丸の事故により死去します。彼女のファンだった弥生子に与えた衝撃は大きく、以後、弥生子は宝塚歌劇から遠ざかることになったといいます。




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