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山岳ガイド赤沼千史のブログ

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薫り高い「安曇野かね春の蕎麦」を是非ご賞味下さい

冬期霞沢岳2月22、23

2014年03月01日 | ツアー日記

 

穂高連峰

 上高地への玄関である釜トンネルを抜けるて僕らは狐につままれた様な気分になった。2月15日の記録的大雪があって、僕は今回の冬期霞沢岳テント泊山行がとても心配だった。大雪でどうにもならない事になって居るのではないか?過酷なラッセルが予想できた。松本で80センチの積雪である。それが山に積もっていたとしたら、とても一日でテント予定地に到達することは出来ないであろう。と言うわけで、ツアーの前日僕はサポートガイドの「ヘラクレス松澤」氏と、釜トンネルを歩き事前ラッセルにやって来たのだ。

 トンネルを抜けすぐ猛烈なラッセルが始まるものと僕らは思っていた。だがそこで見たものは、乾いたアスファルトの路面だった。しばらくは事態が理解できなかった。まさしく狐につままれた様な気分だ。大雪のあと除雪されて乾いているのではない。道路脇の雪もものすごく少なくて、とても数日前に大雪が降った様には見えないのだ。山の斜面にはクマザサが露出している。そうなのだ、あの大雪の日、ここ上高地では殆ど雪が降らなかったのだ。ほんの少しの距離なのに、上高地をグルリ取り巻く高い山が、低い雪雲を阻んだとでもいうのだろうか?僕らの心は少し軽くなって目的の霞沢西尾根に取り付いた。

ラッセルマシン「ヘラクレス松澤」

 例年苦労する取り付きも難なく突破した。ワカンを履いていれば、絞まり気味の雪面では良い感じに乗ることも出来るし、時々ある猛烈な急斜面の深雪ラッセルも、このルートでは当たり前の事で、特別な状況ではない。そんな場所の雪質は砂のようにサラサラで、踏んでも踏んでも足場が出来ないのだ。急斜面では雪面が胸に当たる程だ。先ず両手で目の前の雪を崩して膝でケリを入れる。足で雪を踏み穴を開け、そこに廻りの雪を掻き落とし更に足で踏んでようやくひとつの足場の出来上がる。これさえも完全というわけでなく、体重を乗せ換えた瞬間それはあっさり崩れ去ったりする。その時それだけ落胆することか。そんな状況でワッセワッセ交代しながら僕らはラッセルを繰りかえした。釜トンネルから5時間、ようやく僕らはテント泊予定地直下に到達した。7人テントと鍋、食料などをデポして下山する。下山はあっという間の1時間半だ。ラッセルはやはり厳しい。明日は大分楽になる。

焼岳

急坂のラッセル

 翌日お客さんと合流して西尾根に取り付いた。荷物が大分少ないので気分は軽い。足下には大正池、そして穂高連峰画眩しく輝いていた。今回の登山方法は、ヒマラヤなどで行われる極地法という登山スタイルといえる。ルート工作をして、荷揚げをしキャンプを延ばして行く。言うならばプチ極地法だ。昨日の到達地点からはデポ品を背負って、最後は猛烈なラッセルをしてテント場まで3時間半で到達した。昨年は7時間近くかかったところだ。お客さんの装備負担もかなり少ないので喜ばれた。サービスも大変である。まだ時間に余裕があるので冬山に手慣れてきたお客さん達に水作りを頼んでガイドはさらに上部のラッセルに向かう。雪は少なめでこれなら何とか登頂が可能だろう。この段取り通りに全てが上手く行く感じが心地よい。

テント場の整地、サラサラ雪を固めるためお客さん達の背中を借りる。

 テントの中はとても暖かかった。風もなく静かな夜。そして快晴の朝、こんな好天は久しぶりではないだろうか。陽の光は春に向けて力強さを増している。微風。ラッセルもたいしたことはなく、非常に快適である。森林限界を超え大パノラマが広がり始める。視界を遮るもの何もはなく、ずっと遠くまで見通せる。核心部の雪稜と露岩のドームもロープを使って大胆に登った。ここを突破して広い稜線を辿れば山頂だ。そこには最高のピークがあった。お客さんたちも心底嬉しそうで僕は幸せだった。こんな風にみんなで喜びを分かち合えるこの仕事、悪くないと思う。きつくても辞められないのはきっとこんな瞬間の為なのだろう。

ドームの登攀

ガイドはこんなに背負わなくてはならない。いったい何キロになるのか計った事は無い。何故ならがっかりするだけだから。必要な物は持って行く、ただそれだけ。

 雪道の下山は速い。怖がらずに体を前へ前へ放り出していくと、深雪にはまった足は後から勝手に着いてくる。間違っても足だけ置き去りにすることはないので、思い切って歩けばいいのだ。釜トンネルを抜け今回の山行が終わる。何とも言えない充実感。お客さん達も満足そうだ。やったね!

 沢渡のペンション「シルフレイ」で入浴(なんと入浴料350円、湯上がりにはお茶と野沢菜のサービス付き、良い風呂ですよ)、いつもの稲核「わたなべ」で蕎麦をたぐり松本駅解散。ああ、なんと心地よいことか。

大正池

冬期霞沢岳テント泊山行

 


冬 飯縄山 戸隠蕎麦はやはり冬 

2014年02月03日 | ツアー日記

 やたら寒かった今年の冬だが、雪と言えば少雪傾向で、一月の後半からは途端に暖かくなって、雨が降ることも何度かあった。やはり冬と言うのは寒くなくちゃいけないと僕は常日頃思っているので、雨が降ったりするととても不安な気持ちになる。地球温暖化?果たして僕ら人間の存在は悪なのか?僕らのすることなす事はとても罪深く・・・・・・・・なんて、余計な事まで頭の中をよぎっていく。だけど、そのほんとの理由は、僕の大好きな冬が過ぎていく事への寂寞感だったりする。僕は冬が大好きなのだ。

 僕が子供だった頃、僕が通った旧有明小学校には校庭が二つあって、そのひとつを潰して水が張られてスケートリンクとなっていた。冬の遊びと言えばスケート意外にはなんにもなくて、体育はスケートで、放課後もスケートという日々。みんな足の指を霜焼けにして、ほっぺを真っ赤にしてスケートをした。だが、小学校高学年になる頃からまともな氷が張らなくなって、それからスケートからはすっかり遠ざかってしまった。それからずっと、冬は暖かい。寒かったあの頃の冬を思うととても懐かしいし、それは今となっては、梅雨時日が暮れて蛍が乱舞するあぜ道を歩いたのと同じぐらい夢の様な光景に感じるのだ。やっぱり冬は寒くないと。

瑪瑙山 背後に高妻山と戸隠山

 冒頭から話がそれてしまっているが、2月1日(土)「戸隠、飯縄ツアー」のこの日も暖かな一日だった。翌日天気が崩れて雨が降ると言う予報だったので、昼からではあるが急遽初日に飯縄山を登ることにした。戸隠スキー場からリフトを二本乗り継いで瑪瑙山(めのうやま)に登る。そこから飯縄山へは一旦コルへ下り、300メートル程を登り上げる。ここに来るまでに通りすがった一の鳥居ルート駐車場には沢山の車があったのだが、こちらからは数人の山スキーヤーのシュプールがあるだけで、トレースは無かった。スノーシューを履いて少しクラストした雪をサクサクと踏んでいった。ぼんやりとはしているが、周りの山もぐるりと見渡せて、風も無くなんて暖かいのだろう。

