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山岳ガイド赤沼千史のブログ

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13白馬岳清水岳祖母谷温泉10月5~7日

2013年10月10日 | ツアー日記

 当初の日程を変更して秋の紅葉大満喫コース、白馬岳から祖母谷へのツアーに出かけた。接近中の台風24号の影響だろうか、気温が高めで、白馬大雪渓の登りも、汗がじわりとにじむ。雪渓は至る所崩壊していて、右岸につけられた夏路から、杓子岳からの土砂の上を乗り越え、最終的に左岸に渡り葱平へ。雪渓自体は数メートル歩いただけで、ほぼ土の路を歩く。ここは右岸、左岸とも崩壊地の斜面を横切っていくので、雨の日などはおっかないなあと思う。大雨の時は歩かない方が無難だと思う。

 途中韓国人の団体を追い抜いた。一行はかなり疲れているようだった。聞くと朝7時に猿倉を出発したとのこと。僕たちは10時30分発だから、ここまで僕らの2倍の時間を掛けて登っていることになる。おまけにみんなバラバラだ。今年7月の中央アルプスでの韓国人パーティー遭難事故を思い出す。多分こんな感じの歩き方をしていたのだろうなと思う。ひとこと、みんな一緒に行った方がいいですよと申し上げたが、はいはいと言うばかりで、その気は全くないようだった。

崩壊する大雪渓

タムシバの実

雪渓脇ではまだ春が始まったばかりだったりする はて?間に合うのだろうか

シロウマタンポポか?ミヤマタンポポと区別しないという説もある

 白馬山荘では友人ガイドの計らいで特別室と言うところに泊めて頂いた。赤絨毯の廊下の奥にある角部屋で、入ると先ず控えの間があって一同腰を抜かしそうになる。ふすまを開けると格子状に細工目が施された八畳の和室。そして床の間があり、センスのよい鶏の掛け軸が飾られ、ここが山小屋なのだと言うことがにわかに理解できなくなる。窓を開ければ、劔岳、そして明日歩く清水岳方面の大展望だ。流石白馬山荘。こんな部屋があるとは。なんかそわそわして落ち着かないのだが、一生に何度もない経験をさせて頂き、BBガイドの家には足を向けて眠れない。ありがとうございました。(笑)

 羽布団にくるまって快適な朝を迎え、ゆっくりご来光を堪能してから、優雅に朝食を済ませ(流石に食事は他の方々と一緒です)、スタッフの方々に丁重にお礼を申し上げて馬場谷への下山を開始する。朝から気温は高めで、ほぼ無風である。この時期、ざっくざっくと霜柱を踏みながらの清水岳までの縦走をイメージしていたのだが、そんなものはどこにも見あたらぬ朝だった。

 清水岳までは、下ると言うより縦走するという感じだ。冬間近の稜線は枯れ葉が目立つが、足下に広がる斜面は錦の絨毯のようだ。清水岳から不帰岳避難小屋までの尾根の紅葉はに見事だった。どこまでも紅葉は終わらない。のんびりと下る。それにしても暑い。なんだこの暑さは?台風の接近に伴って、南から暖気が流れ込み、北陸地方がフェーン現象となっていることは容易に想像出来るのだが、冬間近の景色と肌に感じる気温との折り合いが付かず、僕の頭の中少し混乱気味だ。

冬間近

岩峰に錦

ウラシマツツジ

今年大群落を作ったコバイケイソウの咲トボリ

シェキナ、ベイビ! 内田裕也がいっぱいに僕には見える

清水尾根

ミヤマリンドウ

 この日のお客さんは三名様なのだが、昨日山荘で偶然であった常連さんの斉藤さんと一緒になって、賑やかに僕らは歩いた。百貫の大下りからは急な斜面をジグザグに下ったり、斜面をトラバースする場面が多くなる。足場の悪い沢を何度も超える。直径が1メートルを越すような倒木も、トラロープを頼りに、エイヤッと越える。不帰岳避難小屋までは、快適のんびりルートだが、後半は細心の注意が必要だ。やはり雨の日は大変なルートである。

実は暑いのです

オヤマボクチ

猛暑の空に紅葉

オオカメノキ このグラデーションパターンは無限にあってついついシャッターを押してしまう。

 ここ富山でも今年は山葡萄が大豊作のようだ。手の届くようなものはそうそう無いが、少しだけほおばれば、口の中に果汁がほとばしり出る。栽培品種にはない野生の味は、僕らをリフレッシュさせ、祖母谷温泉に下るための最後の力を与えてくれるかの様だった。馬場谷の沢床が近づきやがて、林道に出会う。祖母谷の源泉を過ぎると川の水は白濁し、強烈な硫黄臭が辺りに満ちていた。何故か、ミンミンゼミが鳴いている。大きな鉄橋を左に見るとその少し先に今日の宿「祖母谷温泉」がひっそりと立っていた。

 猛暑の一日、8時間をかけて下って来たのだ。広々とした温泉のなんと気持ちのよい事だろう。日頃、風呂などどうでよくてシャワーで十分と思っているこの僕だが、この日露天風呂3回、内湯1回の計四回も風呂に入ってしまった。何故かは解らないのだが、ここの風呂を僕は大好きなのだと感じる。お湯の質も好き、風雨にさらされザラッとしたモルタルの感触も好きである。

 最終日は欅平から黒部峡谷鉄道トロッコに乗り帰路についた。糸魚川へ停車しない特急に乗り込んでしまった間抜けな僕だが、その遅れを差し引いても大糸線への乗り継ぎは最悪に悪くて、馬場谷を朝立って我が家に帰りついたのは夕方になってしまった。すぐ裏山の温泉に浸かっていただけなのに。もしかして一人なら、再び紅葉の尾根を登り、大雪渓を下った方が早かったのかも知れないと思うのだ。近くて遠い秘湯なのであった。

斉藤さん 翌日下廊下へ登って行かれた

脱衣所のウスタビガ?ちょっと緊張して服を脱ぐ。(笑) かつて我が家の先祖はこの蛾の繭から糸をとり生業としていた


13戸隠西岳縦走10月3,4日

2013年10月07日 | ツアー日記

マユミ1

 今年は木の実が大豊作なのだと思う。この戸隠西岳ツアーの第1日目は戸隠連峰南端の一夜山に登る。歩く距離は登りで1時間足らずである。登山道というか、古い作業道が頂上まで続いていて上部は急ではあるが、のんびり歩けるのだ。その作業道脇に目立つ、マユミ、ツリバナ。例年に比べてやたら目立つ。大きな枝振りのツリバナに関しては、僕が生涯見たツリバナの木としては最大で、最多の実をつけているものがあった。一本の木に推定200~300個ほどの可愛らしい実がぶら下がる。鈴なりとはこのことだ。こんなのを僕は見たことが無い。若い頃には気がつかなかっただけかも知れないが、とにかく初めての事なのだ。まだ見ぬ世界というものはあるもんだなあと今更ながら驚いてしまった。翌日歩いた戸隠自然観察園でも状況は同じで、ツリバナ、マユミの数はすざまじい。

