ちょこっと、息ぬき。

「いきいきと、生きていたいね。」

いきいきと、生きていたいね。(27) 

2006-06-28 10:59:06 | Weblog

★父親の仕事の関係で一時住んでいた鹿児島に入ります。「むかし、わたしはここにいたんだ。」と感じる風景に出会いました。

 

  1987年9月24日。阿蘇山の近くで夜を明かし、朝一番で「いざ、阿蘇山へ!」といきたいところでしたが、あいにくの雨模様。大山を通過したときも朝から雨でしたが、今日もかなりの降り。また、山にふられてしまいました。

 

  確か小学校のときの国語の教科書だったと思いますが、澄んだ青空の下に広がる目もあざやかな緑色の草原に何頭かの馬が草を食んでいる写真がありました。たしか右下に阿蘇山と書いてありました。その写真がわたしにとっての阿蘇山の姿でした。

 

  結局、わたしの頭の中にあった阿蘇山の様子と現実の風景を照らしあわせることはできませんでした。残念。

 

  気を取り直して国道57号線を熊本市内に戻り、九州自動車道にて南に向かいました。熊本インターから乗り、八代インターで下りました。国道3号線、219号線で人吉市へ抜けました。

 

  219号線は「球磨川」沿いに走っています。小学校のときに「日本の3大急流」のひとつとして名前を覚えた球磨川をそのときはじめて目にしました。わたしが見たのは下流域でしたので急流というより、逆にゆったりとした川に見えました。なぜだかこのとき小学校4年の頃にはやっていた、「ハチのムサシは死んだのさ」という曲が頭の中を駆け巡りました。

 

  221号線でさらに南下する途中に私の苗字と同じ名前の山を地図で見つけ、車の中でひとりで「こんなこともあるんだねぇー!」と叫んでみたりしました。毎日、人とあまりしゃべってなかったのでストレスがたまっていたからでしょうか、なんだかすっきりしました。

 

  えびの市にはいり当時「世界一」であった(今もそうなのかもしれませんが)ループ橋を通って再び九州自動車道えびのインターから鹿児島北インターまで一気に走りました。

 

  国道3号線でJR西鹿児島駅(いまは鹿児島中央駅と名前がが変わったと、たまたまその近辺出身の知り合いの方から先日教えていただきました)にいきました。ここに武町というところがあります。

 

  ここはわたしが3歳のころに1年くらい住んだことのある町です。20年以上も前の記憶をたどりながらおそらく住んでいた家であろうと思うところをビデオに収め、後日両親に見てもらいましたが大当たり!頭のなかにのこっていた4つか、5つの場面を頼りに探し当てました。

 

  周りの住人の方からしたら変に映ったと思いますが、頭に残っているわずかな記憶と現場の風景を一致させるためには大人の身長では要件にかないません。こどもの頃の目の高さで周りを見ないと子供のときに見た映像に出会うことはできないのです。「ここかな?」とおもう地点にたどり着くたびにひざまつき、目線を変えたりしながらしばらくその場にとどまるのです。

 

  「鹿児島でのおやつは、ボンタン飴とさとうきびが多かったな」などと思いながら、20年前に遊んでいた近所のアパートの敷地内にあった大きな木の下にその頃の自分の姿を頭の中で思い描いたりしてしばらく時間を過ごしました。

 

  この日は国道10号線、220号線、224号線で桜島まで行き、宮下港という港で寝ました。もう9月も終わりというのに気温は高く、車の窓を閉め切ったら暑苦しかったです。明日は本州最南端の佐多岬に向かいます。