 ジンワリと汗をかいて飯縄山頂にたどり着くと、広い山頂には一の鳥居ルートからの登山者の踏み跡が沢山残っていた。朝一番で皆さん登ってきたのだろうから、もうすっかり下山したあとだ。春霞がかかったように辺りはぼんやりとしてはいるものの、遠く北アルプスも見える。東側の足下には飯縄スキー場が見えるが、土曜日だと言うのに滑っている人がぽつりぽつりとしか見えなくて人ごとながら心配になる。その向こうには善光寺平が広がる。静かな山頂を満喫して中社ルートへ下山した。

瑪瑙山と背後には戸隠、高妻山

 此処も今年はやはり雪が少なめである。この時期は、パフパフの新雪を踏んでグイグイと下れるはずなのだが、クラストして堅めの雪に難儀させられる。スノーシューというのは、深雪であれば絶大な力を発揮するが、堅い雪の急斜面はからっきしである。踵を雪に蹴り込めないので膝が前へ無理矢理押し出される感じになって結構恐いのだ。ご愛敬だが時々ずるずる滑って転ぶ。この飯縄山なら良いのだが、日本の複雑な地形の雪山をこれで一つで歩き回るのは不可能だ。

パイプライン

 中社ルートを下山してそのまま戸隠の定宿「横倉」に滑り込む。いつもながら、手の込んだ美しい料理を出してくれる宿だ。翌日は雨予報なのでどうしようかとお客さんと相談したのだが、久しぶりにスキーをやってみようかと言う話になる。お二人ともスキーは久しぶりなのだそうだ。約10年ぶりともうひと方はなんと30年ぶり?一旦遠ざかってしまうと、道具やら何やらも大変だし、滑り方も変わっているの?なんて、どことなく億劫になってしまうのがスキーだが、この際良いタイミングかも知れない。いいね、いいね、やりましょう。

 翌日は、それほどの天気の崩れもなくぽつぽつと降る雨のなかスキーを楽しんだ。先ずは初心者コースからだが、ボーゲンスタイルでお二人とも無難に滑り降りる。流石昔取った杵柄。スキーは自転車と似ていて、何年も滑らなくても完全に滑れなくなってしまう事は無い。二本目、三本目と次第に調子を上げるお客さん。最後は、「あたし、またハマっちゃいそうだわーー」だって。やっぱり楽しいでしょ?スキーは。みなさんもこの際、もう一度スキーにチャレンジしてみては如何だろう?スキーは心底打ち込める生涯スポーツだ。登山が出来なくなってもスキーなら大丈夫とも言う。そして、何より冬が待ち遠しく楽しくなる。僕の行く冬を惜しむ寂寞感も少しは解っていただけるかも知れない。

随分待たされたので写真を撮る前に一口食べてしまった僕であった。崩れたボッチ盛り(笑)

人気店「蕎麦の実」の蕎麦打ち場、夢の様な仕事場だ。

 

 

  


西穂高岳転進飯縄山12月13,14日

2013年12月15日 | ツアー日記

 今年の冬は冬型の気圧配置が続いて、北アルプスには雪雲が常に掛かっている。寒気の流れ込む方角が北西寄りだと、北アルプスの北部に偏って雪が降りがちになるのだが、このシーズンは西側からの流入となっていて、安曇野界隈でも、雪雲が空を覆って、ちらちらと風花が舞っている。北アルプスに沸く雪雲の先端は、安曇野や、松本平を通り越して美ヶ原方面までをその支配下に置く日も稀なことではない。

 12月13日、松本でお客さんと集合して、初冬の西穂高岳を目指そうと思っていたのだが、駅舎から眺める北アルプスは麓まですっかり雪雲に覆われ、天気予報を見ても初冬の西穂高岳登頂は絶望的であった。さてどうしようか?南に転進するのも、八ヶ岳辺りは風が強うそうだ。ならばいっそ、北へ向かってラッセル天国も良いだろうと言う事で、お客さん全員が登ったことがないという飯縄山に転進することにした。

 信濃大町からオリンピック道路を通って北へ向かう。道は山道となって峠を越える頃にはすっかり辺りは雪景色となる。後席から「うわー、綺麗!」とお客さん達がしきりに声を上げる。僕にとっても今年初めての本格的雪景色だから、これから始まるスノーシーズンへの期待感もあって、僕も内心かなり興奮してしまった。冬はやっぱり素敵だ。

 小川から鬼無里そして、戸隠まで雪のワインディングロードは圧雪も多く細心の注意を払って運転をした。いくら雪国のドライバーと言えども、その年の初雪の時には、車の操作を誤ってスリップさせ畑に突っ込んでしまったりする人が結構居る。ブレーキの感覚が雪の上では全然違うので、雪道走行モードを取り戻すまで事故が起きるのだ。

 戸隠中社の宿坊「横倉」へ入る。戸隠周辺はどこもかしこも圧雪で、車を降りて歩くと路面はツルツルだ。この時期はまだ気温が高めなので雪がよく滑る。厳冬期のほうが、雪はパサパサで足下は確かな感じだ。それにしても、東京地方が大雪に見舞われた時のニュースは雪国の人から見たらかなり滑稽である。雪国の人には雪に対する足裏感覚があって、それは登山道の滑りやいザレ地などを歩くのと同じような足の裏感覚なのだが、雪に馴染みのない地方の人はその感覚がないのだろう。すってんすってん転んで、車はエンジンをバンバン吹かしてなんとかしようとする。笑っちゃいけないがあれは・・・・・・面白い。

 そう多くはないが雪は一晩中降り続いていた。新たに10センチほど降り積もっただろうか。朝食を頂いてから、一の鳥居登山口に向かった。登山口には既に車が一台有って、先行者のトレースが山の中に入って行っていた。それをだどって、ゆっくりと登っていく。積雪は1時間も登ると40センチ程に達した。先行者は単独のようだ。単独行、その気持ちは解らないでもない。先日の霞沢岳の遭難者の件もあって、本来単独は慎むべきと思うのだが、白状すると僕も単独で山を歩く衝動に駆られる事がよくある。一人で味わう山は、とてもセンシティブだ。自分の五感をフルに使って、歩くその感じは、恐くもありそして、僕を癒してもくれる。なんだかんだ言って、寒いとか、暑いとか、痛いとか、冷たいとか、恐いとか・・・・・・そして寂しいとか、そんな自分の心がむき出しになる感じが僕は好きだ。頑張れ!・・・・・いや、辞めてしまえ!常に心の中には葛藤がある。日常の中で起こる大概の事がどうでも良くなるぐらい、目の前で起こることに集中しなくてはならない単独行は特別なものだ。先行者は途中からワカンを履いたようだ。僕らは、踏み跡を利用させてもらってツボ足のまま登っていく。ありがたい。

 途中、鹿の足跡が道を横切った。それは何故か両脇がうっすらとピンク色に染まって見える。初め目の錯覚かと思ったのだが、それはどう見てもピンク色なのだ。新しい雪をどけてみると、それはなんと血痕であった。この鹿はおそらく猟銃で撃たれ、手負いのまま仲間と共に山中を彷徨っているのだ。仲間について行けなくなれば、彼は程なく息絶えるであろう。若しかしたら、もう既に死んでしまっているのかも知れない。自然界は非情な世界だ。

