「松田オーナーに土下座しろ!」新井貴浩が二千本打者になれた理由~同じく広島を移籍した某捕手が真相を激白【今のカープファンを敵に回したく…】に一同感激とは?
「松田オーナーに土下座しろ!」新井貴浩が二千本打者になれた理由~同じく広島を移籍した某捕手が真相を激白【今のカープファンを敵に回したく…】に一同感激とは?
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新井さんは素敵な男です。
10/19(金) 15:00配信 現代ビジネス
新井貴浩が二千本打者になれた理由~先輩捕手が見た「辛いさん」の軌跡
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新井貴浩、41歳。
「辛いさん」のニックネームでファンに親しまれる(?)男が、今季、現役生活に終止符をうち、引退を決めた。
1999年から20シーズンでの成績は、通算打率2割7分8厘、2203安打、319本塁打。
本塁打王1回(2005年)、打点王1回(2011年)、最優秀選手1回(2016年)、ゴールデングラブ賞1回(2008年)。
安打数では歴代20位という見事な成績を残した新井だが、入団時は、「プロに入れるレベルの選手ではなかった」という。
そんなダメ選手が、厳しいプロの世界でいかにして20年も生き残ってこられたのだろうか。
----------■猛練習でも壊れない頑丈な身体
入団当時の新井(貴浩)は、今よりひょろっとして、背は高かった(189cm)けど、ずいぶん細かったですからね。
バッティングでは、遠くに飛ばしそうな気配はあっても、全然ボールに当たらない。
守備はまったくプロのレベルじゃない。
ホントに、こんなんでよくプロに入れたなってレベルの選手でしたよ。
当時のカープには、新井の母校である駒沢大学OBの大下剛さんがヘッドコーチ、野村謙二郎さんが中心選手でいましたからね。
この2人が、「ドラフト外でもいいですから、なんとか穫ったってください」って言えば、なんとかせざるを得ないでしょ。
あの頃は結構あったんですよ、そういうことが。
新井が入って来たとき、金本とか僕らがしょっちゅうからかってましたよ。
「プロ野球界広しといえども、コネで入って来たのはおまえくらいや。
完全に裏口入団や。
契約金も逆におまえが払ったゆう噂やぞ」って。
駒沢大学の大田誠監督は、「身体は丈夫だから少々きつい練習をさせても壊れることはない。
カープでがんがん練習させてくれ。
ひょっとしたらものになるかもしれん」と言ったそうですよ。
それで、入団してからは、これでもかっていうくらいきつい練習させられてました。
今でも、決してうまいという選手ではありませんが、そのおかげで、入団してきた当初から比べたら、雲泥の差というくらいうまくなりました。
プロに入ってから成長した選手の典型的な例です。
入団当初は、振っても振ってもボールに当たらなかった選手が、2000本もヒットを打った訳ですからね、僕らも、もうけなすことはできませんよ。
レベルに達してない選手のレベルを上げようとしたら、ほかの選手よりきつい練習になるのは当然です。
それに耐えられるだけの頑丈な身体を持っていたというのが、新井のすごさでしょう。
彼を鍛えに鍛えた大下さんも言ってました。
「新井はあれだけ丈夫に産んでくれた親に感謝せにゃならん」と。
新井が、これだけの成績を上げられた第一の理由は、親が与えてくれた、あの頑丈さです。
■カープ以外だったらとっくに消えていた
当時のカープは、まちがいなく12球団でいちばん練習していました。
カープは練習し過ぎるから選手が故障するんだと批判もありましたが、カープの首脳陣はきつい練習をさせて潰れるような選手はいらないという考えだったんですよ。
きつい練習を乗り越えて一流になれる選手しかカープにはいらない。
どういうことかというと、カープではいい選手イコール強い選手なんですよ。
全身がバネのようで、走れる、打てる、守れる選手。
カープは、(山本)浩二さん、衣笠(幸雄)さん、(高橋)慶彦さんの時代から、新井が入団した当時の金本(知憲)、前田(智徳)まで、
いつもチームの中心となっていたのは、そんな三拍子そろった選手だったんですよ。
あらゆる面で鍛えられた選手だけが生き残れる。
打てるだけ、守れるだけの選手はいらないというのも、カープの首脳陣の考えだったんですよ。
そんなチームに入ったのも、新井の幸運ですよね。
彼は元々、隙あらば手を抜いてやろう、楽してやろうというタイプですからね(笑)。
12球団一の練習量を無理矢理にでもやらせるカープで鍛えられたから、あそこまでの選手になったのはまちがいない。
3年ほど前に、新井にインタビューしたときに、本人も言ってました。
「若い頃は、ものすごく練習させられたけど、
