@Guitar & Music & China

日本・中国を中心とした主に音楽と楽器を紹介します(節操はありません(笑)楽器は主にGuitarです)

【TRINITY AND BEYOND】THE ATOMIC BOMB MOVIE(DVD)

2006-04-10 | 音楽以外の映像系

突如余りにも毛色の違う物を紹介します。
”タワレコ(だったと思う)あたりで、メディアをボーっと眺めていた時に
ふと目に留まったのが、この”TRINITY AND BEYOND”でした。
手に取って裏を見ている内に興味が湧いて来て購入しました。

内容は、核兵器開発に至る経緯から部分的核実験禁止条約までを、実際の映像を元に
出来得る限り事実を伝える事を目的とした物になっています。




場面は”人類初の核実験の地(トリニティ・サイト)”の碑から始まります。
TRINITY SITE


そして、核爆弾の威力を測る為の指標とする為に100トンのTNT火薬を爆発させる
1945年5月7日の映像へと続きます。

TNT100T

TNT100T 爆破



この後、原爆開発に至る経緯が始まる1939年まで遡ります。
ナチスの台頭により、世界的な情勢不安の中ナチスが核爆弾を開発していると言う噂が流れ
それを阻止する為にも、アメリカも早急な核開発が必要だと言う
アインシュタインも連名でサインしたと言う書簡が大統領へ送られ
核開発競争が始まりました。

そんな中、ナチスが降伏し核開発の必要性もなくなったはずでしたが物理学者の性か
核開発は続行され、前出のTNT100トンの爆発力調査を経て、1945年7月16日の
世界初の核爆弾、コードネーム:トリニティーの実験成功へと繋がります。

TRINITY

TRINITY


この世界初の核爆弾は”爆縮型”呼ばれる長崎に投下されたタイプと同じ物で
核物質はプルトニウム-239が使われています。
構造的には、中央に臨界量のプルトニウムを置き星型に配置された火薬を
一斉に爆発させる事により、プルトニウムを一気に臨界点に持って行き
核融合反応を起こさせる物です。

こんな感じの構造になります↓
設計図



この時に出来た爆心地のクレーターの差により、爆発力を判定したようです。

※TNT火薬100トンのクレーター↓
TNT

※トリニティーのクレーター↓
TNT


広島に投下されたウラン-235を使ったタイプは、2つに分けたウランの一つを
やはり火薬の爆風により結合させ一気に核分裂を起こさせるタイプの物で
”リトル・ボーイ”以降、製作されていないようです。

日本に投下された”リトル・ボーイ””ファット・マン”共にカラー映像が
残されており、このDVDにも登場しています。

※リトル・ボーイ↓
リトル・ボーイ

※ファット・マン↓
ファット・マン


この映像を見て、ファット・マンの色がベージュだったと言う事を初めて知りました。
この後投下されたシーンが続くのですが、そのシーンは自粛させて頂きます。

そして、その僅か11ヶ月後にはビキニ環礁で”クロスロード作戦”と称して
早くも次の核実験が行われています。
空中投下・浅い海底での爆発・深い海底での爆発の3つの実験が予定されていたようですが
2回目の実験のコードネーム:ベイカー(水深27mで爆発)の破壊力が予想以上だった上
放射能汚染の深刻さから、3回目に予定されていたコードネーム:チャーリーの
実験は中止されています。

※ベイカーの爆発シーン↓
baker

baker

baker


さらには、いかに少ない核燃料で威力を増す事が出来るかと言う事に目を向け
プルトニウムの中に”トリチウム”と言う物質を埋め込む事によって
同量の核物質の2倍強の爆発力を得られる事が分かり、さらには通常でも
爆発時1000万度と言う高熱を発するにも拘らず、中心部分に重水素を仕込む事によって
より以上の熱核爆弾を開発して行きます。

コードネーム:ジョージ 225キロトン↓


※中心部分の球状の中身が液体重水素↓


※実際の重水素核爆弾”ジョージ”↓



そしてこの後、より強力な平気にする為に水素爆弾へと移行して行きます。
水素爆弾の詳しい原理は私も良く理解していませんのでウィキペディアを参照して下さい。

初の水爆実験は1952年11月1日にアイビー作戦で行われたコードネーム:マイクの
実験です。

マイク


この爆弾は湿式の水素同位体を使っており、重量は62トンにもなる為
実用的ではありませんでしたが、核爆弾史上初のメガトン級の爆発力を誇りました。

この後は、核爆弾をいかに効果的に爆発させるかと言う事に重点を置いて実験を進め
爆発力は小さくても、爆発させる高度により変則的な爆風が起こり、地上物の
破壊にはかなり効果的だと言う結果を導き出しています。