血痕

ノリウツギ

 頂上間近となって肩を越えいったん道は下りとなるが、そこで先頭をラッセルをしてくれていた方にようやく追いついた。丁重に礼を言って、トップを交代したが、稜線上の雪は半端ではなかった。股下までのラッセル。雪が笹の上に降り積もっている為か、時々それを踏み抜いてしまうと胸まで潜ってしまう。こんなに積もっているのだと改めてびっくりしたのだが、もがきつつ頂上間近になるころ、ふり返るといつの間にか20人ほどのスノーシューの団体に追いつかれていた。一瞬ぎょっとしたのだが、音もなく現れたその団体にさんに、最後のラッセルをお任せして、僕らは後についた。だが、体重が重い僕ばかりが、その踏みならされたトレースをさらに踏み抜いて、頂上に着く頃には結構ヘロヘロになってしまった。観念してワカンを着ければ良いのに、面倒くさかったのだ。

 思いがけず賑わう飯縄山山頂を跡にして往路を下山した。トレースにはずっと鹿なのか、カモシカなのか獣の足跡が残っている。いくら動物とて、新雪の中を歩くのは大変らしくて、ちゃっかりと人間のつけたトレースを辿っているのだ。一歩も踏み出さず、それは下へ下へと向かっていた、と、突然その獣は道を外れ山中にその行く先を変えていた。しかし、その獣の踏み跡は、足跡の脇が深く何かを引きずったかのように掘れて溝のようになっている。これはどうも鹿や、カモシカじゃないな。もしや、イノシシ????それにしても、イノシシってこんな足短いかなあ????・・・・・いろんな思索が頭のなかを巡るのだが、いまいち納得しないままに僕らは降りていった。途中殆どのラッセルをしてくれた単独の方に先を譲ったのだが、下山後聞くと、彼はイノシシを見たという事であった。やっぱりイノシシだろうか。そんなこんなを連想しながら歩く山ももまた冬の楽しさだ。

 

 


13初冬天狗岳12月2,3日

2013年12月03日 | ツアー日記

 唐沢鉱泉から上って黒百合ヒュッテへの道はうっすらと雪が積もってはいたものの、この所の冷え込みで雪質は乾いていて、歩く度にギュッギュッと靴が鳴る。こんな時はアイゼン無しでも足下は滑らなくて具合がいい。雪の量はまだまだ薄く数センチから多くても10センチぐらいだろう。それでも、里から見上げる八ヶ岳はすっかり雪が被ったように見える。それも多分この冬の寒さが原因で、そう多くはない雪が融けないでいると言うことだ。

 2時間ほどで今日の宿「黒百合ヒュッテ」に到着した。ここは僕が大好きな山小屋の一つ。小屋の中も外も、昔ながらの風情を色濃く残す。その基本的な造りはあくまで華奢な感じの和風なもので、土間から一段あがった板間は、かつてそこには囲炉裏があったのだろうと容易に想像出来る。猟師や木樵達が拠り所とした・・・・まさしくそんな風情だ。それを大切に、工夫をして使っている感じがなんとも落ち着くのだ。しかしそれは、ただノスタルジックというのではなくて、壁に掛かる画や、売品や、家具にはモダンでお洒落な雰囲気がある。そんな風情というものは、とうてい一日や二日で醸し出せるものではない。多くの人達が愛情を込めて、触り磨き暮らしてきたからこそにじみ出るもの。変わらず居ることの素晴らしさをこの小屋の人達は知っているのだと思う。何処を見ても暖かさが伝わって来る・・・・・・素晴らしいことだと思う。僕の家も築120年の古民家だが、こんな使い方を見習いたいと思うのだ。

使い込まれ磨かれたランプ


喫茶兼売店・・・・なんか落ち着く


いろんなバッジが売られている


ハイカラなワッペン(買ってくれば良かったと後悔している)


ヒモを引っ張るとカラコロ鳴る


可愛い膝掛け こんな気遣いがいいね


大型の薪ストーブ、力強い暖かさ


 板間には一つ炬燵があって、夕食までお茶を飲んだり、おちゃけを頂いたり。炬燵ってやっぱりいいな、文句なく和む。少々部屋の中が寒くても平気だし、他が寒けりゃみんなそこに寄ってくるし、そうすれば会話も生まれて自然と笑顔になる。しかも、なんと言っても炬燵は省エネである。こんなご時世、電力会社に原発再稼働の為の口実を作らすのもなんかシャクで、実は我が家でもこの冬から炬燵を復活させてみた。今も炬燵に足を突っ込んでこのブログを書いている。裸足の足がほんわか温かくて実に気持ちがいい。

 この小屋はほぼ全ての電力をソーラーで賄っているのだそうだ。小屋の脇には最新鋭のソーラーパネル施設があって、その生み出される電力の殆どは浄化槽の保温と酸素供給に使われ、残りを明かりやら何やらに使っているのだとのこと。だから、照明は控えめでほの暗く、これがまた素敵な雰囲気だった。

 夕方までは寒気の影響か、灰色の雲が八ヶ岳の上空を重く覆っていたのだが、夕食を頂いてから外に出てみると、その雲は嘘のようになくなって満点の星が輝いていた。ちょうど東から冬の星座の代表格オリオン座が上ってきていた。僕は中学生の頃星が大好きで、特に冬の夜空が大好きだった。オリオン座、双子座、牡牛座、おおいぬ座など冬の星座はとても解りやすいし、冬の星達はよく瞬く。キラキラ星っていうのは冬の星のことなのだ。これは気流のせいらしいのだが、夏の星は殆ど瞬かない。

 今ここで僕らが目にしている星たちは太陽を別とすれば近いものでも4光年、遠いものは132億光年の彼方に存在する。その光がそれぞれの時間を掛けてこの宇宙空間を突き抜け今地球に到達し、僕らはそれを一緒くたに見ているのだ。つまり、今生まれたばかりの光と、132億年前の光を同時に見ていると言う事は、宇宙の歴史そのものを見ていると同じと言えるのだ。そこにはもはや存在しないかも知れない天体も沢山あるのかも知れない。時間こそが空間であるとすれば、宇宙の果てのその先はいったいどうなっているのだろう?宇宙物理学者の中には、宇宙は人間がそれが存在するとイメージするから存在するとまで言う人もいるし。ああややこしい、僕には物理学者は無理だ。まったく不思議だね。

右にオリオン大星雲(1,600光年)、左の明るい星の横には馬頭星雲(1,500光年)わかるかなあ?フォトチャンネルでご覧ください。


窓ガラスに発達した霜


 翌朝、朝食を頂いてから天狗岳へ出発した。風は殆どなくて、気温はマイナス15度なのだがそれほどの寒さは感じない。太陽が当たれば体も心も安心感でいっぱいになる。昨日以上に靴がギュッギュッとなる。顔を上げれば、太陽の光が容赦なく目を刺すから、目を細めて歩く。途中でアイゼンを装着して難なく東天狗岳に到着した。硫黄岳、赤岳、阿弥陀岳、南アルプスや北アルプスまで、遮る雲は何もない。まだ冬山には中途半端と思われがちのこの季節だが、この引き締まった空気と、一年中でもっともクリアーな視界は今だけなのだ。人も少なくて、山小屋はゆったり快適である。日帰りで歩く登山者も目立った。

