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The Smiths と Morrissey

スミスとモリッシーについて。

The Harsh Truth of The Camera Eye

2017-10-23 22:00:00 | 音楽
Morrissey " Kill Uncle " 1991年リリース 収録曲


Churchillian legs
hair barely there
the harsh truth of the camera eye

チャーチルのような脚
わずかな髪
カメラの目に写る 残酷な真実

Your eyes signal pain
because of the strain
of smiling
the harsh trush of the camera eye

君の目は痛みを知らせる
笑顔の緊張のために
カメラの目に写る 残酷な真実

telling you all
that you never wanted to know
showing what
you didn't want shown

すべてを語り出す
君が決して知りたいと思わなかったことを
君が決して見せたくなかったことを 見せる

My so friendly lens
zooms into
"the inner you"
and it tells the harsh truth
and nothing but

使い慣れたレンズは
"内面の君"まで焦点を合わせる
それは残酷な真実を語る
何もない だけど

Laugh with us all here
that's if you can
then take the pictures home
and scream

私たちは一緒に全部笑う
君はできるなら
写真を家に持ち帰り
喚く

telling you all
that you never wanted to know
showing you what
you didn't want shown

君が決して知りたくないこと すべてを語る
君が決して見せたくないものを 見せる


This photographer
he must have really had it in for you

カメラマンは
本当は君を嫌っていたに違いない


(★have it in for
~に恨みを持っている、~を嫌っている、~に難癖をつける)


"Oh, I don't want
to be judged anymore
I don't want to be judged
I would sooner be Loved
I would sooner be
just blindly Loved … "

"ああ、僕はもう判断されたくない
値踏みされたくない
僕はすぐに愛されるだろう
僕はすぐに
ただ盲目的に愛されるだろう"




静かで、ピアノがジャズっぽい。モリッシーも、"カァンメィラ、アァイ"とか、"ユゥア、アァイズ"とか、セクシーな歌いかた。
歌詞を読んでいくと、全然セクシーではなく、むしろ髪が薄くなり、体型に自信が無くなってカメラの前に立つのが辛いと歌っている。
初っ端、Churcillian って何? と頭を悩まされたけど、その後の言葉から、太っちょの(失礼)チャーチルの脚ってことかと推測。
加齢って悲しいね…

ウィンストン・チャーチル 1940―1945 / 1951―1955 英首相。保守党。

と、ここまで考えてハタと気付いた。まだモリッシーはこの頃32歳くらい。写真を見てもスタイルは良いし、むしろ痩せすぎと思えた20代の頃より少し精悍になったようで、全然、見映えがする。髪だって、まだ大丈夫そう。

でも、確かに30を過ぎると、それまで食べても太らなかった私も、ウスエトが気になりだしてた。モリッシーは美意識が高そうだから、身体のラインが緩くなったり、髪がハラリと落ちたりすることに、敏感になってたのかもしれない。
写真の中の若い頃の彼は、いつも髪をキチンと切りそろえ(カットしたばかりというような)、うなじも眩しく、肌も滑らかだ。自分の写真に現れる変化に気付かない訳はない。
カメラマンに嫌われてるに違いないって、八つ当たりしたくなるのかもね…。
モリッシーは以前、歳をとることについて、インタビューで、「年齢なんて靴のサイズと同じだよ」と発言し、彼と一緒に歳を重ねているファンが勇気づけられたことがあった。
そう、その人の魂は変わらない。年齢は記号でしかない。でも肉体は確実に衰えていく。

最近のモリッシーは白髪で、若い頃より恰幅がよくなった。お腹は出て無いので、ジムにでも行っているのかな?ステージでシャツを脱ぐのが恒例なので、体型には気を遣っているのかも知れない。でも白髪を染めたり、皺を美容整形で取ったり、そんなことはやってないみたい。そんなことするのは美学に反するのかしら?

