セブ島移住者の本音トークⅡ

セブ島でNGO活動に従事する管理人が、フィリピン人家族との奇妙な生活や、現地での国際交流について語ります。

考える力と判断力

2013-09-24 | フィリピンの文化・風土・風習

【…恥ずかしながら、ちゃんと片付いていませんが、ウチの台所です】

今日のタイトルに類する投稿は、これまで恐らく、数限りなくやって来たような気がします。


…が、これまでは、どちらかと言うと、その内容が愚痴っぽくなっていたり、それが問題だから直さなければ…とした切り口になっていたような気がしますが、ここのところ、‘そうした思い’が自分の中で、随分と薄くなって来ましたので、ちょっと違った趣で文書が書けるのかな…と思いつつ、今日の投稿となっている次第です。


さて、フィリピンとか、フィリピン人を知る人の間から、よく出てくる指摘として、フィリピン人の‘先を見通す力’とか、‘計画性’とか、そう言ったモノを全部ひっくるめて、‘考える力’と言うモノについて、日本人とは異なる(...と言うか、ぶっちゃけ、そうした能力が無いから問題が多い)としたモノがありますが、これについて、僕は一切、否定できないし、それらについて、どちらかと言えば、批判的な見方をしていたのは紛れもない事実です。


...例えば、以前、嫁の行動として、‘自分に不要なモノ=ゴミ’程度の認識しかなくて、こちらが、ワザワザ、先に使う計画があって、取り置きしておいたモノを迷い無く、棄てられた、そして、本人(嫁)にも、棄てたと言う意識が殆どなくて、ほぼ、反射的に、そうした行動が起こっていて、‘完全に無思考状態’にあるとした事を言った事があると思います。


また、それに類する事として、例えば、僕が、台所に立って、食事の支度をする機会も結構、多い中で、日本人候に、何品か用意しようとした場合、‘段取り’ってヤツが非常に大切で、料理をする前に、その材料とか、用具とかを、一定の論理に従って、調理台(兼テーブル)の上に並べて、用が済んだら、順番に片付けながら作業をすすめる事は、ほぼアタリマエの事として、普通にやっているんですが...(要は、僕とて有り余る時間がある訳じゃないから、少しでも無理なく、無駄なく、最小限の力で作業をしたいと言う意識がある訳です)


…ところが、嘗ては、折角、段取りして用意しておいたモノがテーブルから忽然と消えていて、‘イマ、ココ’で使おうした段になって、‘それ’が消えたモノだから、パニックになった…そんな事が良くありました。


...賢明な読者の皆さんには、既にお察しがついているかも知れませんが、犯人は、ウチの嫁です(苦笑)


何故、そんな事が起きたのかと言えば、これも、‘何故’そうしたモノが、そこに出されているのか、そして、もう一つ言えば、‘僕’がそこで動いている様子に関心が無くて、全ての事象がバラバラに捉えられる結果として、‘考えが及ばない’で、‘自分には用が無いモノが出ているから片付ける’…とした反射的な行動に出ただけの事だったのですね。


...忙しく動いている最中、折角、先を見越して用意したモノが片付けられた事に対して、相当に頭に来て、

『オマエ、アホちゃうか?人の動きをちゃんと見て、少しは考えんかい!!!』

...なんて嫁に対して、結構なコトバも浴びせたモノですが、こんな事を何度繰り返しても、一切、改まる事は、ありませんでした。


...それで、僕も、何時からか、言い方を改め、

『...あのさ、俺が台所に立った時は、全て、俺に優先権をくれよ。それと、頼んだ事以外は、一切、しないでくれよ』

...とした感じにした所、少し前から、‘被害’は皆無になりました。


要は、何故、以前、嫁の行動が改まる事が無かったのかと言えば、それは、僕の要求が余りにも高すぎたから…と言う事に尽きます。


中々、分り辛い部分ではありますが、つまりは、‘考えろ’なんて頭ごなしに言ったところで、嫁には、僕と同じような技量とか、経験とかが、‘そもそも無かった’ので、彼女にして見れば、僕のやり方は、‘非常に不可解なモノ’であり、‘考える以前の問題’だったんですよね。


要は、ここの国、そして、文化を語る時、欠かせないキーワードは、やはり、‘植民地国家’というモノであり、少なくとも、ここの庶民層(貧困層)と言うモノ、‘良い僕(しもべ-要は奴隷)’となる事が、求められて来た中で、そうした僕(しもべ)達が、ちゃんと考え、判断する事は、支配者にとっては大変な危険を孕む事だった訳です。それ故に、‘その(考える力の)基(ベース)’となる知識とか(良質で高度な)教育とかから庶民を遠ざけようとした…つまり、それが愚民政策の本質なのです。


...だから、僕が嫁に出したリクエストも、裏を返せば、‘俺に優先権をくれ’=‘俺がボスだ’、‘頼んだ事以外はしないでくれ’=‘言われた事だけをやってくれ’…と言う事であり、これが植民地文化を背景に持つ庶民層には、一番伝わり易いのですね。(僕も、‘そんな事’が良い事だとは思っていませんが、取り敢えず、衝突を避ける為の緊急回避手段であり、まあ、仕方が無いな…と言う所です)


...が、僕も教育活動に関わっているモノの端くれですから、こうした次元に止まってヨシとするのではなくて、‘基が無い’のだと言う事を、ちゃんと受け止めた上で、ハードルをグッと下げ、相手に、‘それ’を理解するのに最適な機会を待って、その時に、ピンポイントでアドバイスを送る…最近では、そうしたやり方が一番かなと思っています。


例えば、嫁は、あれで、最近、多少、料理もするようになって来ましたが、フィリピン料理の範疇に収まってしまうと、基本的には、食材が変っても、単品をほぼ、同じやり方、同じ調味料でしか味付けをしないので、フィリピン料理以外で、彼女が好むモノ(自分でも作ってみたいと興味を持つモノ)を中心に、少しずつ、作業を分担して貰い、頃合を見計らって、最初から最後まで全部、自力でやって貰うようにしています。


そうすると、彼女が分かった積りになっていて、実際に経験していない中で、実は分かっていなかった事(つまり‘課題’)が結果として浮き彫りになる(食べて不味ければ失敗なので分り易いし、そこに言い訳のしようがない)ので、そこで初めてアドバイスを送れるし、忘れない内にもう一度、やって貰えば定着するんですね。(アドバイスを送るのも、相手が問題だと思っていればこそであり、そうじゃなければ、こちらに出る幕はないのです)


...そんな中で、ふと気がつくと、最近、彼女も僕と同じように、必要な器材、食材を先に用意してから、調理にかかるような行動も一部、見え始めて、いい感じになりつつあります。


NGO活動で、学生達を相手にしても同じ事で、最近、僕が心がけているのは、基本的に、‘失敗をさせ’、それに彼らが本当に懲りた時に、初めて手を差し伸べると言う形であり、あんまり親切に先回りをして、半ば、こちらが‘便利屋さん’になってしまわないようにしよう…と言う事です。


...そうした中で、彼らの様子を見ていると、どうも、その方が、彼らに学ぶ機会があり、良いのかな…と言う感じがしています。



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