プロ野球第二の人生!元広島の「赤いハンカチ王子」斉藤悠葵 約1年後に店長
プロ野球第二の人生!元広島の「赤いハンカチ王子」斉藤悠葵 約1年後に店長
いつも動画をみてくださり、ありがとうございます。感謝です。
4/22(日) 11:11配信 東スポWebより引用:
元広島の「赤いハンカチ王子」斉藤悠葵さん 野球専門店に就職後 約1年後に店長に!
【異業種で輝く元プロ野球選手】「日本ハムの佑ちゃん(斎藤佑樹)と同姓同名だったおかげで、自分の名前を覚えてもらった感があるので。
今でも同じ名前で良かったと思っています」。
現役当時からの爽やかな笑顔でこう語るのが元広島の投手・斉藤悠葵さん(30)。
現在、神奈川県川崎市内の野球専門店で第2の人生を送っている。
現役時代、広島で「赤いハンカチ王子」と呼ばれた斉藤さんは2005年のドラフトでプロ入り。
抜群の制球力で1年目から一軍登板を果たすと、09年には先発ローテーション投手としてシーズン9勝の活躍を見せた。
だが、11年以降は故障もあり低迷。14年オフに戦力外通告の憂き目に遭った。
「プロ最後の1年は周囲にお願いして現役を続けさせてもらったのですが、この年は何をやってもダメで。
野球をやる楽しさもなくなっていたので現役への未練はなかった。
ただ、佑ちゃんとは一度、同じ舞台で投げ合いたかった。
現役時代に本人と一度も会話すらなく、初めて話したのが昨年末の福井優也(広島)の結婚式。しかも、そこで一緒に撮った写真をインスタにあげたら、その写真だけすごい数の“いいね”が来たので(笑い)」
そんな斉藤さんが野球専門店に勤務するきっかけは、広島時代の同僚で当時、同店の店長を務めていた喜田剛さんの“スカウト”だった。
「戦力外を告げられた次の日ぐらいでしょうか。
東出さん(広島一軍打撃コーチ)から『喜田が連絡を取りたいと言っている』と。
その後、すぐに連絡があり『店舗に見学に来ないか』と誘ってくれたんです。
実際に行ってみたら、ちょうど子供たちを教えるイベントをやっていて、すごく楽しそうにみんな野球をやっていた。
それを見て『いいな、野球に携わっていけるな』と思ったんです」
ところが、楽しそうに見えた仕事は甘くはなかった。
高卒でプロ入りしたこともあり「社会人としての常識をまったく知らなかった」という斉藤さん。
パソコンでのメールのやりとりや文書作成ができず店内での販売、レジ操作、商品管理等で苦難の日々が続いた。
追い打ちをかけたのが店で扱う「商品の説明」。いわゆるお客さんへの接客販売だった。
「現役のころは漠然とグラブなどの野球道具を使っていましたが、実際は一つひとつ材質や良さが細かく異なる。
それをお客さんに説明したうえで買ってもらうので、扱う商品のメリットなどを具体的に覚えないと売ることができない。
特に僕は投手だったので、野手のグラブやバットの詳細を覚える必要がありました。
一般のサラリーマンなら普通のことでも、野球しかやってきたことのない高卒の人間にはこれが大変で。体力というよりやはり精神面がつらかった。最初の3か月は毎日辞めたいと思いました」
それでもあきらめず仕事を続けたのは「やりがい」があったから。施設で個人レッスンを受ける子供たちの中には初めて野球道具を購入する少年も多い。
子供たちが商品の良さを知り、ジャージー、ユニホームを含め自らが薦めた道具でプレーする姿を見るたびに「うれしい気持ちが込み上げてくる」(斉藤さん)。
仕事ぶりが認められ、15年末からは店長に就任。今では元プロ野球選手を含めた複数のスタッフとともに、併設するバッティングセンターの運営やメンテナンス、野球イベント開催、個人レッスンなどを手がける。
評判を呼ぶ施設には平日で60~70人。週末には100人を超える野球好きが集う。
「長く野球に携わってきたので、今後も店舗でいろいろな知識、お金の回り方などを学びながら野球の素晴らしさを伝えていきたい。
そのうえで将来は野球に関わるいろいろな事業をやっていけたらいいですね」
☆さいとう・ゆうき 1987年、福井県生まれ。福井商から05年高校生ドラフト3巡目で広島入団。プロ1年目の06年10月の巨人戦で一軍初登板初先発初勝利。
09年は主に先発として27試合に登板し9勝(11敗)をマーク。
10年も23試合で4勝(7敗)を記録したが、14年オフに戦力外通告を受け現役引退。同年12月から現職。プロ通算成績は66試合19勝23敗、防御率4・46。左投げ左打ち。家族は夫人と1男。
■ファンの声は?
