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成都現地発楽山大仏ツアー

2017-12-28 10:52:13 | 海外旅行

中國の四川省楽山市にある楽山大仏は凌雲大仏とも呼ばれ、岷江、青衣江、大渡河の合流する凌雲栖霞峰山に営造されています。楽山大仏は唐代開元元年(西暦713年)に営造を始め、貞元19年(西暦803年)に完成されたものであり、約90年かかるほどの未曾有の大工事でした。この大仏は弥勒菩薩に肖り造られたものであり、71Mも高く、世界で最も大きい石彫り式の坐像大仏として歴代の人々から仰がれてきました。

西暦713年、当時の海通禅師が岷江の水の勢いを静め、衆生を済度するために、民間の力を集めて大仏造りの工事を始めようとしました。記載によると海通禅師が大仏の工事を始めたばかりの時、土地の官吏が難癖をつけに来ましたが、最後まで大仏を完成させようという決心を見せるために禅師が毅然として自分の目玉を潰して官吏に見せたという話があります。海通禅師の揺るぎない態度に感化された官民がとうとう一丸となり、大仏造りの作業に取り組んできました。海通禅師が園寂したあと、一度、工事が滞りましたが、再び工事が再開され、西暦803年に、ようやく完成を成し遂げました。この大仏はよく「山が一体の仏であり、仏が一つの山である」と称えられています。楽山大仏風景区は大仏の所在地のある凌雲山、麻浩岩墓、烏尤山などの観光ポイントからなり、面積がおよそ8平方メートルに達しています。国の5A級の観光地に指定されているほか、1996年12月、峨眉山風景区に納められ、ユネスコの「世界自然と文化遺産名録」に登録されることになりました。



東坡楼は東坡読書楼とも呼ばれ、入母屋造り様式の建物です。玄関には宋代の著名な書道家である黄庭堅の書いた「東坡楼」という三文字が飾られており、本堂には蘇東坡の坐像が安置されえています。東方仏都は1994年に観光客に一般開放され、延べ20万平方メートルに達する敷地面積の範囲にわたり国内外に名高い仏像3千体あまりが巧みに造られ、展示されています。麻浩崖墓は1800年ほど前の東漢に、当時の風習に応じて山の崖に造られた崖墓のことです。最初、山の崖に正方形の穴を削り、死者の遺体と遺物を納めるという風習なのでした。長さ200M、幅25Mになっている場所にも関わらず544の崖墓が密集しており、遠くから見れば巣箱のように見えます。規模が大きいばかりではなく様々な模様や内容を描く壁画も優れており、1988年、国の重要文化財と指定されることになりました。
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成都現地ツアー

2017-12-28 10:48:37 | 旅行
青城山は四川省成都から68㎞離れており、その最高峰は1260mあります。かつては「丈人山」と呼ばれており、山全体が一年中緑に覆われ、城郭のように周囲を36の峰に囲まれていることから、「青城山」と名付けられました。また、青城山は中国道教の発祥地の一つに位置づけられ、後漢時代に道教の一流派である天師道の創始者張道陵が布教活動を行った土地で、道教にまつわる歴史と文化の集大成としても広く認められています。はるか昔から青城山は「青城天下幽」という偉大な誉れが伝えられており、2000年に世界文化遺産に登録されました。静寂な雰囲気に包まれた緑あふれる林の中に隠れた階段や小道が途切れることなく延々と続き、そのくねくねと曲がり山道を登ることも青城山の楽しみの一つとなっています。青城山の敷地面積は150平方キロメートルで主に前山と後山に分かれており、青城山の歴史を伝える遺跡や文化財などは前山に集中しており、そのほとんどが道教文化と関連がある施設と文化遺跡になっています。青城山を観光する際、時間がない方は山麓と山頂を結ぶロープウェイを利用することも可能です。