 それと、なんと言っても山葡萄。一夜山の登りで見つけた山葡萄はそれこそ鈴なりで、これに関しても史上最高であると僕は断言する。昨日歩いた馬場谷でも状況は同じ。地域を越えて、こんな風に植物は共鳴しあうかのようにシンクロし、豊かにその実をつける。何故なんだろう?気象条件だけの問題なのかなあ?十年とか二十年とかの周期で現れる特異な大豊作年なのだろうか?誰か知っているかたに教えて頂きたい。

ツリバナ1

ツリバナ2

 さてその登りに見つけた山葡萄。その山葡萄に既に僕らの心は登る時には奪われていて、一夜山の頂上に着いても気はそぞろで早々に下山して山葡萄採りに没頭したのだった。お客さんのM下さんは、そのヤンチャぶり全開で、葡萄のツルが絡みついたさして太くもない木に登って夢中でそれを採っている。危ないから降りてと言ってもおりて頂けないので放っておいた。ぼくも、同じようなもんで渾身の力を振り絞ってツルを引き収穫に没頭した。房の数も凄いが、一房の大きな事。全くならない年だってあるというのに。

 30分程葡萄の木と格闘して集めた量はなんとバケツ3杯分に達した。なんとも言えないこの充足感。人生の中で何度か訪れる超ハッピーな一日にこの日の我々は遭遇したのだ。ほおばればその濃厚な野性味が僕の口の中を支配する。解散時に三人で分けて、それぞれ家まで持ち帰った。いま、その山葡萄は僕の家のホーロー容器の中でブクブク言っている。

大豊作山葡萄

ヤンチャぶり全開

バケツ3杯もの山葡萄

オオカメノキ1(紅葉していく様には色んな表情がある、そんな変化が僕は好きだ)

  二日目まだ空けやらぬうちに戸隠奥社の参道を歩き八方睨を目指した。辺りは深い霧が立ちこめ、少し不安な朝だったが、蟻の塔渡り付近では、その霧を突破して、目指す西岳が姿を現した。塔渡りでは、見えなくても言い足下が丸見えで、今更ながら、ここはおっかないなあと思う。穂高の長谷川ピークや馬の背がいくら恐いと言ってもここより全然ましだ。お客さんには一応、ロープを張って渡って頂く。八方睨みに着く頃から、いったん沈んだ霧に稜線が呑み込まれて、以後この日は視界の無いなか、西岳を目指す。登山道は綺麗に何年か置きに行われる笹狩りがされて、ありがたいことだが、急斜面を上り下りする際の手がかりに乏しく、痛し痒しであった。

戸隠西岳

蟻の塔渡り

 

蟻の塔渡り通過

霧まとう戸隠山

 この日会った登山者はPIで出会ったカップルのみであった。ここのところ雨が降っていないので、粘土質の登山道は滑りにくく快適である。この西岳周辺は、雨の日には立ち入らないほうが懸命だ。降雨後直後も辞めた方がいい。しかも、今年のように手がかりに乏しい時はなおさらで、ハンパ無く滑るから滑落の危険性も相当高くなる。好天時のみ許される山だ。

 危険箇所では何度かロープで確保をしながらP1尾根を下山する。「無念の峰」「熊の踊り場」不穏な地名がつけられている。直ぐ近くでボコボコと何かの音がする。その正体は未だに不明だが、ここ十年ぐらい前から、頻繁に聞くようになった。それは、マウンテンゴリラが胸を叩く、ドラミングのような音と言ったら良いだろうか。低く、力強い音。一昨年の猫又山ツアーの時もこの音が頻繁にして、最終的に「ウギャーー!」という声と共に、突進され掛かった事があった。感じとしてはほんの数メートルまで詰め寄られた。だが、姿は一度も見ていない。前は熊かなあと思ったのだが、猟師に聞いても熊はそんな音は出さんと言うし、その音を聞く場所はある程度限定されていて、若しかしたらそれはイノシシなのではないかと最近は思っている。イノシシの生息域と何となく重なっている気がするのだ。この件もどなたかご存じの方がいたら、教えて頂きたいのだ。

P1尾根を下る。岩と粘土質の垂壁が多い。

オオカメノキ2

カエデ1

カエデ2

カエデ3

 激しく不安定なP1尾根も下部では穏やかな斜面となり、やがて大平の放牧場にでる。そこからいったん楠川へくだり、反対側を登り返せば鏡池にでる。もうすぐ鏡池は交通規制が張られ、シャトルバスで訪れなければいけないシーズンとなる。紅葉と共に池に映る戸隠連峰を狙って、大勢のカメラマンが訪れる事だろう。もうじき紅葉が里まで駆け下ってくる。今年の紅葉は素晴らしいと僕は予測する。暑い夏、雨も適当に降った。こういう年は大概紅葉も素晴らしいのだ。

アケボノソウ

トクサ(砥草、その名の通りこの茎は天然の紙ヤスリだ)

フッキソウ(こちらも大豊作、真珠のような美しい実)

ツリバナ3

イワガラミ

マユミ2(なぜ、こんなにも華奢な実り方をするのだろう?)

マユミ3

 戸隠神告げ温泉にて入浴、珍しく空いている「うづら屋」これは千載一遇のチャンスと蕎麦を頂く。戸隠一の大人気店。これから紅葉シーズンは長蛇の列となる事は間違いない。大人気店でありながら、接待は非常に丁寧で、その蕎麦には誠実さが溢れている。

戸隠「うづら屋」の蕎麦(戸隠の銘店である、中社前の大人気点)

 

 

 

 


中秋の名月 剣岳北方稜線9月18~20日

2013年09月22日 | ツアー日記

りんどう池付近

 立山室堂から雷鳥沢に向けて歩いていくと、みくりが池のところで地獄谷へのルートを分ける。しかし、ここは震災後、異常な火山性ガスの噴出が続いているため現在立ち入り禁止となっている。分岐には新たに鉄製の頑丈なゲートが設けられ、事の重大さが見て取れるのだ。みくりが池山荘の先へ進むとりんどう池にいたる。ここは、まさしく死の谷と化していた。今年の7月訪れたときは、まだ命を繋いでいたはずのハイマツや、ミヤマハンノキやチングルマがことごとく死滅して、かろうじて、ガンコウランとか、クロマメノキが生きながらえている。この谷は、地獄谷からの噴気が西風に煽られて、最も濃度高く入り込むところだ。この日は、風が室堂駅方面に流れていたのでよかったが、いつもなら、鼻はツンツン、目はシバシバとして、息を吸い込むこともはばかられる様な強い亜硫酸臭がする。

 100年来起きなかったことが今この足下で起きている。長い宇宙の営みの中で、僕ら人間がその目に出来る事がらは、ほんの塵の一粒にも満たないものなのだろうと思う。だが、そんな小さな出来事にさえ僕らは翻弄され、恐れ、終いには畏敬の念を抱かざるを得なくなる。おそらく、薄氷一枚程の微妙な環境の上に僕らの命は繋がれている。そしてそれは、まさしくこの世が奇跡の場所なのだということだと思う。

