写真は20年以上も前のものとなりました

つれづれなるまゝに日ぐらしPCに向かひて心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつづっていきます

あの戦争で

2020年08月14日 | 随想

平成20年(2008年)12月7日、元英国海軍大尉で戦後は外交官としてSirの称号も贈られたサムエル・フォール卿(Samuel Falle当時89歳)、彼は退職後、1996年に自伝『My Lucky Life』を出版し、その書の巻頭で「元帝国海軍中佐工藤俊作に捧げる」と記してもいたが、その日、埼玉県川口市にある工藤俊作(くどうしゅんさく)海軍中佐の墓前に車椅子で参拝し、積年の再会を果たした。・・・・・・

(詳細記事)英軍将兵422名の命を救った日本帝国海軍中佐 いまも英米で称賛

(紹介動画)イギリス将兵を救った日本海軍の駆逐艦「雷」艦長 工藤俊作

(紹介動画)敵兵を救助せよ!敵兵イギリス兵422名を救助した日本海軍「雷(いかづち)」

(関連動画)日本よ威風堂々たれ!戦時中に敵兵を救出した海軍中佐”工藤俊作”

 

救助後に士官全員を集合させた後、工藤艦長は端正な敬礼をし、英語で「貴官達は勇敢に戦われた。今や貴官達は、日本帝国海軍の名誉あるゲストであるYou had fought bravely.Now you are the guests of the Imperial Japanese Navy.)」とスピーチして敬意を示すとともに、士官室の使用も許可したのだった。

 

・・・という逸話を最初に知ったとき、フッと思い出したのが、日露戦争で旅順陥落後の「水師営の会見」において乃木大将ステッセル将軍へ配慮した武士の名誉(帯刀で写真撮影)を最大限に敬った行為。

 

まさに「武士道」だったのだろう。

乃木将軍は司馬遼太郎の本では愚将として扱われるが、どうしてどうして、かのレーニンもロシア革命を遂行する際に乃木の戦術に多くを学んだというように、世界的にも武士道と相まって評価が高い名将だ。

 

ところで、日本という国は、戦いとは「武士」の行いであり、しかも本分なので「武士道」に則って正々堂々と真正面で戦うべきもの、という理念というか先入観であの戦争を戦っていたフシがある。

実際には、卑怯な手というか、策略を駆使して戦い、如何に利を得るか、如何に目的を達するか、ということで当初の目的が得られたほうが勝利(善悪とかじゃなく)ということで決着が付くのだが、どうも日本は「戦闘」そのものが目的になってしまっていて、本来の戦争目的を忘れたまま戦っていたのではないか。

局地戦では滅法強いくせに、長期戦ではすぐに音を上げるというかダラけてしまって良いところが1つもない。ちょっとベトナム人のような、あのねちっこさというかゲリラ的発想とかがあったら、あるいは違った展開にもなってただろうに。・・・まぁ無理か。

ドイツやイギリス、フランスなどの三十年戦争とか百年戦争とか、ひっきりなしに殺戮とか殺し合い(同じか・・・)を続けていて、よぅやるゎ、っちゅう感覚なのだが、まぁ、このくらいのしつっこさを持ち合わせているからこそ、コテンパにやられてもすぐに息を吹き返す力強さがあったのだろう。

日本はと言えば、初めての敗戦というショックが大きくて、75年という月日が流れてもまだ自力で起き上がれないような「ひ弱さ」だ。初恋に破れた厨坊かょ。

 

悪いことをした」というでっち上げに反論もせず、せがまれる度に賠償金とか補償金とかむしり取られ、カネを払えば余計にタカられることをちっとも学ぼうとしてこない時期が長かった。

 

本当の「悪いことをした」のは、戦勝国と言われる米英支蘇のほうだった(戦争犯罪国はアメリカだった!「真のA級戦犯」は東條英機らでなく、ルーズベルト、チャーチル、スターリンである。)のだが、そこはほれ、勝ったほうの論理で「捏造とでっち上げ」でウソがまかり通ってしまった。

悪いことしたら開き直る」、これが世界史の常識であり、現にUSAの空襲や原爆投下などは今でも正当と言い張ってるし、シナ大陸の政権は通州事件を「南京大虐殺」と置き換えてでっち上げたりもいる。(共産党軍と日本軍って戦ったことってあったっけ?)

