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成都市内観光 成都観光ツアー

2018-07-20 09:48:04 | 海外旅行
文殊院
文殊院は成都市青羊区に位置しており、全国漢語系仏教重点寺の一つとして、四川省の重要文物保護対象になり、園林建築、参拝観光、宗教修学を一体化とした仏教聖地となっています。

文殊院は隋大業年間(605年~617年)に建てられ、康熙三十六年(1697年)に集金し、寺を新たに修復、「文殊院」と改名しました。文殊院は敷地20万平方メートルで、現存の建物は典型的な川西平原古代建築風で、全部は木製の建物になっています。

文殊院にたくさんの文物が集まっており、300あまりの尊仏像もあります。剛鉄作り、泥作り、木彫、石刻などといった種類を持っています。年代から言えば、梁の時代の石刻、唐宋年間の剛鉄像や清の時代のブロンズ像、ミャンマーの玉仏などがあり、非常に高い文物価値と芸術価値を持っています。他に、文殊院に明、清の時代よりの珍しい絵画も、経文の書籍、唐代の玄奘法師のお舎利も保存しています。

伏虎寺
伏虎寺は四川省の有名な観光地である峨眉山に登る山門に建立され、峨眉山の第一の伽藍と言われております。話によると、昔、近くの山に虎がいて、人を傷つけたことがあり、お寺の僧がここで虎を鎮める「尊勝幢」を立てたことから名付けられたそうです。また伏虎寺の背後にある山が身を伏せた虎に見えるから、名付けたこともあります。伏虎寺が唐代に建立されたもので、南宋の紹興年間に改築されました。清の順治年間、貫之禅師を始めとした僧人たちが伏虎寺の修繕や増築に取り掛かり、約20年間をかけて立派な「虎渓禅林」を復原させ、とうとう峨眉山の最も大きい伽藍の一つとなっています。

伏虎寺の玄関から入ると、弥勒菩薩が祭られており、両側に四天王の彫像が飾っています。更に中に進むと、普賢菩薩の金メッキの坐像が見えます。一番奥にある大雄宝殿には三尊の大仏が祭られ、いずれも厳かな相好を見せてくれます。大雄宝殿の左側に華厳銅塔を納める東屋があり、この銅塔が明代に造ったものであり、高さ5、8mで、14層もあり、中国で一番高くて品質がよい銅塔と呼ばれています。塔の表面に4700体の仏像が刻まれただけでなく、内側にも《華厳経》の全文がきめ細かく刻まれています。大雄宝殿の裏に峨眉山における一番大きい羅漢堂があります。

建物全体が昔のままの風致と威厳さが保持され、見た人々を驚嘆させるほどです。この伽藍は不思議な事に、すべての屋根には落ち葉が少しも溜まらないことであり、恐らくここは風が通る通路にある原因と分析されています。これを踏まえて清の康煕皇帝が「漓垢園」という御筆を残してくれました。

ここは峨眉山の三大園林の一つと言われる「布金林」を鑑賞することもできます。同じ清の僧人たちが伽藍の周りに大量の杉、楠、柏などを植えて今日、空を覆い隠したような大木の数々を立派な園林に企画することになっています。
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成都旅行 太古里大聖慈寺 成都観光ツアー

2018-07-20 09:30:15 | 海外旅行
古大聖慈寺は成都市東風路に位置し、敷地面積は1.7万㎡を誇り、「震旦一の叢林」「成都一の寺」と称されています。1981年に成都市の重要文化財に指定され、1983年には成都市博物館として開放されました。数多くの著名人によって造られた壁画でその名が広く知られ、古代四川省西部において指折りのお寺として脚光を浴びていました。言い伝えによると成都という土地は、内陸の海に浮かぶ一枚の陸地にあり、町の沈没や地盤移動、水害から成都を護るために、人々は海に繋がる「海眼」と「風水宝地(地相の良い場所)」に大聖慈寺を建造し、成都の安寧と繁栄を永久に保つことができると信じられてきました。これに基づき西暦700年代(唐代の天宝、至徳年)にわたり、大規模な工事が行われました。その後、唐粛宗(李亨)が自ら「大聖慈寺」という4文字を書きのこし、その名が命名されました。そして唐の玄宗皇帝が「勅建大聖慈寺」という看板を授けたこともあり、唐の時代の名僧である三蔵法師がここで戒律を受けたこともあったそうです。絶え間ない増築と、規模の拡大に伴い、現在では96の庭園が整備されています。当時の大聖慈寺は寝室、楼閣、廊下、パゴダ、ホールなど総合するとその部屋数は約8524軒に至ります。

また、唐末期から五代、さらに五代から宋にかけて大聖慈寺は豪華な画家や芸術家により夥しい数の壁画や彫刻画が制作されました。これらの創作が中原辺りの仏教文化の発展と繁栄に大きな影響を与えたといわれています。さらに、お寺の壁には釈迦如来の彫刻画が1215点、天王、明王、神将の彫刻画が262点、仏経変像が114点も存在し、当時「世に冠たる精妙さ」(蘇東坡の言葉)、「世の絶品」と高く評価され、前代未聞の芸術の宝庫と称えられました。大聖慈寺は栄枯盛衰の長い歴史を繰り返し、明清時代になると仏教の信奉を巡る動きが次第に衰え、戦火により焼失した歴史も何度かあります。「大躍進」や「文化大革命」の時には、破壊される被害に見舞われましたが、1978年の改革開放後、初めてお寺に対する修繕が行われ、現在の立派な成都市博物館に変身し、一般公開されるようになりました。

現在一般公開されているのは天王殿、観音殿、大雄宝殿、説法殿、蔵経楼です。唐の時代から立派な建築に魅了されて地元の学者たちが大聖慈寺を訪れていた風潮や趣向が現在も受け継がれています。その建築の美しさや庭園が奥深さは何度見ても人々を飽きさせることがありません。また、大勢の画家や芸術家たちが丹念に造った数々の名壁画には誰もが圧倒され、その目を楽しませてくれます。さらに、お寺の境内には草花が広がり、特にお寺の代表的な花である「芍薬」は当時から風流があり注目されたと分析されています。最後に、唐の時代以来大聖慈寺は多くの著名人の親書の書道、仏教関係の銅像などの貯蔵品が納められ、鑑賞されてきました。他にも昔、文人墨客たちが宴を開き、即興で漢詩を作る場所として機能していました。

今の大聖慈寺は当時の雰囲気が完全に取り戻すことができませんが、訪れた人々のために茶室や将棋室、軽食店などを営み、地域的な活性化を図る重要な場所にもなっています。
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