穂高連峰
上高地への玄関である釜トンネルを抜けるて僕らは狐につままれた様な気分になった。2月15日の記録的大雪があって、僕は今回の冬期霞沢岳テント泊山行がとても心配だった。大雪でどうにもならない事になって居るのではないか?過酷なラッセルが予想できた。松本で80センチの積雪である。それが山に積もっていたとしたら、とても一日でテント予定地に到達することは出来ないであろう。と言うわけで、ツアーの前日僕はサポートガイドの「ヘラクレス松澤」氏と、釜トンネルを歩き事前ラッセルにやって来たのだ。
トンネルを抜けすぐ猛烈なラッセルが始まるものと僕らは思っていた。だがそこで見たものは、乾いたアスファルトの路面だった。しばらくは事態が理解できなかった。まさしく狐につままれた様な気分だ。大雪のあと除雪されて乾いているのではない。道路脇の雪もものすごく少なくて、とても数日前に大雪が降った様には見えないのだ。山の斜面にはクマザサが露出している。そうなのだ、あの大雪の日、ここ上高地では殆ど雪が降らなかったのだ。ほんの少しの距離なのに、上高地をグルリ取り巻く高い山が、低い雪雲を阻んだとでもいうのだろうか?僕らの心は少し軽くなって目的の霞沢西尾根に取り付いた。
ラッセルマシン「ヘラクレス松澤」
例年苦労する取り付きも難なく突破した。ワカンを履いていれば、絞まり気味の雪面では良い感じに乗ることも出来るし、時々ある猛烈な急斜面の深雪ラッセルも、このルートでは当たり前の事で、特別な状況ではない。そんな場所の雪質は砂のようにサラサラで、踏んでも踏んでも足場が出来ないのだ。急斜面では雪面が胸に当たる程だ。先ず両手で目の前の雪を崩して膝でケリを入れる。足で雪を踏み穴を開け、そこに廻りの雪を掻き落とし更に足で踏んでようやくひとつの足場の出来上がる。これさえも完全というわけでなく、体重を乗せ換えた瞬間それはあっさり崩れ去ったりする。その時それだけ落胆することか。そんな状況でワッセワッセ交代しながら僕らはラッセルを繰りかえした。釜トンネルから5時間、ようやく僕らはテント泊予定地直下に到達した。7人テントと鍋、食料などをデポして下山する。下山はあっという間の1時間半だ。ラッセルはやはり厳しい。明日は大分楽になる。
焼岳
急坂のラッセル
翌日お客さんと合流して西尾根に取り付いた。荷物が大分少ないので気分は軽い。足下には大正池、そして穂高連峰画眩しく輝いていた。今回の登山方法は、ヒマラヤなどで行われる極地法という登山スタイルといえる。ルート工作をして、荷揚げをしキャンプを延ばして行く。言うならばプチ極地法だ。昨日の到達地点からはデポ品を背負って、最後は猛烈なラッセルをしてテント場まで3時間半で到達した。昨年は7時間近くかかったところだ。お客さんの装備負担もかなり少ないので喜ばれた。サービスも大変である。まだ時間に余裕があるので冬山に手慣れてきたお客さん達に水作りを頼んでガイドはさらに上部のラッセルに向かう。雪は少なめでこれなら何とか登頂が可能だろう。この段取り通りに全てが上手く行く感じが心地よい。
テント場の整地、サラサラ雪を固めるためお客さん達の背中を借りる。
テントの中はとても暖かかった。風もなく静かな夜。そして快晴の朝、こんな好天は久しぶりではないだろうか。陽の光は春に向けて力強さを増している。微風。ラッセルもたいしたことはなく、非常に快適である。森林限界を超え大パノラマが広がり始める。視界を遮るもの何もはなく、ずっと遠くまで見通せる。核心部の雪稜と露岩のドームもロープを使って大胆に登った。ここを突破して広い稜線を辿れば山頂だ。そこには最高のピークがあった。お客さんたちも心底嬉しそうで僕は幸せだった。こんな風にみんなで喜びを分かち合えるこの仕事、悪くないと思う。きつくても辞められないのはきっとこんな瞬間の為なのだろう。
ドームの登攀
ガイドはこんなに背負わなくてはならない。いったい何キロになるのか計った事は無い。何故ならがっかりするだけだから。必要な物は持って行く、ただそれだけ。
雪道の下山は速い。怖がらずに体を前へ前へ放り出していくと、深雪にはまった足は後から勝手に着いてくる。間違っても足だけ置き去りにすることはないので、思い切って歩けばいいのだ。釜トンネルを抜け今回の山行が終わる。何とも言えない充実感。お客さん達も満足そうだ。やったね!
沢渡のペンション「シルフレイ」で入浴(なんと入浴料350円、湯上がりにはお茶と野沢菜のサービス付き、良い風呂ですよ)、いつもの稲核「わたなべ」で蕎麦をたぐり松本駅解散。ああ、なんと心地よいことか。
大正池
冬期霞沢岳テント泊山行