黒戸尾根は深くしみじみとしたクラシックルートだ。北沢峠からのルートが最近のメインルートになったとは言え、この長大な尾根からの駒ヶ岳登頂はある種の登山者の心を捕らえて止まない。竹宇神社から甲斐駒ヶ岳までの標高差はなんと2,200メートルを誇る。登り返しを含めると2,400メートルくらいになるのではないだろうか。これだけの標高差を持つ尾根は他には早月尾根ぐらいなものか。しかもここを三月とはいえ、まだまだ冬期と言える時期に登る。お客様は3名様。
ルートは良く踏みならされ、流石にクラシックルートと言う事を感じさせてくれる。不動明王を祀る竹宇神社の信仰の山でもあるので、祠や石碑、不動明王が手に持つ三鈷剣などがそこここに据えられているし、殆どが原生林なので落ち着いた気持ちにさせてくれる。葉が落ちて明るい尾根を次第に高度を上げていくが、前半は概ねなだらかな登りだ。
笹ノ平をすぎしばらく行くと道には残雪が張り付くようになる。これは、登山者に踏まれ、日中の暖かさで溶けては再凍結を繰り返した雪なので、所々だが雪というよりは完全な氷であるので迷わずアイゼンを装着する。
刃渡りは名前こそ勇ましいが、全く問題無く通過出来る。岩が露出し、周りに木がないので、難所というよりはむしろ格好のビューポイントという感じだ。八ヶ岳の裾野が広々と見えるし、甲府盆地までが伸びやかに見渡せる。富山の山も海まで臨めるその高度感と視界の広さは格別だが、ここと鳳凰三山は甲府盆地までを直接足下に眺められるので非常に高度感があって僕は好きだ。長野県の山は意外と里が見えない。
冬の難所は刀利天狗直下から始まる。鎖とハシゴがある上に、ここがつるつるの青氷になっているので脇の木にぶら下がり、時にはルートを樹林のなかに求めたりしながら急登を登っていく。この日は三月をしては観測史上最高の気温を記録した日だった。黒戸尾根もその為か雪はベトベトで、油断をすると腰までの雪穴に落ちる。いくら木をつけても落ちるので仕方が無いが、一歩一歩を「大丈夫ここ?」と自問自答しながら歩くのでやたら疲れる。いったん穴に落ちると5倍は疲れるのだ。
黒戸山を越えるといったん道は100メートルほど下り五合目小屋跡を通過する。ここから七丈小屋までは、地図によると1時間の行程になっているがとんでもない。夏でも多分無理じゃないかと思うのだけれど。
これから先が今日の正念場となる。鞍部を過ぎると再び梯子と鎖場になっていて、雪と氷が張り付いているので緊張を強いられる。そこを過ぎても痩せ尾根を行く。雪はグサグサ、重い装備が肩に食い込む。お客さんもバテ気味だ。
再び小さく下って屏風岩となる。ここでは迷わずロープを使った。急な梯子を越えた先の雪壁、そして、鎖のぶら下がった垂直の岩を登り、その先のアイスバーンを越えなければならない。一人一人慎重に。
6時半に竹宇神社を出てから七丈小屋へ到着したのは午後4時。なんと9時間半を要した。いつもはこんなに時間は掛からないのに全ては雪質のせいなのだ。
七丈小屋は通年営業である。冬期は食事の提供は無いが大型ストーブを二つもつけてくれて、お湯は使い放題でとても助かる。冬装備を前提に、ガスやらシュラフやらを持って行くと、ガスは使わないし冬期のシュラフだと暑すぎるということになる。
ここ七丈小屋の大将はかなりユニークな人物だ。こんなところに一人で一年中暮らしているのだからユニークでないはずが無いが、言葉は極力少なめで目で物をいう人なのだ。布団と毛布が積み上げてあるがその様は完璧で、ぴしっとスジが通って見事に垂直に積み上げられている。登山者はこの布団に触れることは一切許されず、布団を敷くこともかたずけることも大将におまかせ。まるで旅館みたい?(笑) だからといって、不機嫌でぞんざいな感じは全くなくてこちらがちゃんとしていればちゃんと対応してくれる人なのだ。サービスで出してくれるカップお汁粉が体にメチャクチャ染みる。日本で最高のカップ汁粉。(笑)因みに二日目は、震災のこと、北朝鮮のこと、環境の事、日本のことなど1時間ほど一緒に話した。結構おしゃべりな大将である。
さすがの赤沼ガイドも今日はくたびれました。酒もろくに飲まず早めの就寝。
今日はもう一泊の予定だから本来出発は急がないのだが、天気が崩れてくるという予報の元早朝に出発する。冷え込みのお陰で雪は締まってアイゼンの爪がサクッと気持ちよく決まる。やっぱこうでなくちゃ。
八合目を過ぎ、上部の核心部が始まる。ロープを装着し先ずは痩せ尾根を通過。その先の雪壁では支点をとって登るが今日の雪質は恐怖心も少なく安心だった。
ここから上部は灌木もまばらな全山ハードパックのクラスト斜面となる。滑落すれば数百メートルは滑り落ちることは必至だ。ショートロープを握る僕の手にも力が入る。
九合目付近で不動明王を彫り込んだ石碑が安置してあるのに目がとまった。何とも絶妙な据え方なのだ。こういう宗教的なものは、ここへ来るまでの道すがらでも、他の場所でもそうだが殆どが「良い場所」に置かれている。人が直感的に感じる心地よい場所にあるということだ。大岩の麓とか上とか、巨木の影とか、それが美しく存在するように、格好良くある様に。僕はこうした石碑や、祠などそれ自体にはあまり感じないタイプの人間だが、これらを据えた人のセンスや美意識にはいたく感動するし、「うーん、解る解る」というような感覚を持つ。だって、この岩の上に登って腰を下ろしてみたいでしょ?この石碑を据えるのは他の場書ではなくここでしかないでしょ?そんでこの角度で、と言うような感覚。危ないのにわざわざ岩の天辺に剣を立てる。恐怖に打ち勝って岩に穴を掘り剣を立てるのだ。これが人間の芸術性だし、信仰心の証なのだろう。
一時も気を抜けないハードパックのクラスト斜面を、アイゼンを効かせて一歩一歩もぼっていく。風はさほどでもなく空は青く晴れ渡っている。 緊張感はあるが快適な登りだ。
甲斐駒ヶ岳登頂を果たしハイタッチ!やはりここは、頑張ったものにしか味わえない特別な場所なのだ。頂上は若干風は強めだが北岳はじめまわりは素晴らしい眺望だった。僕もそうだが、お客さんも喜びに満たされているだろう。
さあ、気をつけて帰ろう。慎重に下る。人間恐怖を感じると山側に体を寄せてしまいがちだが、それだとアイゼンを角付けして使うことになるからとても危険だ。これが外れれば奈落の底へまっしぐらだ。あくまでも、体を立てて爪全部を効かせて一歩一歩のキックステップが重要な場面だ。この緊張感もたまらない冬の魅力。
七丈小屋にもう一泊し、翌日冬型の気圧配置でグッと冷え込んで強風が吹き荒れる中下山した。深く染みこむような早春の黒戸尾根だった。