明日は東京大空襲のあった日・・・父は一家で焼け出され、浅草から世田谷へ
悲劇ではあったかもしれないけど、そんなことがなかったら今の私はいなかったろうな
50歳過ぎて両親揃ってるなんて幸せだよ~
周りに何度も言われてきた
去年の誕生日に検査入院していた父に、退院した次の日パジャマや赤飯といっしょに
去年まで何度も贈ってきたパジャマが大いに役立ってしまった。
検査の結果、本人に余命1年と告げられ、
隣のまちの
大きな病院で春にサクラを眺め
同じ市のリハビリ病院で稲の穂を眺め
父と並んできれいな夕日を見た
早ければ3か月・6か月、長いと2年と言われていたけど、ちょうど6か月で旅立った。
連絡を受け職場に打ち明け駆けつけ1時間ーーー妻と子と孫たちに囲まれ
前夜話ができたし、お前だけに話したいと1週間前に2人だけで
2つとも
しっかりとした病院だったし、看護師さんたちが優しく
親身になってくれていた。たいへんな仕事に感服
自分で
母に電話したい時のためにテレカ、娘たちもあげていたから何十枚になったか
誰よりもわがままな患者で
焼き鳥が食べたいと言い出すと、行くたびに屋台に寄る
曜日によって違う店が出る
雨の日にも
ひたすら届けるのが続くーーー
お気に入りはレバー
サンドイッチを
喜ぶと、毎回コンビニに寄るのが続くーーー
豚角煮が気に入ると続き、気に入ったドリンクが見つかるとそればかりーーー
体に合わせた
病院の食事をいやがるので、チーママが代わりに食べること多々
後半は、毎回いちばん好きなうどんを母が茹でて運ぶことが最後まで
娘が親より先に白ちゃんパパを会わせ、喜ばせたのが何よりだった
いい旅立ちをさせてあげた!と誰もが悔いはないけど、
その後に残された店の処理・畑の仕事に