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四川省現地旅行社

2017-12-24 10:03:50 | 海外旅行
青城山(せうじょうざん)

都江堰市の南西15㎞、成都からは70㎞のところに位置する。樹木に恵まれた山峰が都江堰市を囲んでいることからこの名がついた。かつては丈人山、赤城山とも呼ばれていた。前山と後山に分けられ、前山は風景が美しく、遺跡や出土品が多い。一方、後山は神秘的な自然に恵まれ、桃園のような原始的な美しさに恵まれている。

中国道教の発祥の地の一つでもある。道教のお寺ではよく三清(上清、玉清、太清)を宮の名前として用いるが、それは、道教で奉られている元始天尊、霊宝道君、太上老君が住む天外仙境であると考えられているからである。老舎の小説『青蓉略記』でも描かれているように、青城山の特徴は「幽」である。

建福宮、天然図画、天師洞、上清宮などの名所旧跡がある。建福宮は唐の時代に建てられた大規模な寺で、現在は2殿と3院が残っている。前方を清流が流れ、古木がうっそうとした幽玄な風景。左側には明の慶府の王妃の遺跡がある。天然図画は建福宮から西に1㎞のところで、清の光緒年間に建てられた閣である。苔むした岩壁に霞がたなびき、緑の美しい風景はまるで絵画のようであるためこの名がつけられた。

天然図画の西に2㎞の場所には青城の主廟――天師洞がある。堂内には「天師」張道陵やその30代目の孫虚靖天子像が安置される。天師洞に現存する殿は清末に建てられたもので、規模も大きく彫刻も精緻だ。主殿である三皇殿には唐朝の石刻三皇が置かれ、殿内には歴代石木碑刻の中でも最も著名な唐の玄宗のことばを記した碑、岳飛の手記による諸葛亮の出兵上奏文などが置かれる。付近には三島石、洗心池、上天梯、一線天などの名勝がある。

天師洞を出て寧橋を渡ると祖師殿で、北には朝陽洞の上清宮がある。上清宮は晋代に建てられたもの。現存する廟は晋の同治年間に建てられ、「天下第五名山」「青城第一峰」等の字が彫られている。

青城四絶とは、洞天乳酒、洞天貢茶、白果炖鶏(ぎんなんと一緒に煮込んだ鶏)、道家泡菜(漬物)。道教では古くから食生活を大切にし、果実や薬草を、道教の伝統秘法で調合、調理したものは、独特の風味がある。

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四川省現地ツアー

2017-12-24 10:00:58 | 海外旅行
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四川省観光

2017-12-24 09:48:33 | 旅行
都江堰(とこうえん)

四川の都江堰市の西の、古代の偉大な水利事業として有名な堰である。岷江が山地から成都の平原に流れ込む位置に建設された。この堰ができる以前は、激流のためよく災害が起こったものである。2200年前の戦国時代に、秦国の蜀の太守、李氷とその息子が、先人の知恵を生かし、水利事業を行った。

この工事では魚嘴、飛沙堰、宝瓶口の3つの堰が建設された。魚嘴は江心の分水堤防で、岷江を外江と内江に分けるもの。外江は排水用、内江は灌漑用に引水している。飛沙堰は排沙と水量調節の役割を果たす。宝瓶口は流入する水量を調節する堰で、口の形が瓶のネックのような形をしているのでこの名がついた。内江の水は宝瓶口から四川の西の平原に流入し、農業用に使用されている。玉塁山を切り開いた丘の部分は「離堆」と呼ばれる。

海外から訪れる水利関係の専門家は、この工事のレベルの高さに感嘆の声を上げる。飛沙堰が流水の旋回理論をうまく利用して設計されていることがその一例である。平時は灌漑用に引水でき、水かさが増えると外江に排水でき、また、砂石を排出し、大きな石は堰の上方に転がっていく構造になっている。当時はセメントがなく、このような大規模な工事では現地で材料を調達し、竹篭に卵大の石を詰めたものを利用したので、費用をかけずに効果的な堰が作られたのである。

名所旧跡も少なくない。離堆に建つ伏龍観は三重の殿である。前殿には1974年に外江の水門を建設した際に川床から取り出された、高さ2.9m、重さ4.5tの李氷の石刻像が展示されている。石像は東漢霊帝初年、今から約1800年前に作られた中国最古の石像で、非常に珍しいものである。後殿には灌区の電動模型が展示されている。伏龍観の左側は宝瓶口である。観后の頂点には観瀾亭が建っている。2階建ての八角形の建物で、遠方に魚嘴、索橋、岷江の激流、西峰の雪を臨むことができる。

