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千島土地 アーカイブ・ブログ

1912年に設立された千島土地㈱に眠る、大阪の土地開発や船場商人にまつわる多彩な資料を整理、随時公開します。

追記・村山龍平と芝川家5 大阪殖林合資会社 経営地写真

2018-06-29 11:30:03 | 所蔵資料から
前回記事(村山龍平と芝川家5 大阪殖林合資会社)で、芝川家と村山龍平氏との共同事業である「大阪殖林合資会社」について書きましたが、社内にはこの経営地に関する写真アルバムも残されています。今回はアルバムの写真をご紹介しながら、経営地の様子を見ていきたいと思います。



社内のアルバムの写真が撮影された時期は不明ですが、大正あるいは昭和初期に撮影されたものではないかと思われます。撮影したのは芝川本店の社員で、業務というより視察を兼ねた社員旅行のような形で訪れたようにも見えます。

ルートは以下の通りです。



高野山大門にて(千島土地株式会社所蔵資料P42_002)
いざ出発!


新子渓谷(同P42_022)


新子の村を望みて(同P42_039)


新子 橋本旅館前(同P42_025)


護摩壇山へ向かって(同P42_006)
皆さん軽装だと思ったら…お荷物、持っていただいていたんですね。
ちなみに全員分の荷物を持って下さっているのは「人夫の小川氏」だそうです。
これだけの荷物を持って山を登るなど、都市生活者にはきっと真似できません。


笹ノ茶屋(同P42_027)


護摩壇山 頂上にて(同P42_009)


小森にて(同P42_011)




龍神温泉(上:同P42_023、下:同P42_013)


枯れ木の間より十津川を眺む(同P42_031)




小川山、龍神間の橋(上:同P42_029 下:同P42_026)
この橋、特に下の橋のなんとスリリングなこと!とても私は渡れません…。

いよいよ経営地に近づきます。



小川山の人家(上:同P42_014 下:同P42_050)


小川山の人々(同P42_016)


事務所(同P42_048)


小川山谷間(同P42_051)


小川山(同P42_053)


小川山 手入れ(同P42_057)






(上から:同P42_052、P42_055、P42_059)

経営地の山中はまさに道なき道で、うっかり入ると間違いなく迷ってしまうでしょう。
植林事業は、山、そして山の木を知り尽くした「山人」と呼ばれる現地の人々があってこその事業であったことを痛感します。



さて、これらの写真が撮影されるより前、会社設立後間もない頃に、社主である二代目芝川又右衛門が初めて経営地に入山した時の記録を最後にご紹介いたしましょう。

和歌山まで汽車にて、それより海岸を人力車にて走り、途中湯浅に一泊し、翌日、南部在の外山宅(南部に滞在し現地を監督した社員・外山秋作の家)に着せり。翌日、加藤助次郎なりしか、大和の山林家なりという者一人加わりて案内者となり出発せり。翁(芝川又右衛門)は駕籠にて、他は徒歩にて途中ある一小に一泊して入山せり。着山後に植林地を一見し事務所まで下りしに天気模様急に険悪となりければ、山に一泊の予定を変更し、休憩の後、早々帰途に就き、夕暗迫る頃ある一に一泊して外山宅へ帰り、また一泊の上出発帰途に上り再び湯浅に一泊して帰れり。
<中略>
この頃は事業着手後日尚浅く、何ら見るべき事績もなかりしが、途中にて山の稼ぎ人達が土下座して低頭平身して出迎え居りたりしには真に一驚を喫したり。山林巡視の際、山人は翁を背負わんとして背を翁に向け、如何に翁の辞するも聞かず、翁も否み兼ね彼等の好意を容れ、負われて山に登り巡視せり。(『芝蘭遺芳』p.321-322より)


これら資料に見られる山へ至る道、山そして山で暮らす人々の様子に、隔世の感を禁じ得ません。


■参考資料
『芝蘭遺芳』、津枝謹爾編輯、芝川又四郎、1944(非売品)
「店員生年月日調査表」、『大正15年度芝川店書類仮綴』(千島土地株式会社所蔵資料G00963_336)
『雇人証書』(同G01109)


※掲載している文章、画像の無断転載を禁止いたします。文章や画像の使用を希望される場合は、必ず弊社までご連絡下さい。また、記事を引用される場合は、出典を明記(リンク等)していただきます様、お願い申し上げます。


各地名所写真2 追記

2017-11-01 10:07:37 | 所蔵資料から
「各地名所写真2」に掲載された撮影地不明の写真について、古写真に大変お詳しい村上忠男氏から貴重なご教示をいただきましたのでご紹介いたします。


