雑木帖

 ─ メディアウオッチ他 ─

レバノンの空爆の恐怖

2006-11-04 18:32:08 | 政治/社会
 三年前、イラク戦争が開始されたときに、イラクから事前に撤退した大新聞・テレビの記者(記者本人が希望してもイラクへ行く許可は上からおりなかった)にかわり、零細企業メディアに属するジャーナリストたちが、凄まじい空爆の様子をビデオ映像(久保田弘信氏)電話(渡部陽一氏)で日本に伝えた。
 アジアプレス綿井健陽氏もそのイラクに行った一人だった。彼は今年8月30日にテレビ朝日の『報道ステーション』に出演し、今年7月のイスラエル軍空爆下のレバノンを取材したときの体験を語った。

 綿井氏はイラクのときより恐かったと感想をもらした。理由は、通常の空爆は戦闘機や巡航ミサイルが飛来する音が着弾する前に聞こえるが、レバノンでの空爆は何の前ブレもなく、突然爆発が起きる感じだという。そして、どこかから常に狙われているような恐怖があるのだという。
 これはレバノンでの空爆が主にアパッチという戦闘ヘリによって行われたことによるものらしい。


 (Googleの「Picasa2」によるコラージュ)

 04年5月6日、TBSがニュースで米軍で勤務していたフランス人整備士によって持ち出され告発された、イラクでのアパッチヘリによる攻撃の映像を流した。

再生 米軍ヘリ イラク人攻撃の瞬間 (TBS 2004/05/06) 5分6秒
  Windows Media Player 314Kbps  Real Player 256Kbps


 このニュースの3日ほど前、僕はネットで告発の話を知り検索をかけた。ペンタゴンのビデオはわりとあっさりと見つけることができた。それが次のものだ。

再生 Apache Kills in Iraq 3分33秒
  Windows Media Player 361Kbps  Real Player 256Kbps


 この元ビデオの映像は、編集後のニュースの映像より、ずっと照準が人間に合わされているさまがとても恐い。時間が実際以上に長く感じらる。
 レバノンでの恐怖の一端はこういうアパッチヘリの戦闘能力によるものだ。このイラクでの一幕は機関砲が使われているが、もちろんアパッチはミサイルも搭載でき、それがレバノンの空爆では使われているというわけだ。

綿井健陽のチクチクPRESS──誰か見てるぞ

…(略)…

「これだけ書いて、いったい誰が読んでいるんだろう…」

これまでイラクやレバノンの取材現場で、知り合いの新聞記者の人たちがそう嘆くのを何度も聞いたことがある。毎日必ず朝刊・夕刊の締め切りに追われ、たくさん現地発の原稿を書いたとしても、果たしてそれが新聞の読者にどれくらい読まれているのかがあまり実感できないからだろう。新聞の国際面に掲載される記事というのは「読まれている割合」でいけば、もともと低いから無理もない。

最近は僕も思う。「自分が書いた原稿、いったい誰が読んでいるんだろう」と。

なぜかこのブログに関しては、「ブログ読んでますよ」という人に結構会ったり、いくつか書き込みがあったり、直接僕のアドレスまで感想・意見・批判を寄せてくれる人がいる。ありがたいことだ。感謝、感謝。

しかし、正直このブログは暇なとき、空いた時間に書く程度なので、趣味でやっているような「告知板」のレベルだ。僕が本当に読んでほしい、見てほしいのは雑誌・新聞・テレビで発表する方だ。だからそちらを読ませる、見させるために、わざと雑誌の発売日やテレビの放送日の前には更新している。つまり「自社広告のためのタイアップ記事」に近い。

しかし今月号に書いた月刊誌の「論座」http://opendoors.asahi.com/data/detail/7583.shtmlや、8月号に書いた「世界」http://www.iwanami.co.jp/sekai/とかって、「誰が読んでいるんだろう」と思うときがある。

実売部数は確かなことは知らないが、恐らくそれぞれ2~3万部というところだろう。実際に買って読んでいる人はもっと少ないかもしれない。僕自身はこれまで「論座」「世界」には、この4年間ぐらいで合計合わせて7~8本ぐらいの原稿は書いただろうか。だが、これまで反響・感想らしいものが僕のところに届いたことはゼロとはいわないが、極めて少ない。そもそも「論座」「世界」は小さな書店やコンビニ・キオスクに置かれているわけではないから、「手に入らない」というケースも確かに多いだろう。ネット媒体は返信や感想の書き込みが簡単なので、雑誌や本とはその方法が違うとはいえ、それを差し引いてもやはり少ないと思う。

だが、これは何も月刊誌に限ったことではない。

先日、早稲田大学で学生向けに授業をやった。「年に一回だけ」の今年で3回目。「ノンフィクション講座」という10人ぐらいの先生(外部のジャーナリストやライターの人たちばかり)が交代で受け持つ講座だ。1~4年生まで合計150人ぐらいは教室にいる。「一般教養」の授業ではないので、それなりに「ノンフィクション」のことに少しは関心がある人たちだと思う。