青城山の峰々や数多くの道教に関連する建築物は静かな深山幽谷に隠れており、これらが一体となってひっそりとした雰囲気を演出しています。またそのほかにも御来光や雲海、聖灯など青城山の大自然が起こす現象がより効果的にその雰囲気を高め、特に聖灯を鑑賞する絶好のポイントとして上清宮が利用されています。「聖灯」とは青城山の湿地帯という地理環境に恵まれ、自然に発生する青白い火光のことをいいます。夏に雨が止み、晴天を迎えた日の夕方、上清宮から点々と光ったり点滅したりして見え、光り輝く星空のようにも見えます。この現象を道教の伝説では、神様たちが一斉に灯篭を持ち寄り、青城山にいる張道陵(道教の一流派である天師道の創始者)を参拝に来たことを表していると言われています。

青城山にある道教に関連する建物としては、主に建福宮、老君閣、園明宮、上青宮、天師洞、祖師殿などが数えられます。

建福宮は唐の時代に建てられたもので、大木に覆われた本殿が三つの庭に仕切られており、築山などで構築された建物の中に道教の有名人や神様が祭られています。また、394文字に及ぶ長い対聯が「青城一絶」として建物の柱に刻まれています。またここでは各時代の著名人ゆかりの文物や文化財が残されており、歴史の歩みを忍ばせるものとなっています。

老君閣は青城山の最高峰に築かれており、礎石の構造が正方形で上が楕円形なのは「天が丸く、地が四角い」ことを意味しています。中には素朴な道教の思想を唱えた高さ13.6mの老子像が輝き、中国国内でも貴重なものとされています。

園明宮は道教の神様を祭る場所として晋の時代から建造されました。また同時期に建てられた上清宮は青城山の頂上に築かれ、建物全体が綺麗な図柄で描かれて力強い迫力に満ち溢れています。ここには「天下第五名山」、「青城第一峰」、「玉女」、「青城山」などの巨大な石刻が多く、御来光、雲海、聖灯のほかに川西平野の美しい景観を一望することができます。

祖師殿は唐の時代に建造されたもので、中には道教の人物である「八仙人の図」などの壁画が納められているほかに、歴代の価値のある漢詩や石刻も残されており、人々の人気を集めています。一説では唐の皇帝である睿宗の娘の玉真公主がここで道教を学んだことがあり、以来ここで隠居した名士が多くいたといわれています。

天師洞は青城山の中腹にあり、伝説では道教の創始者として崇められている張天師がここで道教の説教を行ったということからその名が付けられたそうです。洞内には張道陵及び30代目の子孫にあたる孫霊靖天師の彫像が安置されています。また、洞窟の前には一本の銀杏の大木がうっそうと生い茂り、その樹齢は1800年を超えると伝えられ、一説では張道陵自ら植えたものであるといわれています。そばにある天師廟は隋の時代に建造され、厳かな雰囲気を持つ外観と中には中国古代における三皇と言われる伏羲氏、神農氏、軒轅氏の坐像が安置されています。また物静かな道教文化の息吹に満ちた周囲の環境に呼応するように董其昌など著名人の書が並んでいます。

青城山の後山地帯は主に自然そのままの景観をベースに開発された所で、清き水やひっそりとした森林、雄大な山並み、不思議な形の岩肌が広がる大自然の宝庫です。近年は登山用のリフトカーがあり、アクセスも昔より比較的楽になっています。ここはかつて宮廷への貢物と認定されたお茶の産地として有名であったと伝えられています。
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成都 現地 発 ツアー

2017-12-28 10:27:29 | 旅行
都江堰(とこうえん)水利施設は四川省の省都・成都から50㎞離れた都江堰市にあります。紀元前256年、秦の蜀郡の太守・李氷が人々を組織して当時の技術力を最大限に活用し、幾度の難関を乗り越え8年がかりで完成させた総合的水利施設です。現在まで約2300年間にわたり防災・灌漑・水運の働きを擁する都江堰水利施設は「世界水利施設の元祖」として、中国の重要文化財、さらには世界文化遺産にも指定されています。これに基づき、関連のある遺跡を一括した都江堰周辺(青城山を含む)が国の重要な観光地になっています。

