ちゃみさんが居なくなって一ヶ月になります。
悲しく寂しい気持ちはありますが、急だったせいか実感のようなものがあまりないのです。
いつも寝ていた場所は片付けずそのままにしています。
そこを見てもいつも私を追いかけていた目がないんですよね・・・「ちゃみが居ない」と思わず呟いてしまいます。
今は寂しい気持ちと、ちゃみさんの心配はもうしなくていいんだという気持ちと、
命をひとつ神様にお返しして安堵した気持ちと、色んな気持ちがいっぱいあって整理がつきません。
ちゃみさんを心配していた時の鉛のように重い心は今も変わりないです。
仕事をしている時もお皿を洗っている時も、ちゃみさんのことばかり考えてしまいます。
最後の三日間のこととか、9月になって衰えの目立ったのをちゃんと分かってあげてたのかなとか、
ちゃみさんが若い頃はほんとによく叱っちゃったなとか。
あの日ブログにはちゃみさんは私たちが眠っている間に…と書きました。
私たちが起きた時はもう胸が動いていなくて、あぁ看取ってやらなかったと悔いていたのですが、
記事をアップした後シーツの交換をしたらちゃみさんはまだ温かくて脚先が硬直を始めたところでした。
逆算するとちょうど起きた頃がその時だったようです。
留守番が嫌いで皆で一緒に出かけるのが大好きだったちゃみさん、
最期は自宅で家族が揃っている時に迎えられてよかった。
ちゃみさん、
おかーさんはちゃみさんと過ごせて幸せでした、15年そばに居てくれてありがとう。
ちゃみさんから一杯幸せをもらってありがとう。
おかーさんをいつも大好きでいてくれてありがとう。
ちゃみさんが居たから見られた景色がいっぱいあったよありがとう。
ぽこちゃんを家族として受け入れてくれてありがとう。
おかーさんの暑苦しい愛情に耐えてくれてありがとう。
おかーさん、ありがとうを言いきれないよ。
さよなら、ちゃみさん。
おかーさんも大好きだよ。
ちゃみさんが旅立った日に撮った空です。
気持ちいいほど綺麗に晴れていました。
この先、綺麗な秋空を見る度にちゃみさんを思い出すことでしょう。
私、愛するペットを亡くした方に、亡くなったペットはそばに居ますよというコメを入れています。
言葉だけの慰めを言っているつもりはなく、こういう本を読んでいまして。
ペットは形を変えてそばに居てくれるんだと思うと、ペットとの別れは悲しいけれど、悲しい心が救われるような気がします。
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