海流のなかの島々

狭く浅くな趣味のあれこれを
波の彼方から語ります

「バルトの楽園」 BANDOロケ村~歓喜の郷~ ③

2006-06-17 12:28:47 | 
最後で~す。


 

 製パン所。
 捕虜は、職業軍人より職人出身の義勇兵が多く、
 パン職人や大工、仕立屋など、それぞれの技術を生かして
 生産活動を行っていました。


 

 にわとり飼育場。
 地元の人がボランティアで制作。
 ただし監督から「きれいに作らないでくれ」と言われ、
 それが難しかったそうです。


 

 これはミルツという捕虜が収容所内に自前で建設して
 営業していたミルツ浴場のセット。
 お金に余裕のある捕虜が利用していました。
 もちろん一般捕虜用の公共浴場は別にあり。
 湯アカの部分は水性絵の具で彩色されてます。

 このようにお金と技術のある捕虜が、
 家具屋、菓子屋、アイスクリーム屋、肉屋などの小屋を建て、
 収容所内で営業活動を行っていたそうです。

 ここで「捕虜がなんでお金持ってるの?」という疑問が沸いてきますよね?
 当時は捕虜にも給金が毎月支払われていたんですね~。
 その他国元の勤務先や家族からの送金もあり、
 日本人に比べてもかなりリッチな捕虜がいたわけです。
 ただし階級の低い人は現物支給だったりして、
 捕虜の中でも貧富の差が大きかったようです。


 

 この浴場ではマッサージサービスもあり。
 信じられますか?マッサージを受ける捕虜。
 残念ながらこの浴場のシーンはカットされたらしいです。


 

 極めつけはこれ、酒保(バー)です。
 将校クラス専用で、スーツや軍服で正装した捕虜が、
 ここでお酒を楽しんでいました。

以上で~す
あとは肝心の映画を見なければ。


  

 売店で売っていたこちらの本を購入。
 今回の記事の参考にさせていただきました。
 写真やイラスト満載で、読みやすい本です。


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