枯れたハイマツそして地獄谷の噴気

剣岳

 佐伯友邦さんだ。言わずと知れた剣の主だ。誰がなんと言おうと。僕はここ剣岳に訪れる場合、友邦さんが経営する剣沢小屋を利用している。ここに顔を出さずに、剣沢を通過すると言うことは出来ない。と言ってもそれは、決して威圧的なものではなくて、友邦さんの物静かな優しい笑顔に引きつけられるといったものだ。

 僕がまだ若かりし頃、友邦さんに少しぶっきらぼうな富山弁で声を掛けられた。

「あんた、なんで声を掛けていかんが?あんた、ガイドやっちゃ?」

剣沢雪渓は、毎年その状況が大きく変わる。それは日々変わっていると友邦さんは言う。知ったかぶりをして、お客さんを連れ雪渓を下ろうとしていた僕は、己を恥じた。そうなのだ、非常に不安定な雪渓だから、それを知る人の話は聞いていくべきなのだ。実際10年ほど前になるが、ツアー登山のガイドが、雪渓を踏み抜いて未だに行方不明となっている。秋に向けて雪渓は次第に薄くなり崩壊していく。それは、毎年同じものではない。

 友邦さんと息子さんの新平君は、日々ここを通過する登山者に道の状況を説明している。手書きの地図をコピーしたルート図に赤ペンで書き込みながら、一人一人に丁寧に説明してくれいるのだ。そのために数日おきに現場を見に行ったりもしている。それは、実に大変な事だ。ここ剣岳を知り尽くしているからこそ、その情熱は失われないし、この親子の誠意に守られて僕らは安全な登山が出来ているのだと思う。頭が下がる思いだ。

佐伯友邦氏

 この一見ホームレスのおじさんみたいな人は国際ガイドの多賀谷治氏だ。(多賀谷さんごめんなさい!)よく見れば、サングラスもかっこよし、タオルのかぶり方だって普通じゃない。(少しもちあげて)そんじょそこらのホームレスとは訳が違う、正真正銘の剣沢のホームレスなのだ。(またまたごめんなさい))しかもあの長谷川恒夫の弟子なのだ。少し体調を崩してしまい、その体調管理のためテント暮らしをしているのだという。

2008年7月初旬、別山乗越を越え室堂に下山しようとしていた僕に、多賀谷さんが声を掛けてくれた。

「あんた、ちょと手伝ってくれんかのお?」

折しもその時そこには、「剣岳 点の記」の撮影隊が居たわけで、撮影は佳境を迎えていた。多賀谷さんはそのガイド統括をしていて、ガイドが足りないと言う事だった。それであちこちで見かける僕に、とっさに声を掛けてくれたらしいが、お陰で僕は翌日から「点の記」の撮影隊に混ぜてもらう事になった。

 浅野忠信、香川照之、松田龍平、仲村トオルなどなど、蒼々たる人気俳優さん達と大がかりな撮影隊、ガイドを含めた総勢は50人を越していただろう。その撮影隊が、寝食を共にして移動しフィルムを回していく。木村大作監督の現場主義が貫かれ、わざわざその場に行って撮影が行われた。天気が悪ければ停滞。山小屋がいっぱいの時は、テントにも泊まる。僕が関わらせてもらったのは、ほんのわずかな間だったが、始めて体験する貴重な経験だった。

 久しぶりにお目に掛かったし、体をこわしている事も聞いていたので思わず僕は彼にハグをしてしまった。そのからだは少し痩せたようだが、その明るく力強く、そして少し悪戯っぽい笑顔は健在だった。多賀谷さん、感謝してますよっ!、頑張ってね。

多賀谷治氏

鹿島槍

 二日目、剣岳の岩場の渋滞を避けて、僕らは早朝に出発した。天気は雲一つない快晴。夜が明けると、うっすらとたなびく朝靄に太陽の光が透けて、レンブラント光線が美しい。朝焼けがそれほどでなくても、これだけのクリアーな光を浴びて、岩稜を行くのはとても気持ちがいい。心の底に吹きだまった、訳の分からないもやもやした糸くずみたいなものが次第にほどけて、風に飛ばされていく。そんな感じだ。この日は終日晴れ。僕らは剣岳頂上を越えて快適に北方稜線を北へ向かう。

剣御前 遠く薬師岳

レンブラント光線

我らの影 前剣の門付近

八つ峰のクライマー

氷河小窓雪渓

 池ノ谷ガリーを下り三ノ窓、そして小窓の王を巻くと小窓の領域に入る。小窓雪渓は、近年それが氷河であることが証明された。要するに、この雪は時と共に下流へと動いているのだ。通常の雪渓は動くことはない。氷河と思うとそれだけで、なんかドキドキするのだが、その姿は昔と変わらない小窓雪渓だ。傾斜は緩く、敢えてアイゼンなど必要ないが、あった方が快適かも知れない。

 小窓雪渓から鉱山道に入る。結構緊張するトラバーズ道だ。この鉱山というのは、大正から昭和に掛けてあった、池ノ平モリブデン鉱山の事で、池ノ平小屋の菊地さんによると、採掘のピークは3回あって大正、太平洋戦争中、そして朝鮮戦争のころだという。特に、大正期は世界一のモリブデン鉱山であったという。小屋周辺にはいくつかの坑道があって、そこから掘り出した原石を砕いて、モリブデンを剥離させ集めて、背負い降ろしていたらしい。モリブデンは鋼材に混ぜると、耐熱性があがり、エンジンのピストンや回転部分、銃身などに使われた。ここで採掘されたモリブデン鉱が、零戦へとつながり、やがて、知覧へ、そして、朝鮮半島分断へと続いているのだ。

モリブデン原石

バッタくん

ルリボシヤンマ

十五夜の月に八っ峰

 池ノ平から、本日の宿仙人池ヒュッテへ。ご覧になっている写真は幻でもトリックでもない。そのまんまだ。僕は、この裏剣の景観は、日本屈指の絶景であると思っている。では、他は何処かと聞かれたら、どこと答える事は出来ないのだが、ここだけは絶対外せないと思うのだ。裏剣の大岸壁が、鏡のような仙人池に映る。朝な、夕な、夕焼けや朝焼け、雲や星を背景に、この世のものとは思えぬ光景が僕らを魅了する。これはもしかして、幻ではないのかと疑念を持つほどである。でも、ここに数日間滞在する常連さんのカメラマンは、ここのところ天気が良すぎてまったくつまらんという。毎日同じだと。こんな、素晴らしいのにね。そう、彼らが待っているのは、本当に全てが完璧に仕組まれた、奇跡の一瞬なのだろう。健闘を祈る。

朝日を浴びる裏劔

完璧な鏡面そしてシンメトリー

 最終日、僕らは仙人新道を下って二股から剣沢をしばらく登り、梯子谷乗越を越えた。下ればそこは、黒部の隠れ里、蔵之介平だ。年々道が悪くなって、若しかしたら、北方稜線よりも緊張する道を下って黒部川へ出会う。水平道を遡れば黒四ダムだ。人の行き来も稀な静かな山道からいきなり、観光客でごった返すトロリーバスの駅舎に入ると、いつも僕の心の中には小さな混乱が生まれる。果たして、どちらが本物の世界なんだろうかと。

紅葉?・・・・・・オオカメノキ

 

 

 

 

 

 

 


