何故かと言うと、mixiでこんな紹介のされ方をしていたので…。
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朝日新聞で唯一先生が心許した記者です。
彼は先生に心から惚れ込み、代議士と記者という関係を超えた人間同士の付き合いをしていました。
朝日なので先生は最初毛嫌いしていましたが、彼がとても純粋に先生に接してくるのに先生は心打たれていつしか彼に笑顔を向けているようになりました。
そんな彼が純粋に書いた記事です。
彼は先生を常に追いかけ、先生が財務大臣に就任した時は、会社に申し出て財務省に異動しました。
選挙中は、先生を励ましに行くと言って実費で帯広へ行っていました。通夜も葬儀も彼は泣きませんでした。
しかし、彼は葬儀が終わって、先生のご地元の事務所長から『中川バッヂ』(中川後援会のバッヂ)をもらった瞬間突然号泣しだしました。
彼は、あのローマの時だけ運悪く同行取材できず…それを彼も後悔しています。彼が付いて行ってれば、先生のインナーの政治部の記者が一人でも同行していれば、あんなことにはならなかったはずです。
先生の周りにいた記者は皆先生を心から応援していましたから。。今更ですが。
彼は、この記事を書くにあたり、他の人が書けばもっと先生の政治家としての評論もうまく書けたかもしれないが、先生の人柄や、あの会見の原因が酒ではなく薬だったということも、家族の話も決して記事にはならない、だから僕が書くんだと思って、上に直談判してようやくもらえた枠だったと言いました。
また、あのローマの後のひどい報道も、亡くなった後の追悼する報道も両方間違いだ、と嘆いていました。
これは、彼にしか書けない先生への純粋な追悼記事です。
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※無断転載すいません。記事には署名入ってましたが、載せませんでした。mixiの投稿主様も載せてなかったので…。気になる方は図書館へGO!!どうしても自分の目で読みたかったので、ワタクシ図書館行ってコピって来ましたw
※この記事は、「ご家族も感激されて、記事を棺に入れて一緒に天へ昇って行きました。」とのことです。
『まじめ・繊細、甘さも』 2009.10.7 朝日新聞