でも私は今のモリッシーの容姿も好きだ。堂々としていて、マイクコードをばしばし振るいながら歌っている様など、険しい山の頂の、屹立した古城に住む魔王といった雰囲気だ。

などと思いながら、いつもこの歌を聴いている。














"Morrissey - The Harsh Truth of the Camera Eye" を YouTube で見る


That Joke isn't Funny Anymore

2017-10-08 02:44:00 | 音楽


Park the car at the side of the road
You sould Know
Time’s tide will smother you
And I will too

車を道の傍らに停めて
君は知らなきゃならない
時の流れは君を黙殺するだろう
僕のことも

When you laugh about people
who feel so very lonely
Their only desire is die
Well I'm afraid
It doesn't make me smile
I wish I could laugh

とても孤独を感じている人のことを
君が笑う時
彼らの唯一の望みは死ぬこと
ああ 僕は怖い
僕は微笑む気にはなれない
笑えたらいいなと思うけど

But that joke isn't funny anymore
It's too close to home
And it's too near the bone
More than you'll over now

だけどその冗談ではもう笑えない
その忠告はとても身に染みてるし
とてもきつい
君が今おしまいにするよりもっと


※ close to home
《口語》〈評言・忠告など〉痛切に, 強く身にしみて

※ close to [near] the bone
((口))①(質問などが)きつい


It was dark as I drove the point home
And on cold leather seats
Well, it suddenly struck me
I just might die with a smile
on my face after all

家に着いた時には暗くなっていた
冷たい革のシートに凭れ
突然うちひしがれる
結局 僕は微笑みを浮かべたまま死ぬのだろう

l've seems this happen in other people 's lives
and now it's happening in mine

他の人たちの人生にも起こること
それが今僕に起こっている




11月にモリッシーの新しいアルバムが
発売される。先日モリッシーはその中の数曲をBBC Radio 6 で披露した。

"Low ln High School" 。"Spent The Day In Bed" という曲もあり、50代後半になっても"学校"にこだわり、ベッドで一日籠るという詞を書く。ぶれない。

学校嫌いで引き籠りがちの少年だった頃を、いつまでも引きずっている、そう思う人もいるかもしれないが、それは少し違う。

学校の体罰、束縛、全体主義的な教育に反抗し傷つき、部屋に籠ることで自分の個性を守った、そのきつい体験は自分の魂に刻まれ、その根幹に組み込まれている。
学校が嫌い──それが彼の理不尽な社会への反抗の出発点で揺るがないモノなのだ。


だから今も彼は、ベッドに籠り、ニュースを見るな、自分をちっぽけに思わせるものから自分の個性を、魂を守れ、と言っているのだ。


"That Joke isn't funny anymore" に話を戻そう。

どうも"僕"は生きることに絶望しているようだ。
だれの慰めも励ましも忠告にも、
「その冗談ではもう笑えない」と言って拒否している。
深い深い絶望。車の革のシートに凭れて、夕闇が迫る中、涙を流している。玄関のドアがそこにあるのに、家に入らないのは、"僕"が日常に戻りたくない気持ちだからだろう。

"君"とは辛い気持ちを共有出来る友人、あるいはそれ以上の人だろう。
いつも冗談を言ったり、励ましあったりしてきた人。でもその"君"のことも拒否している。
励まされたり、諭されたりするのは、とても身に染みてるし、とても辛い。
"君"が、おしまいだと言って去るよりもずっと。

絶望して、社会を拒否して、死にたい、そんな気持ちが、他の人たちと同様に僕の身に起こっている。
"君"とさえ関係を絶ってもいいほど。

" That Joke Isn't Funny Anymore "
その冗談じゃもう笑えない、慰めにもならない。忠告も無意味なんだ。
もう誰とも話したくない。絶望の中で死にたい気持ちに浸りたい。

現実があまりにもどうしようもないから、ナルシスティックにでも絶望に浸っているほうがマシだ。
それが報われない人の最後の慰めだから。

誰とも会わず、ニュースも見ず、一人きりで自分と向き合えばいい。そうやって自分の魂を守ろう。いずれ生きたいという気持ちが湧いてくるまで。

この歌も、" Spent In The Bed " も一貫として続いている、モリッシー自身の魂の軌跡だと思う。




" Meat Is Murder " 1985年リリース 収録曲









"The Smiths - That Joke Isn't Funny Anymore" を YouTube で見る