北穂高岳東稜と前穂高岳北尾根登攀9月9~11日

2013年09月17日 | ツアー日記

 快晴の中僕らは北穂高岳東稜に取り付いた。メンバーはお客さんお二人と、前日涸沢小屋で一緒になった西穂山荘常務の粟澤さんと僕だ。前日僕らが涸沢小屋のテラスについたとき粟澤さんが、お供の従業員君といっぱいやっていた。

「あれーー!粟澤さん、なにやってんの?山荘は?」

聞けば、今朝、西穂高山荘を出てジャンダルムを越えここに着いたという。明日はどうするの?と聞いたら、仲間とここで待ち合わせて北穂の東稜へ行こうと思っていたのだけれど、のっぴきならない事情でキャンセルになったから帰ると言う。じゃあ、僕らが明日行くから行きましょうよ、ということで、即席チームのできあがりとなったわけだ。

 北穂東稜と前穂北尾根はよくセットで登られる、バリエーションの大人気ルートだ。東陵は「ゴジラの背」があまりにも有名な快適ルート。乾いてしっかりした凝灰岩は、ざらっとした感触で、フリクション(摩擦)がよく効いてとても気持ちいい。クイクイッと登る感じ。

 ゴジラの背では、後から登ってきたとてもキュートな女性ガイド「れいな」ちゃんご一行様と別の二人組が一緒になってプチ渋滞が発生、僕らは先に行かせてもらった。ゴジラの背は両側がすっぱり切れ落ちた岩稜だから、ここだけは、しっかりとロープをフィックスして確実に越える。最後いったん小さなコルに下るのだがここもロープを使ってクライムダウンし、核心部はおわった。あとは北穂の小屋目指して岩稜を登っていくと北穂の小屋だ。ここで松本へ下山する粟澤さんと別れ、時間もあるし、奥穂の小屋まで縦走して涸沢小屋に戻った。

高度感バツグン

 ゴジラの背

すっくと立つ凛々しき雷鳥

グラスの底には涸沢テント場、すすむんだなあこれが

 翌朝は朝弁当でヘッドランプで出発した。昨日の渋滞を考えると、一番乗りが得策と思ったからだ。ちょっと見回しただけでも4パーティーは確実だし、核心の三峰辺りで待つのは辛いから。お陰で、素晴らしいモルゲンロートに出会う。常念山脈から未だ登り切らない太陽が、穂高の岩峰を真っ赤に染めて、お猿の顔も真っ赤っかだ。

 五六のコルで先行の二人を追い抜いていよいよ北尾根の登攀にかかった。五峰は難なく越えるが、四峰は少しややこしい。ルート取りによっては難易度が高まるし、抜けそうな岩が沢山あって変な緊張感を感じる上りだ。通過方法は全く人それぞれ、ガイドによってもみんな違っているのかも知れない。

 四峰に立つといよいよ三峰がそそり立っているのが見える。ここが北尾根の核心部だ。ワンピッチいっぱいの(ロープの長さ50メートル)下部岸壁と、上部はいくつかのチムニーで構成され、クライミング要素が強いしその高度感はバツグンだ。こんなところ登れるの?と感じさせる威圧感がある。

 少し休んでから気合いを入れて岩に取り付く。後続は未だやってこない。先行も居ないし、追われる事もない。空は深く蒼く風はそよぐ程度だし、カリカリに乾いた岩はフリクション(摩擦)が効いてすこぶる気持ちがよい。三峰岸壁の狭いバンドを斜上すると、奥又白側はすっぱりと切れ落ち凄い高度感が味わえる。天下のディズニーランドにだって、こんなアトラクションはあり得ないし、これは山をやる人間が精進の末に味わうことの出来る特別な体験なのだ。上部で支点をとってお客さんを迎え入れる。確保点からは登ってくるお客さんは全く見えないが、落ち着いて登ってくれているようだ。僕が引くロープが順調に上がってくるのが解る。顔が見える、お客さんはニコニコだ。ほっと一安心、ガイドって良い仕事だなあと思う瞬間だ。

 上部チムニー群は短いピッチの連続なので、お互いが見えるし安心感がある。ワザワザ難しそうなところを登ったりして楽しんで登る。何もかも、全てが岩だらけだ。

 三峰を越えるとそこは直ぐ二峰だ。一二のコルへクライムダウンで慎重に下れば、後は一峰に登るだけ。頂上は目と鼻の先だが、ここで安心してはいけない。以前のことだが、この一峰へ登る時のこと、お客さんと未だロープを繋ぎあったままの状態で僕らはリラックスして一峰へ登っていた。その時、僕がなにげに手を掛けた小錦関ほどの岩が、ゆっくりと、まるでそれはスローモーションの如く動き出したのだ。

「逃げろ!」

 僕は叫んだ。その大岩はやがて転がり始めお客さんの直ぐ脇をかすめて奥又白側にすさまじい音を立てて落ちて行った。血の気が引いた。震えが止まらなかった。幸いにも、大事には至らなかったが、繋いだロープごと引きずり込まれる可能性もあった。大きな岩だからといって、全てがそこにデンと構えているわけではなくて、微妙なバランスの上ににかろうじてそこに座っているものがあるの。岩登りと言う行為のリスクには、そう言ったどうしようもない要素もあるのは事実だ。自分の技量とは別に、これは運みたいなものなのかも知れないが、そういったものに出会ってしまう事がある。しかし実はそれが、僕らが山に惹かれる最大の理由なのかも知れない。要するに「ハイリスク、ハイリターン」ってこと。安全ばかりを考えるなら、山なんかやらない方がいい。でしょ?

垂壁、おしっこチビリそう!

 慎重に登って前穂の天辺に到達した。ガッツポーズ、そして、握手。一般道から登ってきた登山者の方にシャッターを押してもらう。最高の気分だね。心の底からほっとするこの瞬間、僕はこの瞬間が大好きだ。

 秋の気配を感じさせる蒼い空の下、岳沢へ下る。甘く見ているわけではないが、一般道ってなんて楽なんだろうと思う。すいすい、ぴょんぴよん、イケナイいけない、調子に乗ってはいけません。

秋の気配が

 岳沢では、支配人の坂本君は水場に出かけていると言う事で会えなかったが、キベリタテハ(黄縁立羽)が僕らを迎えてくれた。蝶は大概近づくと逃げる。だが、彼らには何か目的があって、そこへ来たくて仕方が無いことがある。以前に撮った、カラスアゲハはどうしても水たまりの水を飲みたかった。そして今回この子の目的は、僕のザックの汗を吸いたくてウロチョロしているようだった。僕はザックの脇でモノになりきってしばらく待つことしたが、案の定彼はやって来て肩紐にとまってちゅうちゅうやり始めた。でも、未だ我慢する。しばらくして、カメラを向けたが、もう彼は僕のことなんかさほど気にしていない様子だった。何枚か撮影して満足した僕は、ちょっと悪戯心が沸き上がった。そーっと彼の触覚に触る、彼は逃げない。羽の先に触れてみる、まだ全然大丈夫。閉じた羽を押して、彼が横倒しになるぐらい押してみる、が、これも平気。一心不乱に、僕のザックの汗を長い吸い口を出して吸っている。よほど僕の汗が美味しいのか、恍惚の表情を浮かべて(実際解りませんが)汗を吸うキベリタテハ。かわいさを通り越して、愛おしささえ感じる。なんか悪い気はしない。キベリちゃん、その後、下痢しなかったかい?