かつて揚子江の支流にあたる泯江中流の成都平野は、雨季になると泯江が氾濫し洪水が起こり、乾期になると灌漑用水の不足に陥り、周辺の人々は苦しめられてきました。これを知った秦の昭王が治水に精通する李氷を蜀国の太守に任命し、泯江の水害対策に取り組ませたのです。李氷とその息子は地元の人々の協力を得て、科学性と合理性を活かした当時として世界一流の都江堰水利施設の完成までたどり着く事が出来ました。このため、都江堰水利施設の恩恵を得た成都平野では農業が栄え、後の秦による中国統一にも大きな役割を果たしました。その後も都江堰は各王朝により大切に管理されてきました。都江堰水利施設が持つ歴史は非常に長く、今でも成都平野5300平方㎞の田んぼの灌漑と水害防止に役立っています。

都江堰水利施設はその役割ごとに以下のように区分されています。

1、水を導入する運河と宝瓶口の開削
泯江の水を利用して成都平野の田んぼを灌漑するために、まず泯江の左側にある玉塁山に用水路を開削し、泯江の水を成都平野に導入する事が必要となります。そこで幅20m、高さ40m、長さ80mの用水路を人々の苦労の末切り開くことができました。その形状が瓶の口に似ていることから宝瓶口と呼ばれています。
2、泯江の水を振り分ける魚嘴(魚の口)
魚嘴(魚の口)は泯江の中州に当たり、泯江の水を本流と灌江(運河につながる川)の二つに分け、比率を配分する最も重要な場所となっています。春季の水が少ない時は4割の水が本流に6割の水が灌江に流れ、灌漑用水を確保する事が出来ます。雨季になると泯江の水が魚嘴の先端を乗り越え、逆に6割の水が本流に流れることにより、灌江へ流れる水を4割に減らすことができるので溢れる洪水を防ぐことができるのです。この働きを「分四六、平潦旱」と呼ばれています。
3、あまる水を排泄する飛沙堰
飛沙堰は「土砂を飛ばす」という意味で、灌江から泯江の本流に余分な水や土砂が流れるようにするための施設です。川底から高さ約2mの堤防を造り、宝瓶口に洪水が来ても成都平野の氾濫を防ぎ、宝瓶口の土砂が埋まらないように遠心力を利用し土砂が本流に流れる仕組みになっています。水が少ない時はこの飛沙堰に阻まれた水がスムーズに開削した宝瓶口に流れることもできます。
4、離堆
運河を開削するため玉塁山から切り離されたという意味で「離堆」と呼ばれています。ここには最大の功労者である李氷を祭る伏龍観が建てられています。伝説では、都江堰水利工事が行われていた当時、工事を妨害するために一匹の龍がここに潜んでいました。縁起を重んずる人々は水利工事をうまく進めるために、悪事を働いた竜を退治し削られた土砂に埋めました。それにちなみ「伏龍観」という祠が建てられました。

現在、都江堰水利施設を取り囲む広大な自然公園が一つの観光地として管理されており、成都からアクセスが便利であることから、昔から四川省だけではなく中国でも名高い観光地としても栄えています。観光施設になっているポイントとして、まず水利施設の建設に尽力した李氷親子を祭る「二王廟」があります。二王廟は南北朝時代に建て始め、中にある「崇徳祠」は宋の時代から李氷親子を「王」と崇め祭っています。長い時間の中で老朽化し崩壊した部分は、清の時代に大規模な改築工事を行い、精巧にその風貌を再現させています。境内に入ると岩肌に治水に有用な名言「深く灘を掘り、低く堰を作る」という文字が刻まれています。また境内は貴重な大木に覆われ、著名画家である張大千、徐悲鴻などの新書を写した石碑が残されています。残念ながら2008年5月12日に起きた四川大地震で「二王廟」の一部が崩壊しましたが、現在修築作業が進められています。また泯江を渡り中州の「魚嘴」に向かう吊り橋「安瀾橋」は、中国五大古橋の一つであり、全長320mの長さを誇ります。歴史的価値に加え「安瀾橋」の存在で、都江堰水利施設の全容が理解することができるので、多くの観光客に親しまれています。
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