斉藤悠葵は、人柄に定評があって、いまだにマエケンや廣瀬純など元カープ選手が店舗に遊びにくるらしい。
やはり、社会人は人柄がよい人が成功する。
一度野球が嫌いになったのに、第二の人生でまた野球を楽しめててよかった。
一軍で最速146キロの速球を投げていましたね
私が最後二軍で見に行った試合では
速球が120キロ中盤くらいしか出ていなくて
辛くなりました
第二の人生、本当に頑張ってほしい
私も頑張らないと・・・
お店の名前を出しても良いのでは?
多分そこだろうなとは思うけれど。
野球はやらないけれど、リストバンドとかスポーツタオルとかなら買いに行きたい。
本家のハンカチと大差無い成績なのに、赤いハンカチの方は戦力外か…
本家も今期、頑張らないと危ないかも…
福井商時代は林と斉藤の左右のダブルエースで印象に残ってます!
マエケンとも仲が良くて、福井とは同級生。
天谷と赤松のホームランキャッチ。
何気に僕にとっては思い出がたくさんある選手です。
そういえば赤松と天谷がやったマツダスタジアムのホームランキャッチは、両方とも斉藤悠葵が打たれたやつだったな。
それをネタに二人にからかわれてたのを思い出した。
カープ選手のゴルフ番組でも、アプローチかなんかが下手で「ノースリーからストライク取りに置きに行ってワンバン放ってる」とか、地元の人しか知らんだろうけど、色々いじられてたよ(笑)この記事見て色々思い出した。元気そうで何より。
好きな選手だったなー
応援してます!
喜田ってお店をひらいいたのか!?
懐かしいな~。
頑張って欲しいね。
カープで本当に良かったね!
印象はスパイダーマンや赤いハンカチや沢山残ってる。
最後の年は130キロも出なくなってたから本当に辛かったと思うけど、こうして第2の人生を送られてて安心しました。
野球の専門店に就職しては、店長になるとは凄いなぁ。
でも、苦労も多かったと言うから、みにつまされる部分も感じるね……。
ともあれ、これからが大事だし、頑張ってもらいたいね。
ハンカチ王子も引退したら、スポーツショップから引く手数多だろな
篠田や斉藤が出てきたときはしばらくカープの左腕は安泰かなとか思ってた
赤ハンカチ王子のイメージも強いけどそれ以上に2度ホームランをキャッチしてもらった(赤松と天谷、しかも両方横浜戦)印象が強い
斉藤悠葵といえば、初登板の巨人戦で勝った時に記者の要求に応えて赤いタオルで顔を拭う仕草をしたのを覚えている。
長年の懸案事項だった生え抜き左腕の誕生と喜んだものだけど。
それと2010年の8月だったかな?マツダスタジアムでの横浜戦で2回もホームラン性の当たりを赤松と天谷にキャッチして貰った事かな?
球辞苑で福井商の先輩でもある天谷がインタビューで
「辞めた今だから言えるけど、あいつ簡単にストライクを取りにいくんですよ」
「球質が軽いんですかね?ホームラン出やすい投手というか」
「なのでこっちも最初から打たれるだろうということを前提に守っていた」
と言っていた。
赤ハンカチの方がハンカチより実績が上ってこと?
なのにプロ球界に居座るハンカチって、どんなもんだろう?
どうも戸田と被る。なんだかんだ期待されながら戸田も去っていきそう。
ホームラン性の当たりをキャッチしてもらった事があったりと、本家さながらにツキのあるピッチャーだった反面、現役生活はそんなに長くなかった印象でしたが、こうやって今も野球関係の仕事で輝いてると知り、これからも頑張って欲しいですね!
球が速くてノーコン。ストライクはど真ん中の真っ直ぐしか投げれません!って当時のカープ投手陣の中で珍しくコントロールだけは抜群の投手だったな。
球速が伸びなかったのが残念。
カープが絶望的に弱かった頃に前ケン以外でまともに見てられた数少ない1人。
…………
プロ野球第二の人生頑張ってもらいたいです!