ミヤマシシウド 高級なレースのようだ

 今回は、翌日からのBS TBSの撮影の関係で一日日程を早めての催行だった。結果、最高の天気での登攀が出来たのはラッキーだった。翌日は雨模様。Sさん、Fさんありがとうございました。

風呂に入り松本駅解散。あーー満足。

 

 


北鎌尾根撤退8月22~24日

2013年08月29日 | ツアー日記

 

 北鎌尾根でのテント泊を諦め、僕らがヒュッテ大槍に入ってしばらくすると、近くで雷が鳴り始め、断続的な激しい雨が小屋を襲った。太平洋高気圧が南に下がって秋雨前線がこの付近を南下中なのだ。その雨はまるで滝のようで、里の雨ではなかなか経験の出来ない程のすごさだった。風も唸りを上げている。同宿のお客さんたちも次々に土間に出てニコニコ記念写真を撮ったりしてる。安全な場所から見るこんな自然現象は、なんか心躍るものがある。これが、予定通りの北鎌尾根のテントサイトであったら、僕らは今絶望の淵に立っているだろう。だが「対岸の火事」ってやつは、人の心を高揚させる。全く不謹慎だが、大雨でも火山の噴火でも、そして東日本大震災でも、それは間違いなく僕を高揚させる。この不埒な心模様。そして、結局はショックで打ちのめされる。震災後の復旧が全く進まなくて苦しんでいる方々に全く申し訳無いことだ。

 この日、島根県では「過去に経験のない大雨」に見舞われた。それにしても雷まで鳴るとは、今までの秋雨前線ではあまり経験のないことだが、最近はそんな事も普通になってしまった気がする。翌朝早朝発で一日での北鎌尾根踏破を目論んでいた僕らだが、暴風雨は明るくなるまで続き、僕らは上高地への撤退を決めた。北鎌沢は今頃滝のようになっているに違いない。

 次第に回復しつつある空が恨めしい。

 

雲が上がりつつある。

マスタケ(味のない鶏ささみのような食感のキノコ、色がマスの肉色に似るのでこの名がある)

静かな水面に緑


13黒部川上ノ廊下遡行「祭り」

2013年08月20日 | ツアー日記

 黒部川上ノ廊下は、黒部ダム上流の東沢出会いから上流の薬師沢出会いまでの間を言う。黒部川は日本有数の大河であり、しかも、北アルプス鷲羽岳をその源とし、富山湾に注ぐまでの標高差が大きく流程が短いので日本第一の急流である。この上ノ廊下の遡行は沢屋なら誰でもが憧れる本流遡行の集大成なのだ。僕らが毎年ここを遡行して、いったい何年になるだろう。10数年になるだろうか。ここには数々の思い出と、撤退を含めた苦い体験の場所でもあるのだが、その反面、上ノ廊下は僕らを強く引きつけ捕らえて離さない。季節は夏、何を置いても僕らはここを訪れることを優先させている。謂わば、「ライフワーク」なのだ。そして、今回歩きながらガイド達は考えた。僕らにとってここはいったい何なのか?そして気がついた、それは・・・・・・・「祭り」であると。

黒部側の洗礼 ワッセワッセ言いながら腰を入れて渡渉する

水面を引きずる、それもアリ!

とびこめーー!これもアリ!

ロープで強引に引っ張る、これだってアリ!

大淵の脇を水中ヘツリ

口元のタルゴルジュの弱点を探す小林と西山

口元のタルを引き抜く

 上ノ廊下には口元のタル沢という核心中の核心部がある。ここは200メートル程続くゴルジュ帯であるが、両岸が岸壁に因って狭められ、巨大な淵と大岩が積み重なった白泡の落ち込みが連続し、しかも抜けきるまでいっさい陽が当たらない。ここの突破は容易ではなく、且つ毎年その状況が変化するので、一定のセオリー見たいなものは通用しない場所なのだ。上ノ廊下全体がそうであるのだが、ひとたび大雨によって大激流になると河床は一変し昨日とはまるで違った場所となってしまう。「あれ?こんなとこあったっけ?」それがここの遡行の楽しさであり、何年訪れようが僕らを飽きさせない理由でもあると思う。その、もっともエキサイティングな部分がここ口元のタルで、ここを突破出来るか出来ないかが遡行の可否を決定していると言ってもいいだろう。左岸をへつって激流に飛び込んだり、右岸の壁のバンドを斜上して懸垂下降をしてみたり、その方法は様々だ。だが、大高巻きはなるべくしない。高巻きは体力と時間を消費し、何より墜落など可能性があり非常に危険である。なるべく水線通しに行くことが沢の鉄則である。そうであればただ流されるだけで済む。(笑) 

口元のタルを突破、みんなニッコニコ。 ザックをウキ代わりに、別に泳げなくても大丈夫です、マジで。ガイドが引っ張るんだから。

歓喜!祝福!のシャワー

上ノ黒ビンガ

 今年は一粒の雨に降られることもなく快調に遡行は続いた。だがスクラム渡渉(支え合って対岸に渡る技術)の他にロープを使った泳ぎと渡渉は頻繁で、いったい何度それを使ったのか数えることが出来ないほどだ。近年沢が土砂に因って埋まり気味であったのだが、浅くなっていた淵がここ数年で次第に深くなりつつある様な気がする。河床が安定して、岩盤も現れカチッとした歩行感覚が味わえるが、渡渉自体は深い分難しくなる。でも、そこがこの上ノ廊下の醍醐味だから僕らは楽しくて仕方がない。毎年このお盆頃に登るのも、その水量が目当てで、9月の渇水期などには、スクラムを組むこともなく、ただただ、パシャパシャ歩いて終わってしまう事さえある程だ。そんな上ノ廊下は楽しくないし、僕らは認めない。この時期黒部の水は冷たく重い。他の川では味わえない重量感がある。上ノ廊下は別格なのだ。

対岸から薪を運ぶ

完熟バライチゴ

蕎麦掻き(自家製粉) 美味いぜこれ、酒が進む

西山が釣った黒部岩魚27センチ

皮むきを西山に伝授

 岩魚とアボカド、マヨネーズ、醤油、ワサビ和え

岩魚のなめろう 絶品!

岩魚の握り なんて素敵な夕食、小林作 豪放にに見えて繊細な男。僕はめんどくさくてここまでしない。

朝の鄙寿司 目に鮮やかな食事は元気の素。うまかった、さあ行くぜ!(海苔忘れた)

お客さんはテント、ガイドは左のタープに潜り込んで寝る

一日目の夜、金作谷

二日目の夜 上の広河原 なんか怪しげだが、和やかな夜。

 沢中第1日目の宿を金作谷出会いに求め、翌日朝一番の大淵に飛び込む。黒部側の川幅はいきなり10メートル程に狭められ、淵の深さも5メートル以上はあるだろう。もちろん陽射しは入らず、全身ずぶ濡れの我々はガタガタと震えロープ渡渉の順番を待つ。早く歩こうよ!しばらく続くこの付近のゴルジュ帯突破は泳ぎ、ロープ渡渉、ヘツリの連続で実に面白かった。抜け出たところで陽の当たる大岩にみんな抱きついて体を温める。お日様って素敵!