 

発達した結晶はまるで羽毛の様だ


硫黄岳、赤岳、阿弥陀岳


東天狗岳 遠く北アルプス


 西天狗岳へ上ってそのまま西尾根を唐沢鉱泉へ下った。雪も少ないので夏時間とさほど変わらず下山できた。この時期でもひとたび天候が荒れれば、そこは極寒の稜線であることは間違いない。だが、冬晴れのこんな日、さくさくっと歩ける八ヶ岳って、ほんとに魅力的。

 縄文の湯にて入浴、「みつ蔵」の新蕎麦をたぐる。この時期ならではの緑色を帯びた新蕎麦はとても薫り高くツルツルでなのであった。

 

 

 


13晩秋の光城山と美しヶ原 そして新蕎麦

2013年11月26日 | ツアー日記

 光城山は安曇野の東側に連なる、里山にある900メートル程の山だ。松本駅から車で20分程の場所で1時間足らずで登ることが出来る。登山道にはずっと桜が植えられ、春には花見客でも賑わう。毎日登ってるような人もいて、天辺で小宴会なども楽しい山だ。ちょっとした気分転換に登るには手頃な山で、この季節は木の葉も落ちて展望が良くなる。

 登山道にはドウダンツツジが美しく、クヌギの紅葉も黄金色で斜めに差す晩秋の光が透けて、辺りの空気まで染まって見える。久しぶりに快晴のこの日、安曇野越しに見える北アルプスが登るにつれて屏風のように立ち上がり、白銀の連なりはまるでヒマラヤの山々のように見える。冬はいつもそんな風に思うのだ。特に鹿島槍のあたり、堪らないのだ。

ドウダンツツジのトンネル 空気まで赤く染まっている

 小一時間で頂上に到着し、景色の良い所でコーヒータイムとする。おやつは、僕の友人がやってるケーキ屋さん「NOJIRI」のアップルパイだ。このアップルパイは、地元のリンゴしか使わないので、冬限定のメニューだ。バターの薫り高く、甘さ控えめ、さくさくのアップルパイは皆さんにも大好評。買って帰れないだろうかと言う方もいたが、時間的な都合でそれは叶わぬ事だった。まあ、またここに来て食べて頂きたい。昔の人が言った、

「食は四里四方に求めよ」

僕もそう思うのだ。そこで食べるものは間違いなく新鮮で、安全で、そして本物なのだ。最近の食品偽装問題も、複雑怪奇な現代の流通システムの中で起こることだし、消費者だって本物が何かなんて殆どの人は解ってはいない。だから、あんなインチキが堂々とまかり通るのだ。そんなもの食べなくてもいいから、目の前からひっこ抜いた大根とか、ネギとか、蕎麦とか、米とかそんなものを食べていたいと僕は思う。だけど、僕の生活と来たら、山で食べるのは、インスタントラーメンに、アルファ米、山小屋の冷凍食品に、PM2,5入りの生水。しかもそんなフェイクな食べ物に結構詳しくなってしまった。

「NOJIRI」のアップルパイ、このケーキ屋さんは何でも美味しい。

はーい、コーヒーですよ

まるでヒマラヤ?

晩秋の斜光が林床を照らす。

黄金の道

唐松が落ちればいよいよ冬だね、 

 お客さんを温泉に案内して、その間に僕は蕎麦を打つ。今年始めて新蕎麦を打った。なるべく水分を少なめに、手早く練り上げ打ち上げる。水分が多い方が伸びが良くて、楽で打ちやすい事は確かだが、堅めに打ち上げた蕎麦は、コシがつよく切った時に角が立って喉越しが断然良くなる。今日はそんな風に出来ただろうか?納得出来る蕎麦はなかなか打てないのだ。

 今日のおかずは、赤沼ツアー名物のネギコロすき焼きだ。寒くなって甘みを増した長ネギを畑から引っこ抜いて鍋一面に敷き詰めてその上に肉をのっけてすき焼き風に煮る。他の食材、椎茸とか白滝とか焼き豆腐とか入れてもいいが、ない方が僕は断然好きだ。すき焼きは基本的に肉と、長ネギさえあれば成立するので、その他は何か誤魔化されている様な気がしてならないのだ。それほど冬ネギのネギコロすき焼きはうまい。そいえばこの日はもしかしたらその誤魔化し鍋であったな。(笑)

さて、今年の新蕎麦の出来は如何に?・・・・・・・うんまい!!

 翌日も見事なまでの快晴だった。気温は思ったほど寒くなくて、身軽な格好で三城牧場から登り始める。美しヶ原は、深田久弥が選んだ「日本百名山」の一つだが、大概の方は台上まで車で上がって、30分程のお散歩で王ヶ頭という頂上に立っている。

「それで登ったと言える?」

僕は意地悪にもことある毎にお客さんに言ってきた。乗鞍岳もそのひとつ。他の山はよく知らないが、そんなのは他にもあるだろうといぶかっている。そこで、考えたのがこのツアーだ。三城から木船ルートを登って約3時間、眼下に松本平が広がってくると王ヶ鼻に到着した。王ヶ鼻は最高点ではないが、松本から見える頂上らしきものはこの王ヶ鼻であり、景色もこちらの方が楽しめる。最高点の王ヶ頭はそれから車道を30分歩いた所にあって、頂上にはテレビ局の電波塔が林立し、ちょっと殺伐とした雰囲気の中にあるのだ。電波塔を建てるには最高の場所だから、まあ、仕方がないのか。

この人は天狗か南蛮人か?後のひとはどこか宣教師っぽい。

 王ヶ頭

 美ヶ原台上を歩いて塩くれば、そして茶臼山までを歩く。風は穏やかで積雪も5センチぐらいだろうか。雪が30センチも積もっている時もあったし、全くない時もある。北アルプス立山では既に積雪は2メートルを越えるという。そんな時でも、少し内陸に入れば、少雪傾向だったり、雪の予想はなかなか難しい。僕は山スキーをするから、雪の降り方が常に気になって、山を眺めては、その雪質と降る量を想像するのが冬の日課となって居る。その時の一番良い雪は何処なのだろうかなどといつも考えているのだ。またそんなシーズンが訪れた。僕の大好きな冬。

八ヶ岳遠望

美ヶ原ハイランドロッジ・・・・・・・廃屋だ。

鹿の足跡

これは狸か狐だろう

ウサギ(かかとの部分に先ず前足を着き、その前に後ろ足を出すんだよ)

ボタンヅル

 今年は11月も半ばから日本列島に寒気の流入が続いている。山にはずっと雪雲がかかり、連日風が強い日が続いていた。松本駅でお客さんと集合して僕らが光城山を歩いた11月23日(土)、安曇野越しに見える北アルプスは眩いばかりに輝いてた。この時移動中のラジオの中で、今朝起きた立山真砂岳の雪崩遭難事故のニュースが報じられていた。七人が生き埋めとなったとのこと。うち四人は既に掘り出されたが、心肺停止の状態という。あの白銀の北アルプスで、この青い空の下で、悲惨な事故が起こっていたのだ。今年は雪がたっぷりと降って、立山周辺は山スキーには最高のシーズンと聞いていたから、僕も時間さえあれば出かけていたかもしれないと思うと、人ごとではなくて切なくなる。何人かの友人が立山に入山していたし、それは、僕にとって、とても身近な所で起きた事故だったのだ。僕ら山スキーをやるもの達は、いつもそんな危険を背中に背負っている。少し大げさかも知れないが、いつ死んでもおかしくないと言う状況がそこにはあって、僕らはそれを見ないように、考えないようにしているだけなのかも知れない。だが、山を滑ると言う衝動は抑えきれない。今年も僕は滑るのだ。青空が痛かった。