自分はなんとかうまくなりたいと進んで練習するタイプではなかったから、いつも嫌々やっていた。
でも、嫌々でもあれだけの量の練習をやらされたことで、身についたものはたくさんあると、今になってつくづく思う。
大先輩たちに「やれー!」と言われて、毎日、泥々になってやっていたら、いつのまにか技術、体力が身についていた。
だから、無理矢理にでもやらされる練習というのも大事なんじゃないですか」。
もし、彼がもう少しうまくて、ドラフト上位で、
最初からプロ野球選手としてチヤホヤしてもらえるようなチームに行っていたら、とっくに消えていたかもしれません。
新井は、入団当時、それこそ雑草が踏みつけられるように鍛えられて、必死で這い上がったから、一流になれたんですよ。
当時のレギュラーはみな、それを乗り越えてポジションをつかんでいた。
いい見本が、新井が兄のように慕っている金本です。
彼は、入団してから2年間二軍にいて、ようやくチャンスをもらって一軍に上がったその日にケガをした。
それを、首脳陣に知られたら二軍に戻されてしまうので、応急処置を頼んだトレーナーに絶対内緒にしてくれと頼んだんです。
ところが、トレーナーが勝手に上に報告してしまい、金本は一軍に帯同することなくそのまま二軍に戻されてしまった。
それ以来、ケガをしてどんなに痛くても誰にも言わなくなったんです。
連続試合フルイニング出場の世界記録を樹立するまでの間も、何度もケガをしていますが、一切誰にも言わなかった。
新井は、その姿を間近に見ていますからね。
一度腰痛でどうにもならなくなったことがありましたが、それ以外は、痛いかゆいは言ったことはないですよ。
「名球会」新井を生んだ第二の理由は、広島カープに入団したこと。
他の球団だったら、ありえなかったでしょう。
■金本、黒田と出会ったからこそ
そんな新井がなぜカープを出たかというと、ひとつは、慕っている金本と一緒にやりたかったんでしょう。
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2007年、カープからタイガースへFAで移籍する会見の際に、「辛いです。
カープが好きだから」「FAなんて(制度)なければよかったのに」という迷言を残したことから、ニックネーム「辛いさん」がファンとチームメイトの間で定着してしまった。
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それと、煮詰まってったというのが大きかったのかもしれません。
新井が入団する前年の1998年からカープはずっとBクラスに低迷していました。
古い広島市民球場で客も全然入らない。
カープ女子たちで大いに盛り上がっている今とは大違いです。
一度環境を変えてやってみたかったんだと思います。
同世代の黒田(博樹)がメジャーに行ったのも同じ気持ちがあったんでしょう。
カープへの愛は強くても、負けて当然、客が入らなくて当然という環境とは違う環境でやってみたいと思っても仕方がないと思います。
自分が自由契約になって巨人に行ったときも、そういう気持ちはありました。
もし今だったら、コーチの打診を受けた段階で、巨人に行かず、素直にユニフォームを脱いでたと思います。
今の熱いカープファンを敵に回して戦いたくはないですよ。
それにしても、新井はいい時期にカープに戻りましたね。
以前だったら、自分から出ていったチームに戻れるということはあり得なかった。
先にカープに復帰が決まっていた黒田の後押しもあったでしょう。
あの2人は年も近くて仲がいいですからね。
新井がカープに復帰する2年ほど前に言ったことがあるんですよ。
「おまえは、最後はカープに戻ってやるのが一番いい。
松田(元)オーナーのところに行って土下座して、『帰らせてください』って頼んでこいよ」って。
当時阪神では、極度の不振でスタメン落ちすることもありましたからね。
「そんなことできないですよ」とは言ってましたが、彼にも、最後は広島でという気持ちはあったと思うんですよ。
結局、カープの方から声をかけてもらって、万々歳ですよ。
黒田も帰ってきて、自分も帰りたくてしゃーなかったわけですから。
僕がそうやって声をかけたのも、最後の花道という意味だったんですが、まさか戻ってからあんなに活躍するとは思いませんでした。
移籍1年めというのは、どんな選手でも緊張感をもってプレーするものですが、彼の場合には、それがいい方向に出たということでしょうね。
放っておくと楽しようと緩むタイプですから(笑)。
メンバーも入れ替わって優勝争いができるようになったチームに戻ってきて、チームメイト、首脳陣、オーナー、ファン、みんなが、
「お手並み拝見」と注目してる中でプレーしたことが、彼にはよかったんでしょう。
そういう意味では、彼の野球人生はタイミングに恵まれましたね。