まずはこちらのお写真。

(千島土地株式会社所蔵資料P27_003)
長田神社(兵庫県神戸市)に似ている。


(同P27_008)
知恩院(京都)の御影堂と経蔵ではないか。


(同P27_009)
神戸停車場(神戸駅)に線路、ホームの配置が似ている。


(同P27_010)
堂島浜通にあった「大阪尋常中学校」(現・北野高校)
大阪尋常中学校は、この写真の撮影者・又三郎の母校でもあります。(明治24年入学、明治29年卒業)
なお、年譜*)によると明治27年に「写真術を葛城思鳳に問ふ(「思風」の誤りと思われる)」とありますので、在学中に撮影した写真なのかも知れません。


(同P27_011)
神戸・和田岬に明治23年に開設した遊園地「和楽園」。
奥に見える円形の建物は、勝海舟設計による砲台(現存)


(同P27_013)
「大阪偕行社(かいこうしゃ)」
旧陸軍将校の親睦と軍事研究のための組織。明治10年に東京で設立され、以後全国各地に設立されました。
なお大阪偕行社は私立小学校「大阪偕行社付属小学校」を付属し、これが戦後「追手門学院小学校」となりました。


(同P27_012)

(同P27_032)
神戸の湊川の風景に似ているとのこと。
現在、湊川は埋め立てられ、新開地となっています。


(同P27_016)

(同P27_035)
神戸布引の滝(雌滝)


(同P27_025)

(同P27_026)
堂島紡績
明治28年に日本紡織会社に合併された直後、失火により全焼しました。


(同P27_029)
神戸・舞子浜の松林に雰囲気が良く似ているとのご指摘をいただきました。


(同P27_038)
明石城跡(明石公園)


(同P27_031)
尻無川かも…?


(同P27_039)
唐崎の松(滋賀県)かも…?


こちらには掲載しておりませんが、いずれにも村上氏お手持ちの資料写真を添えて下さっており、とてもわかりやすく拝見させていただきました。ご教示本当にありがとうございました!



*)「紫草年譜」:『紫草遺稿 乾』に掲載


■参考資料
『紫草遺稿 乾・坤』津枝謹爾編、芝川得々発行、昭和9年
『ケース・スタディー 日本の企業家群像』法政大学イノベーション・マネジメント研究センター 宇田川勝編、2008年



※掲載している文章、画像の無断転載を禁止いたします。文章や画像の使用を希望される場合は、必ず弊社までご連絡下さい。また、記事を引用される場合は、出典を明記(リンク等)していただきます様、お願い申し上げます。

各地名所写真3 その2

2017-10-30 10:26:30 | 所蔵資料から
「その2」では、撮影地の特定が難しい写真をご紹介します。




福住橋(同P31_057)
橋の親柱から橋の名称がわかります。同名の橋が徳島県にあるようなのですが、果たして…?


(同P31_064)
写真裏には「唐人町」とありますが、どこの「唐人町」なのか、詳細はわかりません。


坪井乃流(同P31_072)
熊本の坪井川でしょうか。




そして以下は詳細不明の写真群となります。


(同P31_025)


(同P31_026)


(同P31_027)


(同P31_035)


運動会でしょうか(同P31_036)


(同P31_037)


(同P31_042)


(同P31_044)


(同P31_046)


(同P31_047)


(同P31_048)

(同P31_049)


(同P31_050)


(同P31_052)


(同P31_053)


(同P31_055)


(同P31_056)


(同P31_059)


(同P31_061)


(同P31_062)


(同P31_063)


(同P31_068)


(同P31_069)


(同P31_075)
※古写真にお詳しい村上忠男氏より「箕面の滝ではないか」とのご教示をいただきましたので追記いたします。


紀念碑(同P31_081)


写真裏の文字。「武雄(佐賀県)」でしょうか…?(同P31_082)


(同P31_084)


(同P31_090)


(同P31_091)


(同P31_092)


(同P31_093)


(同P31_094)


(同P31_095)


枚数が多いため非常に長い記事となってしまいました。
おつきあい下さった皆様、ありがとうございました!


※掲載している文章、画像の無断転載を禁止いたします。文章や画像の使用を希望される場合は、必ず弊社までご連絡下さい。また、記事を引用される場合は、出典を明記(リンク等)していただきます様、お願い申し上げます。

各地名所写真3 その1

2017-10-16 13:47:19 | 所蔵資料から
日本各地の名所写真シリーズ、第三弾です。

こちらも芝川又三郎撮影と思われるお写真となります。


前半は撮影地がわかるものからご紹介いたします。


大宰府 都督府古址(千島土地株式会社所蔵資料P31_024)
非常に見づらいのですが、写真中の石碑に「都督府古趾」と記されていることから、大宰府政庁跡(都督楼址)であるとわかります。