※砲撃により地上15mに置かれた核爆弾を爆発させるテスト↓




そしてこの後、アメリカの核実験史上最も破壊力のある水素爆弾の実験が行われます。
1954年の”キャッスル作戦”で使われた”ブラボー”がそれです。
当初軍はこの爆弾の規模を5メガトン前後と見込んでいたようですが
見事にそれは外れ、15メガトンの破壊力を発揮しました。

ブラボー

※爆発により出来たクレーター(直径1.8キロメートル)
クレーター


この時の計算違いによって起きた事故が、有名な”第五福竜丸”の被爆です。
安全区域で操業していたにも拘らず、米軍の計算ミスにより被爆してしまいました。

ここまでの水爆は、だんだん小さくなって来たとは言え、とても飛行機で運べる
代物ではありませんでしたが、1956年5月21日に実験が行われたコードネーム
チェロキー(3.8メガトン)で初めて飛行機での運搬・投下が可能になりました。

この辺りから、投下にはパラシュートが使われるようになったようです。
爆発力が大きい為通常投下では投下した飛行機が安全に退避出来ないようです。

チェロキー


この後、しばらくは地上での核実験が行われていましたが、1957年当時のソ連が
スプートニク1号の打ち上げに成功し、核搭載のミサイルを保有する可能性が
出来た為、核開発は宇宙へとその範囲を広げて行きます。

※地上80Kmで爆発させた水爆


この爆発により電磁パルス(EMP)が発生し磁気が乱れ、数時間通信不能に陥ったと言う事です。

さらには、バン・アレン帯で爆発させることにより、仮にミサイルを発射されても
制御不能に陥らせると言う実験も行われました。



1959年にソ連が核実験停止を表明し、アメリカもそれに追随せざるを得なくなり
2年間全ての核実験が停止されますが、1961年ソ連が通達なしに核実験を行い
アメリカもその報復措置として核実験を再開します。
(その時のソ連製の核爆弾は57メガトンの威力がありました)

両国の威信(て言うのかぁ?)を賭けて、核実験の応酬が行われた後
1963年、時の大統領ジョン・F・ケネディにより部分的核実験停止条約が締結され
大気圏内核実験は一応の終わりを見ました。
その間のアメリカの核実験回数は計331回、停止理由は大気汚染と言う事でしたが
”これだけやっといて何言ってんねん!”と思うのは私だけでしょうか?

今までの通例としては、欧米諸国がやりたい事をやりたいだけやっておいて
”気が済んだから後は禁止ね~♪”みたいな図式が見え隠れしますね。
有名なワシントン条約(絶滅に瀕する動植物の国際取引に関する条例)も
欧米の乱獲によって絶滅危機品種増えた為に制定された物で、エゴ以外の
何者でもないと思います(元々は守らんでもええほどおったもんやんけ!)

締結された後も、アメリカは地下核実験を続けトータルで実に1054回も
行われているそうです(地下ならええんかい!)
なお、部分的核実験停止条約が締結された1年後、中国が核実験に成功し核保有国になりました。

中国核実験

中国核実験


で、恐いのがそれに付随する軍事演習、みんな爆心地に向かって突進してる(-_-;

軍事演習

軍事演習


核汚染された人が大量に出ただろうなぁ・・・と思うのは私だけでしょうか?
なんにせよ、これだけ核実験が行われていれば、未だ影響があるのでは?と
思っても不思議ではないと思います。
人間てどこまでバカなんですかねぇ・・・ハァ~

蛇足:”トリニティー”と言う名前や”EMP"云々・・・
    MATRIXの監督はこれ見てたんですかねぇ??


※日本版はもう売ってないんですかねぇ?輸入品しか見つかりませんでした。
Trinity & Beyond: Atomic Bomb Movie

Goldhil Home Media

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おっきなジャケ写はこちら



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