玉塁山麓の二王廟は、李氷親子の治水事業の功績をたたえて南北朝時代に建てられたもの。廟の大殿と後殿には李氷と次男の像が展示されている。廟内の石壁には李氷が治水を行ったときの掛け声の文句が彫られている。

二王廟前方の安瀾橋は、内江と外江の分岐点にかかる吊り橋である。宋代以前に作られたものだが、明末、戦火により破壊され、清の嘉慶8(1803)年に再建された。木材と石材を土台にし、目の粗いお碗状の竹篭を並べてその上に木の板を並べ、両脇に竹製の手すりをつけたもの。現在の橋は、魚嘴に外江の水門があり、水面から橋までの距離が100m、竹の手すりが金属になり、木でできていた杭も鉄筋コンクリートになり、橋そのものも500mから240mになった。遠目に見ると虹がかかっているようでもあり、また漁師が網を打っている様子にも見える。

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四川省ツアー

2017-12-24 09:44:09 | 旅行
四川省博物館(しせんしょうはくぶつかん)
「天府」と呼ばれる四川省は、秀麗な山、川、広々とした土地、そして名所旧跡や多彩な出土品に恵まれている。四川省博物館は、四川の歴史の発展過程を反映し、中国でも文化宝庫として重要な部分を占める、四川省の文物を収蔵する重要な場所のひとつである。

1941年に建てられ、当時は四川博物館と呼ばれた。建設当初は設備も簡素で、経費もなく専門人員も不足しており、1949年末までは、収蔵品も1万件に満たなかった。解放初期に、川西博物館と改称し、1952年に四川省博物館となった。30年間の増改築を経て、現在では収蔵品が16万件という規模に成長した。

四川省博物館は地方の特色を持つ、総合的な省レベルの歴史博物館である。過去40年来、当館では数千件にわたる古代遺跡や墓を発掘、整理してきた。現在は3300件あまりの古代、近現代の文物を展示するほか、特別企画展なども開催されている。四川省の歴史の発展や、革命の伝統教育、また地方文化の特色を学ぶことができる。

青羊宮(せいようきゅう)
古くは青羊肆といった。成都市内の百隅という地に位置する。『成都県誌』によれば、青羊宮は古名を青羊観といい、老子が青羊をここへ引いてきたと伝えられる。唐の乾封元(666)年、封老子が玄元皇帝のために青羊宮という名にした。現殿は清代に建てられた。主な建築物に霊祖楼、八卦亭、無極殿(三清殿)、闘姥殿など。三清殿の面積は912㎡、石の円柱28本、木の円柱8本を持つ。殿内の経机の前には銅の羊が一対あり、1本角の羊は、清の雍正元年9月15日に、大学士の張鵬羽が北京から成都の青羊宮に移り、老子の遺跡のために贈呈したもの。全長90cm、高さ54cmで、十二支の特徴がそれぞれ合わさっている。鼠の耳、牛の鼻、虎の爪、兎の背、龍の角、蛇の尾、馬の口、羊のひげ、猿の首、鶏の眼、犬の腹、いのししの尻を持ち、羊のようで羊でなく、奇怪な姿をしている。二本角の羊は道光9(1829)年に鋳造された。

隣接する文化公園は見事な花で有名であり、毎年旧暦の2月15日には玄元皇帝の生誕記念として花朝節のお祭りが開催される。

王建墓(おうけんぼ)
永陵とも呼ばれ、成都の西門外、三洞橋に位置する。王建(847~918)は、河南の舞陽県の人で、無学であったが、戦では能力を発揮していたので、唐の昭宗により蜀王とされた。907年に唐が滅亡して王建が皇帝となり、歴史上ではこの時代を前蜀と呼ぶ。王建は死後、三洞橋に葬られる。1942年にこの墓が発掘された。1961年、国務院により全国重要文化保護財に指定された。

王建の墓は盗掘に遇ったため、墓そのものと石刻しか現存していないが、それでも宮廷芸術の花にたとえられるほどすばらしい。墓は高さ15m、直径80m、周囲の長さが225m。その荘厳さは劉備の「恵陵」にも勝る。墓内は14本の石のアーチからなり、前、中、後の三室に分かれていて、全長は23.6m。中室に安置されている王建の棺の東、南、西の三面には形もさまざまな十二力士像の彫刻が施される。思い思いに舞う二十四人の女性のレリーフも美しく、唐代芸術の中でも珍しい一品である。