黒部の白い石は陽が当たればとても暖かい、あったまろう

ここの水流が一番強烈だった。背の高い僕でいっぱいいっぱい。突破後、ロープを使ってアシストする

降り注ぐ光

簾滝

朝一番で泳ぐ、なんてこたあない、気持ちいい。

金作谷上部ゴルジュ帯の始まり始まりーーー。

ドン深スクラム渡渉

 沢中二日目の宿は立石上部の広河原とした。ここは安定した河原で釣りにも向いている。以前ここで大増水に見舞われたことがあった。夜半から降り始めた雨は早朝、我々のテントサイトを中洲にし始めていた。

「逃げろ!」

テントを丸ごと引きずって慌てて山に退避。お客さんのテントは何とかひと張り張れたが、僕らガイドは激流が直ぐ下にぶち当たる栂の森のちょっとした平地に、タープを張り、ツェルトにくるまってその日を耐えた。雨と川風が吹き付け、全ては濡れ惨めな気分だった。大増水の本流は真っ茶色にうねり、巨大な流木が次々と流れ、河床の巨岩が一日中ゴンゴンと音を立てて転がり、辺りにはきな臭い臭いがたちこめていた。夜中であれば火花が散っているのが見える。そんな時である。今回は訳あって不参加の下條ガイドが一人、火をたき始めた。小林と僕はそんな事はすっかり諦めていたし、「無理だよ下さん」と言ったのだが、下條は諦めない。僕らも手伝って山の斜面の濡れ落ち葉をひっくり返し、その下から少しでも乾いた枯れ葉を見つけ、根気よく火種を大きくし、とうとう濡れ木が燃える程の焚き火をすることが出来たのだ。そして激流を逃れて川岸に避難している岩魚を釣り、天ぷらをした。

 諦めぬ事が、生へ向かうベクトルを明確なものにし、僕らを再生させる。背中を丸め落ち込んでいても、ここから脱出は出来なかったであろう。奇跡としか言いようがないが、翌朝ぼくらは水位が下がった黒部側を渡渉し対岸の斜面を彷徨って高天原峠にエスケープする事が出来た。この時のただ一回の濁流の渡渉の数分後、この河原は高さ1メートルの鉄砲水に襲われた。まさに間一髪。こんな苦い思い出は実はまだまだ沢山ある。

 さて、今回の最終日、僕らは1時間ほど最後のゴルジュ帯を突破して登山道のあるA沢の出会いに達した。見てくださいこの笑顔。達成感、一体感、喜び、感動、全てがあふれ出すこの笑顔。全員が来年の予約。僕は自信を持って思う、そんな登山はそうそうあるものではない。

 最後に、今回体調不良の僕に代わって小林ガイドと西山君には大変お世話になった。ありがとう!西山格好良かったぜ!

 この後我々は灼熱の登山道を喘ぎ喘ぎ歩き、バテバテになるのだった。早くも来年の「祭り」が待ち遠しい。

 

PS:このブログの写真は時系列に沿って掲載されておりません。適当です。これを頼りに黒部川上廊下を遡行するのは危険です。

 

 

 


黒部川上ノ廊下とり急ぎご報告まで

2013年08月19日 | ツアー日記

この黒部川上ノ廊下というところ。

言葉では語り尽くせぬところ。

僕らは毎年ここを訪れる。

失敗してもまた。

何度でも、何度でも。

何故だろう?・・・・・・それは解ってる、最低で最高だからさ。

今日もまた、ぼくのからだにはお前が流れている。

ずっと。

 

報告は後日、取り急ぎご報告まで。


日本一の美渓流黒部川赤木沢遡行と太郎沢8月4,5,6日

2013年08月07日 | ツアー日記

 今回はいよいよ沢登りの適期を迎えての、黒部川赤木沢の遡行だ。日本一の美渓と言われるこの沢は、黒部川の薬師沢上流にあり、岩盤のナメと滝が連続し、沢は東向きで明るく開放的な沢だ。先ずは折立から太郎平を越えて薬師沢小屋へ入る。

 カベッケヶ原を過ぎると、黒部川の本流の音が近くに聞こえる様になる。足下に美しく澄んだ大淵が見えると今日の宿薬師沢小屋はもうすぐだ。午後2時頃小屋に入って、僕と小林は黒部川上流へ釣りに出かけた。少しだけでも一匹だけでも、黒部川の岩魚に会いたい。ここの釣りが難しいのは解っている。ここ薬師沢周辺は、釣り師ならば誰でも憧れる釣り場で、入渓するものも多く岩魚はスレている。スレるとは毛鉤や餌をよく知っていて簡単には食ってくれないと言う事だ。午前中からの釣りであればまだしも、この日もやはり難しく結果は3匹のみ。だが、その姿はヒレが大きく張って実に美しい。黒部川の激流を泳ぎ切るには大きなヒレが必要だからだ。

黒部岩魚24センチ

岩魚の造り、素晴らしい弾力と甘み

アラや皮までもすべて素揚げにし塩を振る、パリパリ骨煎餅。ビール頂戴!

 朝起きると天候は小雨、澄み切っていた黒部川は夜中に降った雨の為か番茶の様な色になっていた。昨日に比べ5センチ程水位は上昇している。なんとか本流だけ頑張って赤木沢に入ってしまえば遡行は可能だろうと言う事で、装備を装着し入渓する。股下ぐらいまでの渡渉を数回やって、最後左岸を少し高巻いて赤木沢出会いに到着した。やはり黒部の水は冷たくずっしりと重い。

増水気味の黒部川本流を遡行する

 ここは実に美しい大淵になっていて、これから赤木沢へ入ろうとする者をうっとりとした気分にさせてくれる。赤木沢入り口は両方が岩壁になっていて、まるでぽっかり空いた穴のようだ。そこをへつって(岩伝いにトラバースすること)入って行きしばらくするといきなり空は開け、僕らは黒部本流とはまったく別の赤木沢の世界に引き込まれる。

赤木沢出会いの大淵

さあ、行くぜ!テンション上げ上げ

 ここ赤木沢は岩盤のナメと、滝が連続し両岸は美しい草付きで花が咲き乱れる。今日は日が当たらず残念だが、この沢は東向きで朝一番から朝日が入り、開放的で実に美しい。「日本一の美渓」と言われるのも納得なのである。小雨である今日でさえ充分に美しく、草付きの緑に我々のカラフルな装備が映える。水量はやはり多めで滝は白泡を激しく立て流れ下るから迫力も充分だ。前半は滝と言ってもさほど難しいものはなくて、ゴム底の沢靴がよく効いてくれる。ナメをフリクションを効かせて登るのはとても快適だ。一歩一歩をいとおしむ様に歩く。みんな、きゃっきゃいいながら、満面の笑みで沢を渡り滝を登る。この滝はどっちから攻めようかな?と考えるのも楽しい。時にはわざわざ水流の中を登ってみたり。楽しい以外の言葉がなくてごめんなさいと言いたいぐらいだ。

