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今日!中川昭一さんの葬儀が行われた。不慮の死を心からお悔やみ申し上げます

2009-10-17 | 中川-英霊追悼-昭一
以前中川氏が
『日本は核保有論議ぐらいしておくべきだ』と発言をなさった時、
時期と言い
主旨と言い
凄い政治家だと感動した。
若さと言い
政治的感覚と言い
自民党の将来には
絶対必要な政治家だった。
僕は『瞑想地図』と言う映画に出演して、
自殺なさった父上の
中川一郎さん役を
演じた事もあり、
昭一さんには青嵐会時代から
人一倍好感を持っていた。
お父さん譲りの繊細さが、仇になり
お酒に敗けてしまったような印象を受ける
最後が残念でなりません。
お酒さえなければ
日本の首相にも
相応しい政治家だった。
同じ一郎でも
鳩山さん、河野さんの息子より100倍
素晴らしい政治家だった。
合掌


津川雅彦『遊び』ぶろぐ サンタの隠れ家 2009年10月 9日 14:36
http://www.santanokakurega.com/2009/10/post-131.html

中川昭一さん、心からご冥福をお祈りします

2009-10-17 | 中川-英霊追悼-昭一
 中川昭一元財務相がきょう、亡くなりました。産経紙面には上司に命じられ追悼記事を書きましたが、それとは別に、これまで10年余にわたって、いろいろな場面で見聞したこと、直接話したり、議論したりしたことが脳裏に去来して、今は何とも言いようがありません。ただただ残念であり、喪失感を覚えます。


 政治家を、「好き嫌い」だけで判断してはいけないと思いますが、私は中川氏という人間が好きでした。真面目で繊細でそれゆえに傷つきやすいところがあって、酔って行き着けの店でくだを巻くのも、その優しさや鋭すぎる感受性と裏返しなのだろうなと感じていました。


 そして、何よりいつも真剣に日本のことを考えていました。


 個々の政策や考え方への批判、財務相時代の「酩酊会見」などに対する失望や叱責は当然だろうと思いますが、それでも私は、中川氏が次の選挙で復活し、また日本のために働いてくれることを願い、信じていました。


 記者と政治家のつき合いという意味で言えば、私は中川氏からいわゆる「ネタ」はあまりもらったことがありませんし、こちらも特に情報を引き出そうとしたことはありません。むしろ、僭越を承知で言えば、べたべたしたつき合いはなくとも、自分勝手にある種の「同志」のつもりでいました。


 私は「まっすぐ」な人が好きですが、中川氏はまさにそうで、かつ含羞の人でした。てれたような、はにかむような笑顔が思い出されます。重ねていいますが、対外的な強い主張とは別に、とても繊細な人だったのだと思います。


 マスコミは私も含め、健忘症です。一時はある人物を大きく取り上げても、次の話題が見つかれば、すぐそちらに飛び移り、去りゆく人のことは簡単に忘れます。


 でも、少なくともこの10年余、教科書、拉致、靖国、朝銀信組、外国人参政権、人権擁護法案…と中川氏がどんな活動をし、党内外にどんな影響を及ぼしてきたか多少なりとも知る私は、決してそれを忘れてはいけないと感じています。


 政治は結果責任が問われる場であり、言い換えると一つ大きな失策を犯すとそれ以前の功績が吹き飛び、忘れられ、あるいは無視される場でもあります。逆にいうと、「終わりよければすべてよし」でそれまでの経緯が問われないこともあります。政治の新陳代謝、ダイナミズムのためにはそれも「あり」なのでしょうが、できれば違う視点も持ちたいといま、そんなことを考えています。


 もちろん、欠点もたくさん持っている人でしたが、そんなのは人間である以上当たり前なのだろうと思います。日本は大事な人を亡くしたと、本当に、本当にそう感じています。


 もはや、ご冥福をお祈りするしかありませんが。


産経新聞政治部首相官邸キャップ阿比留瑠比ブログ 国を憂い、われとわが身を甘やかすの記より
http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/1254689/


【評伝】中川昭一氏 保守伸長、シャイな推進役

2009-10-17 | 中川-英霊追悼-昭一
シャイな人だった。何より、繊細な人だった。衆院当選8回、農水相、経済産業相、財務相、自民党政調会長…と要職を歴任した大物政治家であるにもかかわらず、はにかんだ笑顔のよく似合う、子供のような純真さを持ち合わせていた。

 「おれは子供には『おれがいつか襲われて殺されても驚くな』と言い聞かせてあるんだ」

 中川昭一氏は拉致議連会長を務めていた当時、政治家としてのこんな覚悟を語っていた。だが、死はもっと皮肉な回り合わせであっけなく訪れた。56歳という若すぎる最期には、ただ言葉を失うしかない。

 「あの件さえなければ、今ごろ昭ちゃん(昭一氏)が自民党総裁だった」

 盟友の安倍晋三元首相は故人を悼む。「あの件」とは中川氏が財務・金融相時代の今年2月、先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)後の記者会見で「酩酊(めいてい)」したかのような姿を見せて、引責辞任したことを指す。

 この一度の失敗で、中川氏が長年積み上げてきた実績も名声もはかなく吹き飛んでしまった。先の衆院選で落選し、議席も失った。

 確かに中川氏は酒席で、ときにはめを外し深酒することもあった。それも、強すぎる感受性をまひさせたかったからだろうと思う。素顔は、少し人見知りのまじめな勉強家だった。

 平成9年、中学歴史教科書のすべてに慰安婦記述が載ったのをきっかけに、安倍氏らと自民党「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」を結成した。左派イデオロギー色満載だった教科書が是正されていく第一歩だった。

 14年には超党派の拉致議連会長に就任したほか、永住外国人への地方参政権付与や民間の言論抑圧につながる人権擁護法案に反対した。一方、靖国神社参拝を推進するなど、常に保守系議員活動の前面に立った。

今や保守系の諸運動は衰退期にあるようなありさまだ。その中で忘れられるか過小評価されているが、10年代の保守勢力の勃興(ぼっこう)と伸長は、中川氏が安倍氏らとともに推進役を担ったのは間違いない。

 一方で、現実を見据えたリアリストでもあった。20年6月、日中両国が東シナ海のガス田共同開発で合意した際には、表向き「日本のものを向こうにあげて資本参加するのでは互恵にならない」と厳しいコメントを発表した。だが、その裏では担当外交官らを集め「よくここまでこぎ着けたな」と慰労もしていた。

 対中強硬派と目されてきた自分が、仮に交渉結果を評価しても、甘い顔を見せると中国側に「日本側では、あの中川氏まで喜んでいる」というメッセージが伝わる。それは今後の交渉、駆け引きのハードルを上げ、足を引っ張ることと理解していたからだ。

 対中姿勢では、こんなことも語っていた。

 「中国批判はたやすいが、むしろ『誠意を持って話せば分かる』と言うばかりで行動しない日本側の方が問題だ。私が中国の政治家なら、やはり今の中国のようなやり方をする」

 本当に惜しい人が亡くなった。せめて自民党の中では、中川氏の志が受け継がれていくことを願ってやまない。(阿比留瑠比)

産経新聞 2009.10.5 09:54
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091005/stt0910050957009-n1.htm