棺の東西に彫られる10種類の打楽器による鼓楽隊、西の方角に彫られる10種類の吹奏楽器による管楽隊、南の方角に彫られる2つの楽隊を率いる指揮者は、琵琶を弾きカスタネットのようなものをたたいている。壮観なこれらの楽隊の彫刻は唐代芸術の中でも希少な実物の資料といえる。後室に安置されているベッドは、正面に二頭の龍が珠をもてあそぶ様子のレリーフが彫られ、左右には獅子のレリーフが彫られている。ベッドの上には、厳粛な様子の王建の坐像が安置されている。

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成都 観光

2017-12-24 09:32:07 | 海外旅行
武侯祠(ぶこうし)
成都の南に位置する。面積は3.7㎡。西晋末に十六国の成(漢)李雄が三国時代の蜀の宰相であった諸葛亮をたたえ建てられたもの。1961年に全国重要文化保護財に指定された。

諸葛亮(181-234年)は、字を孔明といい、現在の山東省の沂南の出身で、中国史上でも卓越した政治家、軍事家であった。三国時代に蜀の宰相となり、すばらしい業績を残したが、亡き後も多くの人間に慕われ、各地に武候祠が建てられた。

建築時期は不明だが、杜甫の詩によれば、唐代以前に建てられ、劉備の墓と廟に隣接していたことがうかがえる。

明の元年には劉備廟に入れられたが、明末に戦火により破損したため清代康煕11(1672)年に再建された。このときに劉備と諸葛亮の大殿が分けられたとのことである。

今日の武候祠は、建築面積が37000㎡、南向きで、1本線上に並んでおり、順に大門、二門、劉備殿、過庁、諸葛亮殿の五重となっている。西には劉備の陵園と建築物があり、二門から劉備殿と東西廊、過庁から諸葛殿の西東の両棟で二組の四合建築構造となっている。両側には園林と付属建築物がある。

祠には、清の民間芸術家により制作された、高さ1.7~3mの蜀漢の歴史人物の像が41体安置されるほか、石碑や鼎、炉、鐘、太鼓などの文物がある。

大門から二門の間に置かれており、憲宗元和4(809)年に作られた、高さ367cm、幅95cmの唐の碑が最も珍しいものとされる。裴度が文章を書き、柳公綽が朱筆したもので、文章、書法ともに絶妙なことと、諸葛亮の功徳が絶えたということから明代には「三絶碑」と呼ばれている。劉備殿内は広々として、高さ3mの蜀漢皇帝劉備の坐像、東西の偏殿には関羽や張飛などの像がある。両廊下には、文臣武将の坐像が14体あり、東廊の文臣は龐統が、西廊の武将は趙雲がそれぞれ先頭に立っている。
杜甫草堂
中国の詩人として有名な杜甫(712-770)は、字(あざな)を子美といい、「詩聖」と呼ばれる。杜甫草堂は杜甫の故居で、「安史の乱」後、唐の乾元2(749)年、杜甫が困苦し一家離散して成都に着き、友人の援助を得て、成都の西の浣花渓のほとりに建てたもの。杜甫はここに約4年居住し、240首あまりの詩を詠んだ。『春夜喜雨』『茅屋為秋風所破歌』などは、ここで詠まれたもの。この偉大な詩人をたたえるため、北宋以来、故居を公園とし祠が建てられた。杜甫が住んでいた草堂は早くになくなった。現在の草堂は、のちに杜甫をたたえるために建てられ公園となったもの。公園の面積は約20haで、梅園や楠林があり、また千年ものの青竹が植えられている。

「大廟」には杜甫堂全景の水墨画と杜甫の生前の説明文がかかっている。「詩史堂」には杜甫が詩を詠んでいる様子を像にしたものが設置され、壁には、杜甫の像の拓本や木刻版や杜甫をたたえた句がかかる。両側の陳列室には近代書画家による杜甫をたたえる作品が展示される。「工部祠」には杜甫の像、明清の石刻像や「少陵草堂図」の碑刻が飾られ、後に四川で役人となった宋代の詩人、黄庭賢と陸遊の像もここに飾られている。「工部祠」の左側にある「草堂書屋」と右側にある「恰愛航軒」には、宋代以来の杜甫の古書や各国語に翻訳されたものが展示されている。

杜甫草堂は渓流と竹林に囲まれた特色ある園林で、現在は全国重要文化保護財に指定されている。

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