写真は20年以上も前のものとなりました

つれづれなるまゝに日ぐらしPCに向かひて心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつづっていきます

2017年04月22日 | 随想

婦負(ねい、めひ)という地名も無くなったが・・・

 

「白衣の天使」と言えば、「看護婦」の美称(「ランプの貴婦人」とも)である。

ときは1853年7月クリミア戦争の惨事に咲いた一輪の花かもしれないが、1853年7月といえば、ちょうど日本ではペリーが浦賀に来たときである。比べるまでもなく、衛生的には当時の日本のほうがはるかにマシだった。

その美称であるが、何をとち狂ったか、平成14年(2002年)3月施行の「保健婦助産婦看護婦法の一部を改正する法律」によって、それまで使用されていた「看護婦」が、男女の区別のない「看護師」とやらに名称が変更された。おぃおぃ、オトコに「天使」はないだろうよ。それとも、ナヌ? オトコも天使の姿になるのをイメージするんか? ちょっと違和感、出まくりだょなぁ。因みに、ドイツ語やフランス語などは名詞そのものが男女の区別をしているのでわかりやすい。(ドイツ語では男性看護士は"Krankenpfleger"、看護婦が"Krankenpflegerin"、フランス語では男性看護士"Infirmier(アンフィルミエ)"、看護婦が" Infirmiere(アンフィルミエール)"、など)

 

なんでも、「婦」という字が「おんなへん」に「帚(ほうき)」という字なので、「おんな」にだけ掃除をさせるのは不平等でけしからん!、のだとか。ナニを勘違いしてるんだか・・・。そもそもは、ほうきで掃いて清めるという意味の字であって、掃除をすれば気持ちも良くなるし、周りをきれいにするのは日本人の美徳でしょうが・・・

とばかり思っていたが、とにかく欧米では、はやり言葉で言えばグローバルな価値観では、掃除などは身分の低い、下女か移民女にさせるものであって、掃除機を持つなんてとんでもない、のだとか。やれやれ・・・・。

以前、確かサウジアラビアの国営テレビ局が日本の小学校を取材に来ていて、靴が揃っていること、しかもそれは児童自らがきちんと整えていることに驚きの声を挙げ、続けて、席を起つときに椅子を机の脚の間にしまうことに驚き、教室を掃除しだすと「信じられません!」とかを連発して本国へ送ったのが大評判となり、今ではアラブ圏全体で日本を模範にしようという運動が盛り上がっているとのこと。

 

・・・その日本が、どこの思想にかぶれだしたのか、掃除をするヒトが差別を受けている、という被害者なんだとか・・・・情けないですな。どこぞの国かは知らねども、被害者ヅラしてればカネをせびることができるとか、被害者さまが一番エラいのだとか、今では立派な被害者ビジネスが確立してますな。

で、「婦」のどこが差別なんだよ?単なる言葉のバッシングなだけだろ?「夫」はどうするんじゃ?・・・ぁっ、そんで別姓にしたいの?

そう言えば、「供」という字にも何だカンだと いちゃもん付けて、子どもという表記にしたことあったっけ。一応、まともな議論もされて元に戻ったようだが。

看護婦というシステムができることと便所掃除が如何に密接に繋がっていたのか、ということは「ナイチンゲールの生涯」などに詳しい(ところどころで「看護師」も使われているが、「看護婦」でなければ文脈が成立しない部分も多い・・・・それが実態なんだょ。)。

もともとの趣旨が歴史と共に曲折していくことは避けられないのかもしれないが、何事も当初の趣旨を見直してみるということは大切だよな。

「婦」 という漢字は差別ですか?

「婦人」という言葉は、そんなに悪い言葉なの?