 

小野田寛郎氏は生前、終戦の詔書(堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、以って万世の為に太平を開かむと欲す・・・・)はよく耳にする機会もあり、そこそこ知られてはいるものの、終わりがあるのは始めがあるからなのに、何故「開戦の詔書を拝聴する機会が無いのか、ということを強く主張されていた。

そこには、米英との戦争は避けたかったが、「日本の自存と自衛」にやむなく立ち上がった、ということが事細かく示されており、よく言われるような「してはならかった戦争」ではなく、「せざるを得なかった戦争」、あるいは「しなければならなかった戦争」だったということが浮かび上がってくる。

小野田さんが「何が侵略戦争でありましょう!」と悲痛な叫びを発せられたように、この詔書の内容は反日勢力や反日左派にとって「都合の悪い事実」であって、何とか日本の「侵略戦争」に仕立てたいがために、戦後教育(+マスコミ)挙げて、一切この詔書に触れさせなかった、という事実もまた、浮かび上がってくるのである。

 

紹介動画の元となった平成17年の終戦記念日に靖国神社で撮影された動画も見つけたので紹介しておく。

https://sp.nicovideo.jp/watch/sm22687920?ref=tag_patternc_num2

(ちなみに、昭和天皇の御陵で「開戦の詔勅」を暗唱、という動画も。胸を打つ。)

 

 

日本が悪いことをした」という「刷り込み」は東京裁判という茶番劇(死刑執行もあったりして胸くそ悪いだけだが)で徹底的に日本人に叩き込まれた訳だが、これは、まぁ言ってみれば、民主党の事業仕分けごっこと似たようなものだろう。要するにパフォーマンスだった訳だ。

ただ、この結果を悪く悪く乱発しているのが、隣にある卑賤なあの国や あの国や あの国。プッ、漢字も読めないくせに「戦犯」って、わかってんのかぃ(当然、わかってない。)。

片棒を担いだのが朝日と毎日という、夏と春の高校野球を主宰している新聞社と、親中派議員で日中記者交換協定を主導した松村謙三や、台湾を切った田中角栄、最近では2Fなど。いずれも発言力が大きかったので、及ぼした悪影響も甚大だった。こんな政治家が持ち上げられたりしていること自体が既に「東京裁判史観」に染められ、自虐感を植え付けられている証左なのだろう。なっさけねぇ・・・・。

 

小野田さんが「私が見た慰安婦」という動画でスパッと言い切っているのは、あの国がわめくような犠牲者とか性奴隷とかではなく、開口一番、「商行為ですな」と軽く、至極当然という口調で解説している。痛快。

慰安所へ行くことは「朝鮮銀行に預金しに行ってくる」という隠語を使っていたということも紹介している。ほぉ~、やっぱり朝鮮ですか、納得、納得。

 

 

「きみたち日本人は腹が立たないのか」チェ・ゲバラは、広島の原爆資料館で憤った。

後にカストロ元首相も訪れたりしており、現在でもキューバでは毎年8月6日と9日に国営放送で特番を組み、初等教育で広島、長崎の原爆投下について教えているという。

 

月間インドニュース(2019年8月)

https://www.japan-india.com/news/83ce72e16301058aa63a45d965734e36de589742

初っ端の「1 内政」8月6日の項に「下院議会における午前中の議事の冒頭,ビルラ下院議長は,広島及び長崎の原爆犠牲者を追悼する発言を行い,その後,出席している全下院議員が起立し黙祷が行われた。」とある。

 

pays tribute to victims of Hiroshima & Nagasaki(広島と長崎の犠牲者に哀悼を表します)

 

パール判事『過ちは繰返しませぬから』とあるが、原爆を落としたのは日本人ではないのは明らかであり、どんな"過ち"なのか

過ちはくりかえしませぬから」・・・・主語は誰?、ということがよく話題になるが、これ、きちんと英語ででも世界中に発信されている。

"Let all the souls here rest in peace ; For we shall not repeat the evil."

見て取れるとおり、主語は「we我々」、碑のあるところの「我々」ということは、当然、「われわれ日本人」ということだろう。

くりかえさない、としているのは「the evil」。Weblioによると「」。「あやまち」どころではない。He is evil.彼は悪魔のようだ。」というほどの悪だ。

2001年のNY同時多発テロの後、ジョージ・W・ブッシュ元大統領が北朝鮮やイランを「悪の枢軸 axis of evil」と最大限の非難語としてののしった訳だが、それほどの「」が、この「evil」。つまり、広島にある碑文は、「われわれ日本人は二度と悪魔のような極悪非道は繰り返しません。」・・・・こりゃぁすぐにでもぶっ壊しに行かにゃならないレベルの自虐史観、なのでありました。あ~あ。