いつも動画をみてくださり、ありがとうございます。感謝です。
【チャンネル登録よろしくお願いします】
BY カープBOY
文章&画像引用元:
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180422-00000005-tospoweb-base
プロ野球第二の人生!元広島の「赤いハンカチ王子」斉藤悠葵 約1年後に店長
いつも動画をみてくださり、ありがとうございます。感謝です。
4/22(日) 11:11配信 東スポWebより引用:
元広島の「赤いハンカチ王子」斉藤悠葵さん 野球専門店に就職後 約1年後に店長に!
【異業種で輝く元プロ野球選手】「日本ハムの佑ちゃん(斎藤佑樹)と同姓同名だったおかげで、自分の名前を覚えてもらった感があるので。
今でも同じ名前で良かったと思っています」。
現役当時からの爽やかな笑顔でこう語るのが元広島の投手・斉藤悠葵さん(30)。
現在、神奈川県川崎市内の野球専門店で第2の人生を送っている。
現役時代、広島で「赤いハンカチ王子」と呼ばれた斉藤さんは2005年のドラフトでプロ入り。
抜群の制球力で1年目から一軍登板を果たすと、09年には先発ローテーション投手としてシーズン9勝の活躍を見せた。
だが、11年以降は故障もあり低迷。14年オフに戦力外通告の憂き目に遭った。
「プロ最後の1年は周囲にお願いして現役を続けさせてもらったのですが、この年は何をやってもダメで。
野球をやる楽しさもなくなっていたので現役への未練はなかった。
ただ、佑ちゃんとは一度、同じ舞台で投げ合いたかった。
現役時代に本人と一度も会話すらなく、初めて話したのが昨年末の福井優也(広島)の結婚式。しかも、そこで一緒に撮った写真をインスタにあげたら、その写真だけすごい数の“いいね”が来たので(笑い)」
そんな斉藤さんが野球専門店に勤務するきっかけは、広島時代の同僚で当時、同店の店長を務めていた喜田剛さんの“スカウト”だった。
「戦力外を告げられた次の日ぐらいでしょうか。
東出さん(広島一軍打撃コーチ)から『喜田が連絡を取りたいと言っている』と。
その後、すぐに連絡があり『店舗に見学に来ないか』と誘ってくれたんです。
実際に行ってみたら、ちょうど子供たちを教えるイベントをやっていて、すごく楽しそうにみんな野球をやっていた。
それを見て『いいな、野球に携わっていけるな』と思ったんです」
ところが、楽しそうに見えた仕事は甘くはなかった。
高卒でプロ入りしたこともあり「社会人としての常識をまったく知らなかった」という斉藤さん。
パソコンでのメールのやりとりや文書作成ができず店内での販売、レジ操作、商品管理等で苦難の日々が続いた。
追い打ちをかけたのが店で扱う「商品の説明」。いわゆるお客さんへの接客販売だった。
「現役のころは漠然とグラブなどの野球道具を使っていましたが、実際は一つひとつ材質や良さが細かく異なる。
それをお客さんに説明したうえで買ってもらうので、扱う商品のメリットなどを具体的に覚えないと売ることができない。
特に僕は投手だったので、野手のグラブやバットの詳細を覚える必要がありました。
一般のサラリーマンなら普通のことでも、野球しかやってきたことのない高卒の人間にはこれが大変で。体力というよりやはり精神面がつらかった。最初の3か月は毎日辞めたいと思いました」
それでもあきらめず仕事を続けたのは「やりがい」があったから。施設で個人レッスンを受ける子供たちの中には初めて野球道具を購入する少年も多い。
子供たちが商品の良さを知り、ジャージー、ユニホームを含め自らが薦めた道具でプレーする姿を見るたびに「うれしい気持ちが込み上げてくる」(斉藤さん)。
仕事ぶりが認められ、15年末からは店長に就任。今では元プロ野球選手を含めた複数のスタッフとともに、併設するバッティングセンターの運営やメンテナンス、野球イベント開催、個人レッスンなどを手がける。
評判を呼ぶ施設には平日で60~70人。週末には100人を超える野球好きが集う。
「長く野球に携わってきたので、今後も店舗でいろいろな知識、お金の回り方などを学びながら野球の素晴らしさを伝えていきたい。
そのうえで将来は野球に関わるいろいろな事業をやっていけたらいいですね」
☆さいとう・ゆうき 1987年、福井県生まれ。福井商から05年高校生ドラフト3巡目で広島入団。プロ1年目の06年10月の巨人戦で一軍初登板初先発初勝利。
09年は主に先発として27試合に登板し9勝(11敗)をマーク。
10年も23試合で4勝(7敗)を記録したが、14年オフに戦力外通告を受け現役引退。同年12月から現職。プロ通算成績は66試合19勝23敗、防御率4・46。左投げ左打ち。家族は夫人と1男。
■ファンの声は?
