石田某は、TVドラマの台本作家としては優れているが、小説本体は取上げる程もない。その文章は、読みにくい。文字を操る作家としては致命的だ。
評論、というよりエッセイ分野はどうか?これもまるで駄目。凡庸な一般論なら、未だ見逃そう。しかし、無責任な楽観論とか、的外れな意見の開陳は、読者をミスリードする。
具体的に示そう。R25の2006年11月17-23号のコラムだ。いじめに関し、日本の社会では、同質性から不可避のもんとした上で、
「確かにいじめは、いじめる側が悪い。でも、日本社会の同調圧力をなんとかするなんて、今生きるか死ぬかと悩んでいるいじめの被害者には間に合わないだろう。読者にも数十人(もしかしたら数百人)単位で、いじめで自殺を考えている人がいるはずだ。そういうあなたにいいたい。」
ここまでは良い。読者は、石田に現実的な解決策を期待するからだ。
ところが、この後の論旨には唖然とせざるを得ない。
「いくらつらくても、その時期は長い人生のなかの何年かしか続かない。目の前の苦しさのために、未来の可能性を投げ出してはいけない。あなたは、あなた自身でなく、さまざまな人の思いを受けて生きているのだ。苦しいかもしれないけど、死んだ振りをして今を耐えよう。自殺なんかするより、全力で自分を守れ。時間はあなたの味方だ。必ず別な場所に連れて行ってくれる」
反論しよう。
1.何故、つらさが何年かしか続かない、と断言するのだ?
2.未来の可能性があるというが、その根拠は?
3.時間が味方したり、「必ず」別な場所にいけるのか?
上記は全て、何の根拠もなく、問題を先送りしているというよりは、いじめにあっている子供に余計な苦痛を与えているのだ。いじめる方が悪い、これは一面の真実だ。しかし、被害者である「いじめられっ子」にも問題はないのか。また、大人の世界と違い、子供ははるかに物事を真摯に受け止める。人生経験が少なく、濃密な時間を過ごしているからだ。いじめられる事と学校教育で頓挫すること、これは修復しようがない。決して時間が解決しない。その場での解決が求められる。それが自殺であるのも充分にありえる。
私見を述べよう。いじめ問題に解決策はない。自殺したかったら、とめる事はできない。そこで、石田のように、何の根拠も無い楽観論を、いじめられっ子に押し付けるなどはもっての他だ。真の解決は、いじめられる方がいじめる方に反撃に出て初めて、始まる。それまで、何もしない方が良い。下手な、分かった様な干渉が事態を益々悪化させるのだ。l