 扉温泉にて入浴、松本駅解散。

 


13表妙義縦走11月19,20日

2013年11月24日 | ツアー日記

信州は唐松が萌える

 唐松の紅葉が始まれば季節は晩秋へと向かう。長野県は概ね標高が高いので寒冷で、唐松の紅葉も次第に終わりつつあるのだが、碓氷峠を下って松井田辺りまで来ると、長野県とは全く違った空気感を感じるのだ。出がけの我が家の辺りは、この時期としては異常に強い冬型の気圧配置となっていて、北アルプスには雪雲がかかり、風花が(雪雲から千切れ飛来するはらはらと舞う雪)今にも舞いそうな雰囲気だったのに、ここ松井田は関東平野を伸び伸びと臨んで、雲のかけらも無い。キリッとした空気、抜ける様な青空が実に爽やかでいい。そんな日だまりの季節、妙義山は紅葉真っ盛りとなっていた。

 今回は難路、表妙義を縦走する。朝6時に妙義神社から入山した。辺りはまだほの暗かったので、写真を撮ることが出来無かったが、妙義神社は実に素晴らしい神社だ。岩山を背に急傾斜地に祀られたこの神社は、美しい石段と名刺一枚差し込めない程緻密に組まれた石垣が見事で、そこに朱に似られた建物が整然と配置されて居る。華麗ではあるが過剰に華美ではない。俗界とは一線を画すその神秘的な雰囲気は、我々を静かな気持ちにさせてくれるのだ。またゆっくりと佇んで見たいなと思うのだ。

 神社の一番奥まったところから入山すると、ようやく差し始めた朝日が森を通り抜け、まだほの暗い地面をぽっかりと茜に照らしていた。長野県は周りをぐるりと山に取り囲まれているので、朝日や夕日が赤く染まることがない。太陽は黄色いまま登り、黄色いまま山端に沈んでいく。だから関東平野のその先から登る朝日は僕をびっくりさせるのだ。夕日もまた然り、それは厚いスモッグの層を通り過ぎて来た光なのかも知れないが、東京で見る夕日はトマトのように赤く、僕はそれについ見とれてしまう。近代的なビル群に反射する夕日も僕の心をざわつかせるのだ。

 急傾斜を登っていく。奥の院ではロープを使う。見晴らしからは、稜線縦走となるが、ビビリ岩、玉石、大覗き、次々と岩場が現れ緊張とそれを繋ぐ登山道での日だまりウォークが真逆な雰囲気で楽しい。稜線は紅葉も終わって木の葉が落ちているから、視線を遮るものはなく見晴らしはすこぶる良い。関東平野を見下ろしながら楽しい登降だ。表妙義の南面は数百メートルの岸壁が屹立して、蒼い空を垂直に切り取っていた。

 表妙義は東側を天狗岳や相馬岳と言った小ピークを総称して白雲山と言い、茨尾根を隔てて西側は東岳、中之岳、西岳などで構成されていて金洞山と呼ばれる。茨尾根辺りは、難しくはないが、粘土質の道が不安定で、そこに落ち葉が降り積もり、足でかき分けながら進む。まるで落ち葉のラッセルだ。

垂壁

相馬岳より目指す金洞山 一番手前の岩峰直下が鷹戻し

イワヒバ 盆栽などに珍重される。乾燥するとくるっと丸まって雨を待つ

 茨尾根の岸壁をトラバースしていた時ふと見上げたら妙なものを発見した。キノコ?蜂の巣?んーーーーーなんだろ?平たい巨大なキノコの様なものが重なるように整然と並んでいる。

 その場では解らなかったが、帰ってから写真を拡大してみて、それが蜂の巣であることに驚いた。一枚一枚の表面にはハニカム構造が見えて、これが明らかに蜂の巣である事が解る。通常このような岩場に巣を掛ける蜂は、キイロスズメバチやトックリバチなどで丸い外殻を作り風雨からその巣を守る。それに対してクロスズメバチや、オオスズメバチなどは外殻を作らず地面の穴や木の洞に巣を掛ける。だからこの巣はおそらくそんな外殻を作らないタイプの蜂で、それは何かと色々考えたが、その色から多分これはミツバチなのでは無いかと思うに至った。岩壁の途中に出来た屋根状の岩窪があたかも洞を感じさせ、ここなら大丈夫、ここにしようとなったのだろう。そして、間違って????ここに巣を掛けてしまったのだ、きっと。とにかくこんなもの見るのは初めてだ。みなさん、見たことあります?関係無いかも知れないが、道すがらにはミツバツツジも狂い咲いていた。

狂い咲いたミツバツツジ

鷹戻し

 女坂のルートを分けしばらく行くと、いよいよ核心部の鷹戻しを登る。垂直の岩稜を鎖を頼りによじ登る。雨の日には絶対に行かない方がいいところだと思う。この日の下山後、中之岳神社駐車場にある土産物屋のおばさんが、先週ここで滑落した女性が居ることを教えてくれた。四人パーティーの一人が、力尽きて100メートル滑落死したのだそうだ。ロープなしだったとのこと。腕力の無い方はまごついている間に力尽きる。絶対ロープを使うべき場所。この日数人の単独登山者とすれ違った。これも何処かでひとり滑落してしまえば行方不明となってしまうわけで、慎むべき行動だと思う。金洞山周辺には鷹戻しを初めとして三カ所のややこしい岩場がある。鎖はついてはいるものの失敗は許されない。

鷹戻しを登り切る

垂直の壁を下る、下部7メートルはマジに垂直だ。

遠く浅間山

背後に関東平野

 中之岳を越え岩場を一つ下ると、星穴岳へのルートを分け、後は中之岳神社まで穏やかな下りとなる。第四石門への道を遭わせると、ルートは遊歩道という感じになり、観光客の人達がのんびり歩いている。僕らの心も緊張から解放され、達成感で満たされている。程なく中之岳神社にゴールした。

この実はなに?見た目も味もリンゴである。だが猛烈に渋い。口が曲がる。北アルプスでは見かけないこのリンゴのようなもの、なんだろ?

