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貴婦人の一瞥と蒸気機関車の終焉

2022年07月22日 | 旅行

C57135号機が牽引する旅客列車(1973年6月頃、旧室蘭駅付近で撮影か)。拡大、トリミングをしているので粒子が荒れています。

撮影中、旅客列車が入ってきたのでカメラの向きを変えて撮影した1枚です。室蘭駅を目前に、機関車は絶気して進入しています。C57形の135号機(岩見沢第一機関区)が牽引していました。
普通に蒸気列車を撮影したつもりでしたが、この後、日本の蒸機機関車は急速に終焉に向かい、昭和50年(1975)12月14日、C57135号機は日本最後のSL定期旅客列車を牽引し有終の美を飾ることになります。この写真は、貴婦人(C57)の一瞥をいただいた貴重な1枚になりました。

C57135は、昭和15年(1940)5月に三菱重工業神戸造船所にて製造された後、高崎機関区に所属。昭和27年(1952)4月から小樽築港機関区、室蘭、岩見沢第1機関区と異動。最後の旅客列車を牽いた翌日に休車、昭和51年(1976)年3月に廃車された後、同年5月、交通博物館に、平成19年(2007)10月14日から鉄道博物館(さいたま市)に移設され、展示中です。

C57135がSL最後の旅客列車を牽いた10日後の昭和50年12月24日には夕張線(現・石勝線)で追分機関区所属のD51牽引の貨物(石炭)列車が走り、これが本線上を走った最後の蒸気機関車列車となりました。そして、同区の9600形が最後の構内入替作業を翌年3月2日に終えると、動態保存機を除いて、国鉄の蒸気機関車運用は幕を閉じました。蒸機終焉の地は北海道でした。


なお、貨物列車と構内入替で最後に使用されたD51と9600は、後任のディーゼル機関車とともに追分機関区の扇形機関庫で保管されていましたが、(1976)4月13日深夜、機関庫から不審火が発生、DLの重油が爆発、炎上して大火災となり、機関庫は全焼、機関車も13両が焼失しました。
最後の重責を果たし、しばしの骨休めをしていたD51や9600の保存予定を含む蒸気機関車も炎に包まれて燃え尽き解体せざるを得ませんでした。これにより、保存予定機が変更となるなど異同が生じたりしました。
それにしても、国鉄の蒸機機関車として最後の最後まで働いた機関車には過酷な運命でした。


***エピローグ***

北海道のSL写真の紹介もこれが最後になります。不定期連載にもかかわらず、最後までご覧いただきありがとうございました。

この連載をしながら考えたのは、掲載した写真の全てがもう見ることはできない風景になってしまったということです。蒸気機関車はもちろん、機関区や駅までが無くなったり移転したりするなど、撮影していた当時は全く考えられなかったことが起こりました。残った場所も50年前のままの姿ではありません。当然のことでしょうが、驚きました。
もとより、思い出の地がそのまま残っていてほしいなどとは申しませんが、残念という気持は少なからず感じます。

私が就職し、働き、定年した時間の間に変わらないものはなかった、ということを改めて認識しました。50年が瞬く間だったような、とても長い時間だったような、また、そのどちらとも言えないような気もするというのが正直なところです。
蒸気機関車本来の元気な姿はもう見られません。蒸機が煙を上げ、煤だらけになって走っていた時代。そんな時代は煙のように消えてなくなり記憶だけが残りました。


北海道の蒸気機関車掲載ページ索引
士別のC55
北海道のD51 その1
北海道のD51 その2
構内で働くC11
構内の9600
貴婦人の一瞥と蒸気機関車の終焉


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