大宰府天満宮 相輪塔(同P31_031)
写真裏に「宰府」と書かれていることからの推測です。


筥崎宮(福岡県)(同P31_074)
又三郎の遺稿集『紫草遺稿』に「箱崎宮」とあることから。
写真裏には「若浜八幡」と書かれていますが、筥崎宮(筥崎八幡宮)の別称だったのでしょうか。


唐津橋(佐賀県)(同P31_060)


長崎港(同P31_088)


宇佐八幡(大分県)(同P31_073)



続いて、以下は耶馬溪の写真群です。

朝陽橋(同P31_033)


羅漢寺(同P31_041)


(同P31_067)


(同P31_054)
こちらは耶馬溪の「念仏橋」と思われます。


(同P31_051)
恐らくこちらも耶馬溪の写真と思われますが、確証はありません。


(同P31_066)
こちらも耶馬溪のようなのですが…。


(同P31_040)
こちらも耶馬溪ではないかと思うのですが…。
先の「朝陽橋」(同P31_033)の風景にもよく似ていますが、同じものではありませんので、橋の対岸かも知れません。



(同P31_030)
写真裏には「熊本●●●」と記されていますが、残念ながら文字の判読ができず…。
しかしこちらは熊本県庁舎のようです。


熊本第五高等学校(同P31_096)



さて、九州から北陸へ…

加賀山城温泉場(同P31_028)


加賀国山城温泉 倉屋(同P31_070)


加賀国大聖寺川上流(同P31_076)


加賀●大聖寺川上流に架かる蟷蟀橋(同P31_071)
「蟋蟀(こおろぎ)橋」の誤りのようです。


金沢兼六公園内霞ケ池(同P31_078)


金沢尾山神社(同P31_085)


別格官幣社 藤島神社(福井県)(同P31_029)
写真裏には「藤嶌神社」と記されています。鳥居の扁額は「藤嶋神社」となっていますね。


杉津(福井県)(同P31_032)
写真裏には「越前国杦津」とあります。


金ヶ崎宮(福井県)(同P31_083)



前回もご紹介した彦根の写真もあります。

彦根旧城(同P31_077)


彦根楽々園(同P31_079)



そして箱根のお写真も一枚。

箱根八里(同P31_089)



長くなりましたので、撮影地の特定できないお写真につきましては「その2」に続きます。



■参考資料
『紫草遺稿 乾・坤』津枝謹爾編、芝川得々発行、昭和9年


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各地名所写真2

2017-09-25 10:41:14 | 所蔵資料から
前回に引き続き、日本各地の名所を撮影したと思われる写真のご紹介です。

こちらも前回同様、芝川又三郎撮影の写真と思われます。

撮影時期は、又三郎が写真を始めた明治26(1893)年から10年ほどの間ですが、残念ながら撮影地などのメモ書きが殆ど残されておらず、詳細がわからないものもたくさんあります。

ご覧下さった方で、撮影地などがわかる方がいらっしゃいましたら、是非ご教示下さい!


それではさっそく画像をご紹介して参ります。

まずは撮影地がわかっているものから…


須磨寺(千島土地株式会社所蔵資料P027_001)
「道路の左の柵は若木の桜」と説明が添えられています。


北野天満宮(同P27_014)
扁額から「天満宮」と読み取ることができます。


海神社(神戸市垂水区)(同P27_020)


堂島の大阪商業学校(現・大阪市立大学)(同P27_023)
手前の橋は堂島堀川に架かる「新柳橋」


熊本第五高等学校(同P27_024)
こちらは又三郎の母校です。


熊本城(同P27_028)


耶馬溪 青のトンネル(大分県)(同P27_030)



続いて詳細のわからない写真です。


(同P27_002)
「菅公御手植の松」と記されていますが、菅原道真公が太宰府左遷の際に松を植えた…という伝承は各地に残されていることから、こちらがどの場所なのかは特定できていません。


(同P27_003)


(同P27_005)
東大寺南大門のようにも見えるのですが、少し異なるようにも見えます。


(同P27_018)
こちらは東大寺南大門で間違いなさそうです。
こうして見比べると、上の写真はやはり南大門ではないように思います。


(同P27_006)
鳥居の扁額の文字が不鮮明ながら「立幡神社」と読めるように思い、検索してみましたが詳細はわからずです。


(同P27_007)


(同P27_008)


(同P27_009)


(同P27_010)


(同P27_011)


(同P27_012)


(同P27_013)


(同P27_015)


(同P27_016)


(同P27_017)


(同P27_019)


(同P27_022)


(同P27_025)


(同P27_026)
火災でしょうか?上の写真の被害後の写真のようです。


(同P27_027)


(同P27_029)


(同P27_031)


(同P27_032)


(同P27_033)


(同P27_034)


(同P27_035)


(同P27_036)


(同P27_037)


(同P27_038)


(同P27_039)


(同P27_040)


(同P27_041)



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