ねこのひたい

ねこのひたいのような庭と、趣味の読書と,
おとぼけな日々のことをいろいろ書きたいです。

今に集中

2019年06月13日 | いろいろ

私の欠点は

過去の不満と未来の心配

に囚われすぎていると言うことです。

 

そのため、現在がおざなりで

自分が幸せであることをなかなか実感できません。

むしろ、おおよそ不幸です。

 

過去の不満、ですが

私の育った家庭は、子どもの養育するにあたって問題がありました。

と言っても虐待などがあったわけではなく

両親はそれなりに育ててくれたと思います。

 

では、何が問題だったか。

母が病気であったことと

経済的な不安定さ

そして、それらを不満に思う祖母の言動(今ならモラハラ)。

更には、私が感受性豊かな子どもであったこと。

 

子どもの頃はそれらに対抗する手段を持たなかったのですが

大人になって、いろいろな気づきがありました。

ああして欲しかった、これはしないで欲しかった。

また、両親が交代で病気になるたび

私の人生は両親によって、分断されているような気がしていました。

その結果、両親は加害者、私は被害者の図式が心の中に生じました。

 

そして、未来の不安。

子どもの頃から経験している、病気や経済的な困窮を回避したい。

それが生き方の指針となっていました。

 

これは悪いことばかりではなくて

家を早くに手に入れたのも

そのローンが早く終わったのも

子どもの学費の準備が滞りなくできたのも

こうした不安が根底にあったためだと思います。

 

いいこともありましたが、

今回仕事を整理した際も、その不安が発動されてしまい

すっきりしたのに、何か不安、な状態になったりしています。

 

そんな訳でこの数年、

私はこうした心の持ちようを克服するために研究を重ねてきました。

現在に集中するだけで解決するのはわかったのですが

長年の癖でなかなか上手にできないでいました。

 

そんなある日、コンビニでふと目についた本「自分を大切にする生き方」

思わず買ってしまいました。

 

そして、今の私にとって重要な言葉「今 ここ」を知ることができました。

うっかり未来の不安を考えてしまっている時

「今 ここ」と心で唱えることによって

未来の不安を考え続けることを回避する効能があります。

簡単、かつ効果的だと感じました。

 

ただ長年の癖はそう簡単には抜けず、

ついついいつもの調子に戻ってしまいます。

先日も、夫が東京で買って来てくれたお高いお弁当を食べながら

仕事と父の介護についての不安を語っていました。

 

すると夫が

「今、うちの市内でこんなにおいしい弁当を食べているのはうちだけだよ。

〇〇さんちみたいに、弁当に集中しなよ」

 

〇〇さん、というのはうちのご近所さんです。

ある天気のいい昼下がり、ベランダで焼き肉をやっていた〇〇家。

「この肉なんて言うの、初めて食べた」

「ハラミ?ハラミって言うんだ。おいしい」

「肉を買うなら、スーパー▲▲ね」

「レバーは安いし、栄養あるしいいわよ」

「お父さん、それまだ赤い!」

「ほら、血が出ている」

(もっとあったけど、省略)

一回たりとも焼き肉を離れない、目の前の出来事に集中する会話が、

玄関先の掃除をしていた私に聞こえてきました。

そしてそのことを夫に話してありました。

 

夫に指摘され、〇〇さんちを見習ってみました。

「この塩じゃけはコンビニのおにぎりの高いやつ位」

「卵焼きが上品だね」

「野菜の煮物の量が多いね」

「ご飯の量、多すぎじゃない?」

お弁当に集中することによってお弁当を堪能することができた、

気がします。

 

「春にして君を離れ」の主人公は、

せっかく自分を変えるチャンスを得たのに結局変えられませんでした。

果たして、私は自分を変えることができるのか…

 

★おまけ

焼き肉で「過去の不満と未来の心配」を例えると

肉を焼きながら

「牛は出荷されるとき、どんな気持ちかな」

屠畜って考えると怖いよね」

「焼肉していて、ヴィーガンに抗議されたらどうしよう」

なんてことばかりを考え

肉のおいしさに気づかないうちに食べ終わっちゃうって感じ?

 

 

 

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 多分、素晴らしい言葉 | トップ | そして父のこと »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

いろいろ」カテゴリの最新記事