脇からいくらも登れるのに、ワザワザ水流の中を歓声を上げながら

花と水と少女達

ミヤマアケボノソウ(黒い貴婦人)

 今日は水量が多いので、どうしても水を浴びなければ登れない滝もあって、でもこれがまた楽しい。あ!また言っちまった、楽しいって。だって、楽しいのだ。みんな少なくとも下半身はずぶ濡れだし冷たいのは確実だが、そんな事はどうでもいい。心は一心に楽しむ方向へベクトルは向いている。こうして濡れ鼠で歩いているともう濡れている事なんて全くたいしたことではなくて、むしろ気持ちがいいとさえ思えてくる。これを、多分「達観」というのだ。心のステージが一つ上がった感覚と言おうか、なにも気にしない、全ては自由と快楽の為になんて思えてくる。

 前方に岸壁がそそり立ち、沢が右に屈曲するのが見えるといよいよこの沢のハイライト「赤木沢大滝」だ。この滝は落差30メートル程だろうか。両岸は垂直にそそり立つ岸壁で、その間を水が勢いよく噴き出し唸りを上げている。まさに爆音だ。会話をするのも楽では無い。喧嘩でもないのに大声で話さなくてはならない。ここでは死亡事故も起きている、この左岸側の岸壁をロープを使って慎重によじ登り、滝の落ち口に降りる。上から覗けば滝壺に吸い込まれそうだ。

サンショウウオ(かわゆい)

 大滝を後にしてしばらく行ってから、赤木平方面の草原にむけて右側の支流に入る。この入り口は絶対避けられないシャワーポイントだった。エイヤッ!と水を浴びつつ滝をよじ登る。でも、誰も、悲しくなったり、後ろ向きな気持ちにもならない。歓声とともに登り切ると、満面の笑みがこぼれる。

 次第に沢は急峻になり、水量は減って、いよいよ沢はフィナーレを迎える。若干カンバの木がジャングルジム状態になっているが、藪漕ぎは殆どなく、僕らは赤木平の草原に飛び出した。小さな池塘が点在した、チングルマやミネズオウの無垢なお花畑を踏みながら草付きを登る。これは沢屋だけに許された特権で、誰になんと言われようとそうしないと帰れないので勘弁して下さい。一人一人がばらけた感じで、同じ所を踏まぬように登って、僕らは赤木岳南側の稜線に到達した。ガスって、雨はいっこうに止まないが、快適な草原歩きだ。

 ここまで、休みらしい休みは取っていない。行動を止めてしまえば、とたんに体は冷え、場合によっては低体温症の恐れさえあるのだ。なにしろ全身濡れているのだから。つい先日、中央アルプスでまざまざとその現場に遭遇しているので、あのようなことにならぬよう、僕らは足を止めない。食料はポケットに入れ少しの立ち休みの間に、すかさず採る。そこら辺みなさん、手慣れたもんだ。北ノ股岳のチングルマのお花畑はみごとだった。写真家の岩橋崇至さんが一人撮影をなさっていたので挨拶をした。気合いの入った山岳写真家だ。午後2時、太郎小屋到着。

 最終日は、下山の前にコンパクトに纏まった太郎沢を昼飯前にやっつける。本日も相変わらず雨降りで、稜線縦走だったら気分も晴れないのだが、僕らはその水量の多さを期待してやる気満々であった。よい子はマネしないように。

ノリノリの少女たち 皆さんかっこヨロシ

攀る、小林

派手に水を食らうもなんのその。

痛快至極!!

にっこり 幸せ

イカすぜ、あねご!

 太郎沢は沢の規模は小さいが、急峻で滝の難易度は赤木沢よりむしろ高く楽しい沢だ。小屋からでてワンラウンド3時間ほど。派手にシャワーを浴びながら上り詰めると、辺りは次第に傾斜が緩み、お花畑が現れると、この沢旅も終わりを告げる。

「やだ!もう終わっちゃうの?」

「もっと歩いていたい!」

「ずっと、このままならいいのに」

 寂しさで心が掻きむしられるようだ。まさにそうだ、ずっとこのままならいいのに。僕らは太郎山南側の草原を行く。花が咲き乱れる。

シナノキンバイなど

僕には、若い頃心筋梗塞で一度心停止をした経験を持つ叔父がいる。いわゆる臨死体験者だ。その叔父が言う。自分は病室の空間に浮かんでいて自分を見下ろしている、そしていつの間にか暗いトンネルの中を歩いている。その先には一つの光が見えてそれに向かっていくと、突然草原が広がりこの世のものとは思えないお花畑があって、そこを気持ちよく歩いていると、その先に小川がチョロチョロ流れている。その向こう岸には懐かしい人達がみんな居て、こっちに来るな、帰れと言われ帰って来たと。洋の東西を問わず臨死体験者は概ね同じような体験をするという。

 多分僕らが今歩いている草原はそのお花畑によく似ている。ずっと歩いていたくなるような草原。後ろ髪を引かれる様な気持ちを残して歩く草原。ぼくもいつかかならずその草原を歩くことになるのだ。

薬師岳

太郎平

ゼンテイカと北ノ股岳

 

 

 


13六合石室泊鋸岳縦走7月25,26日

2013年07月29日 | ツアー日記

 今土砂降りの笠ヶ岳から帰ってきてこのブログを 書き始める前にテレビをつけたら、中央アルプスで韓国人が11人遭難していると大騒ぎになっている。中央アルプスでも今日は雨が降ったりやんだりだっただろうから、体を濡らして、風に吹かれていたとすれば、それはかなり過酷な状況だろう。無事であることを祈る。

 一昨年、今回と同じ鋸岳へ向かおうと朝一番の南アルプス林道バスに乗って、北沢峠に着いたとき、一人の関西弁の男性に声を掛けられた。

「鋸ですか?同じやね。今日はぼくも六合石室に行きますから」

「そうですか、では後ほど」

 そして僕らはそのまま甲斐駒ヶ岳を越え石室には午後1時半頃入った。水場に行って来てから午後4時頃から食事をしたのだが、関西おじさんはやってこない。諦めたんだなあと思っていたところ、午後5時半頃その関西おじさんが憔悴しきってやって来た。これから水場に行くのも大変そうなので水を分けてあげて、鋸は長いから明日は行かない方が良いですよと話したのだが、その関西おじさんは自分は大丈夫だと言う。それ以上は何も言わなかったのだが、翌日我々の後を歩いて来るのは最初確認できていたが、そのうち見えなくなってしまった。僕らは余り気にもせず角兵衛沢を下山したのだが、後日この男性が鹿窓ルンゼ付近で滑落死したのを新聞で知った。止めた方が良いと行ったのに。

 今回の中央アルプスの遭難の詳細はまだわからないが、この二つの遭難の根底にあるものは、無知と過信であろう。高い山のない韓国の人達に、日本の3,000メートル級の稜線の過酷さは分からないだろうし、折角海を越えてやって来たと言う気持ちもあるだろう。山での強さではなくて、己を知ることがベテランであると僕は思うのだが、そういう意味ではこの二つの遭難の当事者達はまったくの初心者なんだと思う。そして彼らは、もう二度と来られないと言うような切迫感をどこか持っている登山者だ。今回はそんな鋸岳縦走である。