 冒頭、妙義神社の奥ゆかしさ、荘厳さについて書いたが、下山した中之岳神社は、それに対向するかのようなインチキ臭さが魅力だ。先ずはなんと言ってもこの大黒様。日本一の大黒様なんだそうだが、僕はこれを見る度に笑いをこらえるのに苦労する。荘厳さとは無縁なお土産物屋や神主の住居とおぼしき建物が建ち並ぶその背後に、金色っぽい(これポイントね)巨大な大黒様が鎮座なさっていて、それはおそらくFRP製である。また、その顔つきがなんか「一発当てたるぜ!」と言ってるようにも見える。これはお客さん全員一致の感想だ。「日本一の大黒様」と書かれた黄色い登り旗が何本も境内にひらめいてそれが陳腐さに拍車をかける。バカにしている訳じゃ無くて、ここまで来るとその不可思議さとセンスに僕は衝撃を受けるのだ。この世には様々な感覚の人達がいると言う事に。

 神社入り口周辺には、福田赳夫元総理と中曽根康弘総理の書を刻んだ石碑もあった。それぞれは立派なものであるが、中曽根さんのは、表面をグラインダーが何かでガリガリ削った跡があって、多分これはペンキか何かをぶかっけられたのではないかと想像をかき立てられる。うさん臭くて実に面白い神社だ。皆さん、妙義にお出でになった時は両神社セットでの御参拝をお勧めします。

表妙義の写真

 


秋のクライミング講習会大町人工壁

2013年11月18日 | ツアー日記

 年に二回6月と11月に行っているクライミング講習会を11月13日14日で開いた。場所は大町人工壁。この日は12日から冬型の気圧配置が強まり、真冬並みの寒気団が日本列島を覆っていたためとても寒く少し大変だったが、皆さん頑張ってロープワークを勉強する。

 先ずはなんと言ってもロープの結び方。八の字結び、プルージック、この二つをしっかりやって頂く。ロープを結ぶと言うことはさして難しい事では無いのだが、間違いは命取りとなるので、確実に出来る様にならないといけない。一度出来たからと言ってそれは出来る様になったとは言えなくて、現場でそれが躊躇無く出来て始めて自分のものになったと言える。そのためには、何度でも反復練習しかない。解った様なつもりでも、現場でパニックになればそれが全く出来なくなったりするものだから。今回のお客さんも参加は二回目、三回目の方もいらっしゃった。

八の字は、ハーネスにロープを縛り付ける為の結び。現在もっとも確実な結びとされる。作るのは簡単だし、その形を確認することで間違えも少ない。

プルージックは、固定されたロープに縛り付けて登降する為の結び。大変便利だが、リスクもある。

これはアッセンダーというもの。登り方向には動くが下り方向ではロックする。要するに滑落しない。

別なアッセンダー「ロープマン」こんな簡単なものでも充分に効く。

 ロープの結びが出来る様になったところで、実際の岩場に登ってみる。最初は上部に作った支点でロープを折り返しその一方の末端に登攀者がつき、反対側を確保者が制動器で確保する。この練習の目的は、登ることにもあるのだが、下りの際にロープにぶら下がる事になるので、明日の懸垂下降に向けての体の使い方が体感できる。

 7~8メートル程、70度ぐらいの傾斜の壁を登っては降りる。それを何度か繰り返し、ロープとの信頼関係が出来上がったところで1日目は終了した。

 この日はガイド宅泊。寒くなってようやく美味しくなった長ネギを使ってのねぎ鍋を食べて頂いた。三センチぐらいに切った長ネギを立ててすき焼き鍋の底一面に敷き詰め、その上に豚バラ肉をそのネギが見えなくなるぐらいに同じく敷き詰め割り下で煮る。要するに葱と肉だけのすき焼きみたいなもんだが、これがネギの甘みが際だってすこぶる美味い。立てて並べたネギの中を沸き上がった煮汁が、また鍋の底に戻って行く。フツフツ、フツフツと。シメは手打ち蕎麦。日本酒が実に旨い。いい季節だね。

 さて二日目、大町は晴天の朝となった。もう一度結び方のおさらいをして、今度は実際に懸垂下降に挑戦だ。八の字結びを確実にすること、そして登りセルフビレーを取ること、エイト環ををセットし、セルフビレーを解除して懸垂に入る。この順番を間違えないこと。今自分がしていることを理解し、手順を間違えないようにこなしていけば、墜落の要素は無くなるのだ。

 慣れてきたら高さを上げる。人工壁の天辺まで登り、懸垂下降で下る。上部は完全な垂壁だが皆さん上手いことロープとの信頼関係が出来上がった為か、怖がらずに一連の動きをこなしていく。実に頼もしい。

 最後はテラスのある壁から離れ、完全な垂壁を登り下降する。恐怖心を乗り越えれば笑っちゃうぐらい楽しい世界が待っているのだ。皆さん終始ニコニコであった。

 最後は確保も自分たちでやって頂いた。パートナーの安全の為に、確実にするべき事をして、責任を持つこと。それが出来ればその先にはきっと新しい世界が広がっている。

 わっぱら屋にて盛りそばを頂く。夕べも食べたのに、また蕎麦を食べるお客様。そんなに蕎麦っていいものなんだね。もし信州で食べ物屋をするとしたら、蕎麦屋に限ると言うわけだね。

 

 


13鬼女紅葉の荒倉山と東山10月26、27日

2013年10月29日 | ツアー日記

落葉1

 鬼無里の秋は真っ盛りだった。台風27号の風雨が落とした落ち葉が足下を埋め、何処までも錦の道が続く。見上げれば紅葉、紅葉、紅葉。ここ荒倉山は紅葉の山だ。赤が黄色が橙々が、まだ染まらぬ緑に映える。この日台風が去って、日本付近は西高東低の冬型の気圧配置となった。寒気が降りてきて、日本海側に近い荒倉山は時雨れた。今年一番の寒さ。時々ぱらぱらと降る冷たい雨に、雨合羽を着込み荒倉山の最高峰砂鉢山を目指す。時々、雲が切れて鬼無里の里が見えたり、飯縄山が見えたりはするが、北アルプスを臨むことは出来ない。雲の中の北アルプスはおそらく雪が降っていることだろう。

紅葉1

紅葉2

落葉2

紅葉3

紅葉4

 

紅葉5

 ここ荒倉山は鬼女紅葉の山だ。鬼女紅葉は千年ほど前、京から流された女性だ。鬼無里の名の由来もそこに始まり、村内(現在は長野市鬼無里だが)には、西京、東京、二条、三条などの地名や伝説の場所を数多く残す。その伝説とは、こういったものだ。

以下 鬼無里観光振興会HPより引用・・・・・・・・・

鬼女紅葉
 その昔、会津の伴笹丸・菊世夫婦は第六天の魔王に祈って娘呉葉を授かりました。娘が才色備えた美しい女性に成長したとき、一家は都に上って小店を開き呉葉は紅葉と名を改めて琴の指南を始めました。
 ある日、紅葉の琴の音に足を止めた源経基公の御台所は紅葉を屋敷に召して侍女といたしました。
紅葉の美しさは経基公の目にも止まり、公は紅葉を召して夜を共にしました。
 経基公の子を宿した紅葉は公の寵愛を独り占めにしたいと思うようになり、邪法を使い御台所を呪い殺そうと計りましたが企てが露見してしまい、紅葉は捕らえられ信濃の戸隠へ流されてしまいました。
 信濃に至り、川を遡ると水無瀬という山里に出ました。「我は都の者。御台所の嫉妬で追放の憂き目にあいなった。」と語る麗人に純朴な里人は哀れみ、内裏屋敷を建てて住まわせました。
紅葉は喜び、里人が病に苦しむと占いや加持祈祷で直してあげたのでした。
 紅葉は付近の里に東京、西京、二条、三条、などの名をつけて都を偲んでいましたが、月満ちて玉のような男の子を産むと、その子を一目経基公に見せたいと思うようになり、兵を集め力づくでも都へ上ろうと考えました。
 里人には「経基公より迎えが来たので都へ戻ります」と言い置き、戸隠荒倉山の岩屋に移ると、戸隠山中の山賊を配下とし、村々を襲い軍資金を集めました。
 そのうわさが冷泉天皇の知るところとなり、天皇は平維茂に紅葉征伐を命じました。
 平維茂は山賊共を打ち破り、紅葉の岩屋へ攻め寄せますが、紅葉は妖術を使い維茂軍を道に迷わせます。
 妖術を破るには神仏の力にすがるほかないと別所温泉北向き観音に籠もり、満願の日に一振りの宝剣を授かりました。
 意気上がる維茂軍を紅葉は又もや妖術で退けようとしましたが宝剣の前に術が効きません。やむなく雲に乗って逃げようとする紅葉に、維茂は宝剣を弓につがえて放つと、紅葉の胸に刺さり、地面に落ちて息絶えました。
享年33歳と伝わります。
人々はこれより水無瀬の里を鬼のいない里・鬼無里と言うようになりました・・・・・・・・引用終わり
 