斉藤悠葵は、人柄に定評があって、いまだにマエケンや廣瀬純など元カープ選手が店舗に遊びにくるらしい。
やはり、社会人は人柄がよい人が成功する。
一度野球が嫌いになったのに、第二の人生でまた野球を楽しめててよかった。
一軍で最速146キロの速球を投げていましたね
私が最後二軍で見に行った試合では
速球が120キロ中盤くらいしか出ていなくて
辛くなりました
第二の人生、本当に頑張ってほしい
私も頑張らないと・・・
お店の名前を出しても良いのでは?
多分そこだろうなとは思うけれど。
野球はやらないけれど、リストバンドとかスポーツタオルとかなら買いに行きたい。
本家のハンカチと大差無い成績なのに、赤いハンカチの方は戦力外か…
本家も今期、頑張らないと危ないかも…
福井商時代は林と斉藤の左右のダブルエースで印象に残ってます!
マエケンとも仲が良くて、福井とは同級生。
天谷と赤松のホームランキャッチ。
何気に僕にとっては思い出がたくさんある選手です。
そういえば赤松と天谷がやったマツダスタジアムのホームランキャッチは、両方とも斉藤悠葵が打たれたやつだったな。
それをネタに二人にからかわれてたのを思い出した。
カープ選手のゴルフ番組でも、アプローチかなんかが下手で「ノースリーからストライク取りに置きに行ってワンバン放ってる」とか、地元の人しか知らんだろうけど、色々いじられてたよ(笑)この記事見て色々思い出した。元気そうで何より。
好きな選手だったなー
応援してます!
喜田ってお店をひらいいたのか!?
懐かしいな~。
頑張って欲しいね。
カープで本当に良かったね!
印象はスパイダーマンや赤いハンカチや沢山残ってる。
最後の年は130キロも出なくなってたから本当に辛かったと思うけど、こうして第2の人生を送られてて安心しました。
野球の専門店に就職しては、店長になるとは凄いなぁ。
でも、苦労も多かったと言うから、みにつまされる部分も感じるね……。
ともあれ、これからが大事だし、頑張ってもらいたいね。
ハンカチ王子も引退したら、スポーツショップから引く手数多だろな
篠田や斉藤が出てきたときはしばらくカープの左腕は安泰かなとか思ってた
赤ハンカチ王子のイメージも強いけどそれ以上に2度ホームランをキャッチしてもらった(赤松と天谷、しかも両方横浜戦)印象が強い
斉藤悠葵といえば、初登板の巨人戦で勝った時に記者の要求に応えて赤いタオルで顔を拭う仕草をしたのを覚えている。
長年の懸案事項だった生え抜き左腕の誕生と喜んだものだけど。
それと2010年の8月だったかな?マツダスタジアムでの横浜戦で2回もホームラン性の当たりを赤松と天谷にキャッチして貰った事かな?
球辞苑で福井商の先輩でもある天谷がインタビューで
「辞めた今だから言えるけど、あいつ簡単にストライクを取りにいくんですよ」
「球質が軽いんですかね?ホームラン出やすい投手というか」
「なのでこっちも最初から打たれるだろうということを前提に守っていた」
と言っていた。
赤ハンカチの方がハンカチより実績が上ってこと?
なのにプロ球界に居座るハンカチって、どんなもんだろう?
どうも戸田と被る。なんだかんだ期待されながら戸田も去っていきそう。
ホームラン性の当たりをキャッチしてもらった事があったりと、本家さながらにツキのあるピッチャーだった反面、現役生活はそんなに長くなかった印象でしたが、こうやって今も野球関係の仕事で輝いてると知り、これからも頑張って欲しいですね!
球が速くてノーコン。ストライクはど真ん中の真っ直ぐしか投げれません!って当時のカープ投手陣の中で珍しくコントロールだけは抜群の投手だったな。
球速が伸びなかったのが残念。
カープが絶望的に弱かった頃に前ケン以外でまともに見てられた数少ない1人。
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BY カープBOY
文章&画像引用元:
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