クリンソウ

タカネバラ

よじ登る

甲斐駒ヶ岳

鋸岳

 甲斐駒ヶ岳を越えるとグッと踏み後は細くなり、生々しい靴跡が殆ど見あたらないので今シーズンはまだそれほど多くの人が歩いていないだろうと思われる。鋸岳への縦走路は僕らの他には誰もいなくて静かで快適だ。道は若干不明瞭だが、ルートファインディングをするのも楽しい。午後1時半に六号石室に到着した。五、六年前までこの石室は穴だらけのトタン屋根でテントが必要だったが今はしっかりとした屋根が着けられ、床も張られたから快適だ。

六合石室

ガイドのお宿

 朝4時半に出発して鋸岳を目指した。雲は若干多めながら少しずつ良い方向へ向かっている感じがある。最初は樹林が絡んだ縦走路、所々崩壊地の縁を通るが難しい所はない。中ノ川乗越を過ぎると、ここからがいよいよ鋸岳の領域になる。第二高点へはガラガラの広いルンゼを摘め上がる。道を外すと全てが不安定なガラ場だ。高度を上げふり返れば甲斐駒ヶ岳が堂々たる風格でせまる。

 第二高点からは鋸岳が直ぐ近くに見えるのだが、ここからがいよいよ岩稜帯の始まりで、ロープを使いながらの登降だから時間が掛かる。腹ごしらえをして、ヘルメットにハーネスを装着。ハーネスを絞めるとグッと気も引き締まる。

 稜線上はこの先に大ギャップがあり通れないので道はいったん大ギャップ沢へ下り、それに合流してくる鹿窓ルンゼを登ることになる。とにかく、不安定な岩質なので慎重に足を進める。やたらなところを触るとボロッと岩が剥がれ落ちるからやっかいだ。鹿窓ルンゼから鹿窓へはロープの出番だ。

鹿窓ルンゼと鹿窓(あの穴を通るのだ)

凛々しき面々 いざ鹿窓へ

 鹿窓直下には一応鎖があるのだが、傾斜が強いので当然ロープを使うべきだろう。しかも、岩がボロボロなので落石を避けて一人ずつ登らざるを得ない。時間は掛かるが、確実に安全を確保して鹿窓を越えた。この鹿窓は稜線直下にぽっかり空いた穴で、スーパー林道からもよく見えて、バスのドライバーさんがそのバスの運行中必ず説明をしてくれるほどの名物である。ルートはここを抜ける様になっているので、なんともドラマチックだ。

鹿窓

 鹿窓を越えると次は小ギャップだ。小ギャップへの下りはスラブ(一枚岩)なのだがやはり岩は脆く、反対の登りは垂壁である。ここも迷わずロープを使う。ロープがあれば、思い切った登りも出来るし、スリルを存分に味わえるから笑顔もこぼれる。天気も良いし、最高だね。ここで、初めて二人の対向者に出会った。

小ギャップ

ここを抜ければ難しい所は終わりだ。しかし第二高点から2時間以上がかかっただろうか。しばらくのんびりしてパノラマを楽しんだ。

 しかし、実はここからが本当に大変なのである。ここまでは楽しいばっかりなのだが、この先大概みんなバテバテになる。それは角兵衛沢の長い下りと、戸台川の灼熱地獄の河原歩きだ。角兵衛沢はハンパ無いガラ場で、踏み後を一歩でも外すと、いきなりそこら辺の石がガラガラ崩れ落ちるような場所だ。一歩一歩、足を置く場所を吟味しなくてはいけない。つい先日毎日ツアーではここを往復した。出来れば、んーーーーお勧めしない(笑)

 この沢の中間地点には大岩小屋があって大岸壁の下部がえぐれたルーフになっていてテントを張ることが出来る。水が滴り落ちているが水を採るにはかなり苦労するだろう。ここは岩ツバメの大営巣地で、多くの岩ツバメが鳴き交わしながら空中戦をやっている。きっとそれは秋の渡りに向けての雛たちのトレーニングなのだろう。自由自在に飛ぶその姿が羨ましい。

悪名高き角兵衛沢

コオニユリ

ハナバチ

オオハナウド(蕾)

 角兵衛沢の下部は普通の樹林の道だが、その下りにうんざりする頃戸台川に到着する。ポンポンと飛び石で渡って、あとはひたすら灼熱の河原を歩く。この日はまだ、風があって日が陰ったりもしていたのでまだましであったが、後半は風が止んでそこは、まるで砂漠のようであった。シナノナデシコが灼熱の河原に映える。なんで、こんな過酷な環境をわざわざ好んで暮らすのだろう?彼らは。今年は冬にもここを歩いているが、その印象はまるで違う。その時の事を思い出しながら砂漠を行く。

砂漠の民 キャラバンは続く

 仙流荘にて入浴、伊那名物「ローメン」を今回のお客さんに拒否され(皆さん経験者なのだが、理解不能な微妙な食べも物なので)僕のツアーとしては珍しくチェーン店の「丸亀製麺」にて讃岐うどんを頂き伊那市駅解散。やっぱり、バテバテだわ。

 

 

 

 

 

 


ジャンダルム撤退

2013年07月24日 | ツアー日記

 西穂山荘に泊まって朝4時半にジャンダルムに向けて出発はしたものの雨は止まない。独標までたどり着いて風も強まり撤退を決めた。岩は滑りやすいし、日本海に梅雨前線が停滞し何より気温が低い。この状態で3,000メートルの稜線縦走はとても無理だ。何かトラブルがあれば、低体温症などの死の危険が待っている。明日、明後日と回復の期待も薄い。まあこんなこともあるさ。

 だが、雨の日は緑が綺麗だ。ドロドロの下山道の脇で写真を撮る。僕は雨の上高地が大好きだ。家が近いから、以前はわざわざ雨の日に出かけたりした。川霧にけむる梓川はなんとも落ち着くし、水は音もなく流れる。

キヌガサソウ 凛としてゴージャス

蝋細工のようなサンカヨウ

エンレイソウ

梓川

 上高地からの帰りに稲核にある蕎麦屋「わたなべ」に立ち寄った。お客さんと帰る場合はいつもここへ寄る。婆ちゃんがやっている。盛りそばの大盛りを注文し、お客さんが蕎麦掻きを2つ頼むというので、量が多いから一つで充分だと伝え蕎麦を待つと、いつものことだが、頼みもしない物がどんどん出てくる。つる菜のお浸し、サニーレタスのサラダ大盛り、黄色い唐辛子の煮付け、稲核菜のつけもの、それともう一つなんだっけかなあ。笑。夏は野菜が採れすぎるので特にその傾向が酷い。酷いってうれしい悲鳴なのだけど、以前ここら辺の蕎麦屋はこんなところが多かったが今は希少。絶滅危惧店である。僕的には蕎麦つゆが薄めで若干気に入らないが、蕎麦は粗挽きでうまい。しかも、盛りそば450円である。お客さんはぶったまげて大概ハイになる。わかり辛いところにある迷店である。是非探してたどり着いて頂きたい。