決してプロレベルじゃない選手が、厳しい練習で知られるカープに入団して、徹底的に鍛えられてレギュラーになり、煮詰まった頃に、
阪神という人気球団に移籍して、注目される中で結果を出した。
そしてまた、選手として衰えてきた頃に、カープに戻って新たな気持ちでプレーすることができた。
少なくとも2度は引退する可能性はあったのに、タイミングに恵まれて、これだけ長くプレーすることができたわけです。
そして、いい人に巡り会えてますよ。
入団当初から兄と慕い、プロ野球選手として素晴らしい見本であった金本、同世代のチームメイトで男気の塊のような黒田。
彼ら2人とプレーしていなかったら、今の新井はなかったでしょう。
2人のスーパースター、金本と黒田との出会いがなければ、タイミングに恵まれることのなかったわけですから。
頑丈さに恵まれ、入団した球団に恵まれ、チームメイトに恵まれて、名選手・新井貴浩は生まれたと、僕は思います。
とはいえ、そんな幸運に恵まれたのも、彼が実直とも言える素直さをもっていたからです。
嫌々ながらの猛練習に耐えたのも、金本、黒田はじめ先輩たちにかわいがられ、
阪神や広島の後輩たちにあれだけいじられ愛されるっていうのも、彼の素直さがあってのことしょう。
2000本安打を達成して、20年めの現役最後の年に、チームはリーグ3連覇、日本一を目指して戦っている。
現役引退を表明した後に、こんな舞台を用意してもらえた選手は過去にいなかったのではないでしょうか。
当然、長くプレーする中でそれなりの苦労はあったと思いますが、
これ以上はないっていうくらい幸せな野球人生ですよ。
■奇跡のファンの声は?
カープという家族の為、カープファンの為に、最高の全力プレーを見せて下さい!
新井兄弟は好きな選手だが、バッティングに技術は感じない。
雑に振り回してすぐにバットを戻す
スイングの 印象がある。
それでもプロとして大成できたのだから
野球は面白いと思います。
昨日の試合、菊池選手との抱擁、涙が止まらなかった。
運がいい新井さん️
新井選手は全打席、全投球が出会い頭だと言った人がいたけど、面白い表現だと思うよ。
数字以上に存在感を持っている人ですからね。
選手としてはもちろんだけど、内面的に人として優しいんだろうな~と思う。
色々複雑な気持ちもあるけどタイガースでプレーしてくれたことも感謝してます。
しかし、施設が古くて狭い、負けるのが当たり前、客入らないのが当たり前
確かに環境を代えたいと思いますね
しかし、出ていった西山が残っていたいという今の環境
もしかしたら、あの川口でも残ってるのかもしれない。
ますますお金で出ていったわけではないとわかるロジック
果たしてどうなるやら。
本当に背中でチームを引っ張っていける数少ない選手だった。
ただ指導者に向いたタイプではない気がする。
苦労人だけに、スカウトとして広くアマチュアの選手を見て欲しい
あの泣きながらのFA がなかったら広島ファンからも野次られてたかもね。
あれを見てたから、いつか帰ればいいのにって見たファンも少なくなかったんじゃないかな。
あー、引退撤回しないかなー(笑)
はしゃぎまくる新井をまだ見たいわ
阪神に移籍しても、ブーイング受けても、
彼はカープを気にし続けていた。
子供の頃から愛するチームで終える事が出来るって、素晴らしいですね。
新井の事もそうだが、
この記事で語る西山秀二懐かしい。
彼もまた低迷期を支えてくれた名捕手の一人。
阪神に行かなければもっと良い成績を残せたと思う。
その反面、阪神に追い出されたから今の新井選手があるのかも知れない。
練習は嘘をつかないを地で行った名選手ですね。
西山さん、こんな素敵な新井評を書いてくださりありがとうございます。
今度お店に来てくれたらお礼にラーメン大盛りにします。
すんごい勝手やけど、もし金本監督の3年間に元気な状態の新井さんがいたら、もっと上手くいってたんかなとか思う。
まあ調子わるくて使ってたらそれこそクソほど叩かれるんやろけど笑
練習で潰れるような選手ならいらないとはさすが広島カープだね。
人間味があって好き。
新井さんが、阪神の若手選手が打てなくなる原因を知っているのかも知れない。
とりあえず次は引退撤回かな。
……………
みんなに愛されみんなに慕われ、そしてみんなを幸せにした新井さん。これからもたくさんの人を喜ばせて下さいね。
貴重なお時間を使って、最後まで動画をみてくださりありがとうございます。感謝です。
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BY カープBOY
文章&画像引用元:
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181019-00057998-gendaibiz-bus_all&p=1
https://baseballgate.jp/p/123722/