 なんとも切ない物語だ。愛する人と引き離され、都を追われた紅葉はやがて情念の女となりこの里を、人々を焼き尽くそうとした。だがこんな物語に、僕は妙にリアリティーを感じてしまう。この物語は伝説ではなくて、おそらく本当の話。そして、何世代にもわたって語り継ぐ人達の心をえぐり、心かき乱し、何とも言えない切なさを覚えさせてきた物語。おとぎ話ではない深みのある話だからこそ、僕らは感動し、人々を苦しめた鬼女でありながら、未だに愛され続けていると思うのだ。紅葉はただ、愛する人のところへ帰りたかっただけなのではないだろうか?ただその道は果てしなく遠く、激しかった。そう、己が鬼とならなければか叶えられないほど激しかったのだ。重く深い悲しみがそこにはある。
 
 宿に入ったその夜も、時雨模様は続き時々雨が降って風が強かった。あたかも紅葉が暴れ回っているかの様だった。もしかしたら明日の東山は雪になっているかもなあなどと思いつつ、やがて僕は気を失うように眠ってしまった。電気もつけっぱなしで。全く紅葉にやられてしまったのだ。

紅葉の岩屋、盗賊どもが立てこもるには十分な広さがある

謡曲「紅葉狩」の舞台はここなのだ。

紅葉稲荷 情念の赤

黄金の道

お客さんの今野さん撮影(今野さんありがとう)

 翌朝奥裾花自然園から、中西山のコルを目指す。天気は回復せず、雨は降らないまでも、風が強い。稜線ではかなり煽られそうな予感がする。気温もグッと冷え込んで、腕を組んで首をすぼめて僕らは歩いた。風が僕らの熱を奪う。なるべく汗をかかぬよう歩こう。

 美しい紅葉を撮影しようとして僕は愕然とした。朝電池を入れ替えたはずのカメラが起動しない。うんともすんとも言わない。どうも、充電済みと思って持ち歩いていた替え電池は空っぽのそれだったようだ。一気にやる気を無くしたが、ふとスマホの存在を思い出して気を取り直す。

「今日はこれでいくか!」

と言うわけでこの日の写真はスマホ版。

 稜線はやはり西からの風が、ゴウゴウ言いながら木々を揺らしていた。だが、背丈以上もあるネマガリタケに守られて、僕らの歩く道は殆ど影響なく歩くことが出来る。ネマガリタケの道は、綺麗に刈り取られていて体をそれほど濡らさずに済んだ。冬型の気圧配置は以前続いて、北アルプスは厚い雪雲に覆われていた。それでも、時折足下がパット開けて、小谷の里が見えたりすることもある。標高があがると、霧氷に飾られた稜線歩きとなる。そして・・・・・・・・・雪。はらりはらりと雪が舞い落ちる。みんなが歓声を上げる。今年一番最初の雪、初雪だ。初雪って、なんかワクワクする。みんな、そうだと思う。特に山に登って初雪が舞うとなんか得した気分になる。でしょ?

 


 

 

今野さん撮影

 東山までは、小さなピークをいくつか越えていく。一つ岩峰があって、雪でもついているとやっかいだなあと思っていたのだが、そこも問題なかった。午後には次第に高気圧に覆われてくると言う予報どおり、青空が顔を出したり、北アルプスの稜線もちらっと見えたりでかなりドラマチックだ。何より、霧氷が美しい。東山まで4時間半。充実感ある行程だった。

 じっとしていると寒いので、早々に引き返す。帰りも結構な上り下りがあるから楽では無いが、天候も回復傾向だし心には余裕がある。次第に気温が上がってきたのか、霧氷が風にたたき落とされて、バラバラと降り注ぐ。それはあたかも鬼女紅葉に悪戯されているかのようだった。

 鬼無里の湯にて入浴、「いろは堂」のオヤキを土産に、長野駅解散。

 

 

 

 

 最後に今回泊まった宿をご紹介しよう。

鬼無里   「裾花館」

いつも泊まっているところがいっぱいで、仕方なくここになったのだが、なんと大当たり。夕食は食べきれない程出てメインはこのキノコ鍋。天然キノコがこれでもかと入っている。マイタケに、あれにこれになんとかかんとか、全然解らないけど、腰を抜かすほど豪華な鍋だ。当たり前だが、キノコはいつでもあるわけではないと言うことだ。アタリの一日だったわけだ。朝食も朝弁当にしようと思っていたが、朝早くに出して頂けた。温かい食事、感謝、感謝。

 と言うわけで、お勧め。

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阿弥陀岳南陵日帰りバリエーション10月22日

2013年10月28日 | ツアー日記

 早朝にお客さんが宿泊しているグリーンプラザにお迎えに上がる。朝5時半集合だというのに、この宿では朝食を出してくれて、お見送りまでしてくれて、僕は泊まってはいないのだけれど、なかなか感じの良い宿だなあと思う。お客さんにどうだったかと聞くと、食事も美味しくてボリュームもあって大満足だったと言う事だ。こういう情報は大事で、そんな生の声や体験があって、僕の使う宿や食事処リストが出来上がってきた。お客さんと山行を終えたとき何処で風呂に入って、何処で食事をするかというのは重要で、そこが上手く行けば良い感じで山行の余韻を持ち続ける事が出来る。幸せな気分のまま家に帰る事が出来るのだ。そこでいやな思いをすると、山行全体が味気なく感じてしまう。僕みたいな個人ガイドは、そんな穴場情報を持っていて、ガイド同士情報交換したりもする。最後にそんなお気に入りのところにお客さんを案内して、

「美味しいですね!」

と言ってもらうと、こちらもおもいきり鼻の穴ふくらまして

「そうでしょ?」

と、とても幸せな気分になるのだ。大手のツアー会社では絶対に立ち寄れない素敵な店を僕は結構知っている。山の帰りや、何かのついでに気になる店に入ってみてリサーチしたりもする。いつも通りすがりに見ている気になるラーメン屋などもチャンスがあれば行ってみるのだ。そんなところを探すのもガイドとしての僕の楽しみだ。

ヌメリスギタケ。。。。。かな?

 10月も半ば過ぎ、阿弥陀岳南陵はこの時期日帰りで出来るバリエーションルートだ。北アルプスではそろそろ雪が降り始め、山小屋も大きなところを残して殆どが店じまいのシーズンだ。半端に降った雪は日中溶けて、また夜には再凍結するので、岩場はツルツルだったりするし、かといってアイゼンをずっと着けて歩くほどでもなかったりする微妙なシーズンだ。八ヶ岳は日本海から遠く内陸に位置するため、雪が来るのはもう少し後の事になるし、日だまりの山行をまだまだ楽しめる。

青ナギ

P3

 舟山十字路から林道を入って南陵に取り付く。直ぐ尾根に登り上げるが、周辺は岩場とザラザラとした砂地がある松の森のだ。明らかに松茸が生えそうな場所だ。しばらく行くと「キノコ山につき、立ち入り禁止、罰金十万円」の看板。一帯は地元の共有林となっているようで、毎年の山周りの人達がたてた、境界をしめす札があちこちに束になって立っている。苔むした森の中は全くバリエーションらしくもなく普通の登山道を行くのと何ら変わりない。P1、P2も難なく越えて、いよいよ核心のP3だ。P3には尾根を行くルートと、西側のルンゼを行く岩溝コースがある。尾根ルートの方が難易度は高い。岩溝コースには常にチョロチョロ水が流れていて、11月にもなればこれが凍結を始める。こうなると完全にアイゼンピッケルの世界で、簡単には登れないのだが、この日はまだ凍結していなくて簡単に登ることができた。もちろん、ロープは必携だが。

ワンピッチ目のルンゼ

2ピッチ目の急な草付き

 ここを過ぎるとあとはザラザラとした尾根を行けば阿弥陀岳に到着だ。頂上で赤岳の展望を待ったが、濃いガスの中とうとうその姿を見せてくれることは無かった。木漏れ日の御小屋尾根を下って舟山十字路へ戻った。

 阿弥陀岳南陵はアプローチも短く冬ルートとしても人気のあるところ。今度の冬には一度訪れてみようかと思う。

 


13錦秋戸隠縦走10月23,24日

2013年10月24日 | ツアー日記

 戸隠は今、秋まっただ中である。どこを見ても鮮やかに色づいた木々が目に入る。戸隠神社奥社までの参道を歩けば、桂の木の落ち葉が甘く香っている。それはまるで綿菓子のような香りだ。落ち葉は桜餅の様な香りがしてみたり、少しアンモニア臭が鼻をついたり、カビっぽかったり、そんな香りが僕は好きだ。深呼吸をして吸い込みたくなる。僕はそれほど鼻の利く方ではない。キノコや、花の香りなどはよく解らなくて、人に指摘されて始めて色んな香りに気づく。だが、その僕が気づく位だから、枯れ葉の香りは相当強烈なのだろう。

 昨年の今頃はパワースポットブームでこの戸隠神社奥社参道は沢山の若者で溢れていた。参拝の人の順番待ち行列が出来て、その長さは数百メートルに及んでいた。それでもそこに並ぶカップル達は楽しそうだった。だが今年はその気配は全くない。ブームが過ぎたのか、戸隠神社の霊力が失せたのか定かではない。永遠の愛を祈願しに来る若者達のその後はどのようになっているだろうか?などと考えながら参道を行く。

 

 今日は曇り空。10月下旬だというのに、台風26号と27号が日本列島に接近し、その影響をうけてぱっとしないのだ。そう言えば秋晴れなんて今年はあまりないような気がする。しかも接近中の台風は中心気圧925hPa。中心の最大瞬間風速は70メートルの超怒級の強力さ。9月から台風が来る度最大級とか、最強とかそんな事を天気予報では言ってるし、いったいどうなっちゃってるんだろうね、僕らの地球は。

 と言うわけでこのブログを書きながら次のツアーの日程調整に追われている。26日(土)は台風の影響が残りそうだし、27日(日)は何とかなりそうだから、荒倉山を諦めて、東山のみに専念して催行しようかとか辞めてしまおうかとか色々考える。僕の仕事はほんとにお天気相手なので、中止になることもよくあることで全く不安定な商売である。だけど、何とか生きてこられたし、これからもまだしばらくは続けて行くつもりでいる。話が大きくそれてしまった。いったいこれは何の報告なのか、大変申し訳ない。 たまにはこんな気の向くままにしか書けないこともあると言う事でご勘弁を。

 登山道に入って心配していたのはやはり雨だ。戸隠周辺は雨の日はとても滑りやすくなるから。岩場以外は粘土質のところが多いから、靴底に泥が付くと岩場でやっかいだし、垂直に近い岩場の鎖はツルツルになる。特に最近のステンレスの鎖は、雨の日イヤな感じがする。女性など握力の弱い方には辛いかも知れない。幸い、濃いガスの中を行くことになったが、岩は道は概ね乾いていて不安は無かった。蟻の塔渡りもロープを張って安全に万全を期す。垂直の崖下はガスでけぶって見えなかったから、恐怖感も意外となかったのかも知れない。蟻の塔渡りを越えると本当にほっとする。

 八方睨みを越えると戸隠山に至る。戸隠山は何とも目立たないピークで、一応ここら辺で一番高いのだが、展望もあまり良くないし、頂上の看板も立派なものではない。なにより、やっと登ったと言う感覚に乏しい。縦走路のなかの小ピークといった感じだ。やはり戸隠の主峰は八方睨なのだと思う。吹き付ける霧の為に粘土質の道は滑りやすい。下りは特にいやらしい。

 一不動の避難小屋にはアサヒビールが出資したトイレブースが出来ていた。中には洋式便座みたいなものがあって、付属の弁袋を便座に装着して用を足す。戸隠牧場から登ってくる道沿いにある一杯清水の水質汚染をさせないために必要なことではある。臭いも残らないから快適なのだが、それを持って歩かなければいけないのは少し抵抗がある。だがこれは時代の流れなのだから受け入れなければねえ。

 このトイレブースはアサヒビールの寄付により設置されたものだ。調べたところ、アサヒビールと長野県がタイアップして展開している事業で、2009年からの寄付金の総額は2600万円を超えるらしい。それで藪漕ぎ山の安平路山とか奥念丈山とかにアサヒビール提供の看板があったのだ。この前書いた、マムートの件と比べるとかなり好感が持てる。あまり宣伝にもならないところに地味に金を使っている感じ。どうひっくり返ってもマムートはトイレにあのロゴを付けるとは思えないし。。。。。。。ついつい出てしまうマムート批判。マムートファンの皆さんごめんなさい。

 戸隠牧場へは谷沿いのいやらしい下りだ。晴れた日でもじめじめして気が抜けないのに、今日はなおさらだ。谷を下ると広々とした牧場に飛び出す。数頭の馬が、降り出した雨に濡れながらも草を喰んでいる。僕らを見つけ栗毛の一頭が近づいてきた。馬の鼻筋を撫でてあげると実に気持ちよさそうな顔をした。僕らが立ち去ろうとすると柵越しに着いてくる。実に人なつこい。いい子だなあ、穏やかで、寂しがり屋で。連れて帰りたくなる。馬と暮らす日々はきっと素敵なんだろうなと夢を見る。ありえんか?

戸隠牧場の牧草を集める機械

ルリミノウシコロシ

 神告げ温泉にて入浴、雨で人出が少ない為か、いつもの「うずら家」も意外と空いていて待ち時間なし。今日は奮発して大盛りを頂く。長野駅解散。