ちょうどレバノンの映像リポートを「報道ステーション」(テレビ朝日)で放送した5日後ぐらいだったので、教室にいる人たちに「この中で先週、報道ステーションで放送した僕のレバノンのリポートを観た人はいますか?」と聞くと、150人中、手を上げた人はわずかに3人ぐらいだった。

「報道ステーション」の視聴率は毎日必ず10パーセントは超えているし、ときに15~20パーセントの間ぐらいのときもよくある。この視聴率を「どれぐらいの人が観ているのか」に換算すると、関東地区での視聴率1パーセントは、約17万世帯で、個人でいくと約40万人の人たちが観ているという「推定」になるというから、10パーセントと計算しても170万世帯。400万人の人が観ているという計算になる。 http://www.videor.co.jp/rating/wh/13.htm

しかし、そんな多くの人たちが観ているような実感がない。

教室で生徒が150人いたら、10パーセントの15人ぐらいは手を上げてもよさそうなものだが、いま特に10代後半~20代前半、大学生はテレビを観ない人が明らかに増えている。特に、夜10時・11時ごろのニュース番組を毎日観るような人は少なくなった。これは恐らくほかの大学でも同じだろう。

ちなみに、『「論座」「世界」に書いた僕の原稿を読んだ人はいますか』と聞きたかったが、絶対に一人もいない確信があったので(!)、恥ずかしくて聞けなかった。でも勇気を出して、「この中で映画「リトルバーズ」を観た人はいますか?」と聞いたところ、これもまた3人ぐらいだった。恐らく150人中の1人ぐらいは絶対にいてくれるだろうと僕は予想したが、もしゼロだったらその場で泣きたかった。

日本で400万人以上が毎日観ているとされる(これはあくまでも換算・推計の数字だが)テレビ番組「報道ステーション」のリポートと、これまでわずか4~5万人ぐらいの観客動員の映画を観た人の数が、ある150人のパイの中で同じ割合の3人ぐらいとは…。

今年7月には、やはり部数400万ぐらいの毎日新聞のオピニオン欄に、自衛隊撤退に関わる原稿を書かせてもらった。全国紙に書く機会などめったにないのだが、この原稿に関しては感想・反応が完全にゼロだったので、本当に泣きたいぐらい悲しかった。
…(略)…

 「SAPIO」2005.03.23号

 ”第4権力”の行動を監視する検証コラム CJR特約
 『メディアを裁く!』 第119回

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「コロンビア・ジャーナリズム・レビュー(CJR)」:
ジャーナリズムの本質を追求し、常にアメリカのメディアの最新動向を鋭くウオッチングする最も権威ある雑誌。この発行元は1912年にジョセフ・ピュリッツァーによって設立されたコロンビア大学ジャーナリズムスクール大学院である。
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 戦場カメラマンを悩ます「ポスト・ウォー・シンドローム」

 最近、「国境なき記者団」のパリ本部は、2004年に53人のジャーナリストが戦争取材で殺害されたと発表した。そのうち19人がイラクでの死者で、最も多い。このような危険を冒して取材活動から帰国したジャーナリストにとって深刻な問題となってきたのが、心の病である。彼らは、週末たった一人で家にふさぎこむ。意識がなくなるまで一人で酒を飲む。ひどい不眠症にかかるなどの症状を見せる。
 今回のCJRは、実際に戦争取材で恐怖症を経験し、コロンビア・ジャーナリズム・スクールで「戦争報道コース」を教えるジュディス・マットロフ女史のレポートである。

     *     *

 フリーランス・フォトグラファーであるグレッグ・マリノビッチ氏は、1990年代、内紛に明け暮れるアフリカ各地を取材した。銃で撃ち殺された人々、メッタ斬りにされて殺された人々の写真を撮り続けた。AP通信によって配信されたマリノビッチ氏の写真は、見事ピュリッツァー賞を受賞した。しかし彼自身はとても受賞を喜ぶ気分になれなかった。
 殺された男は、まず5人の暴徒に汽車から引き摺り降ろされ、殴られ、石で打たれ、頭をナイフで刺され、そして、ガソリンをぶっ掛けられ、焼き殺された。「ショックだった。嫌悪した。恐怖だった。自分はこの犠牲者を救えなかった。この写真を撮り、賞をもらい、褒美の金をもらった。しかし、やがて強い罪悪感にさいなまれるようになった」とマリノビッチ氏は語る。
 その後、同氏は胸に銃弾を受けたが、命だけは何とか助かった。やがて仕事に復帰した。しかし、マリノビッチ氏の親友のジャーナリストは銃弾に倒れ、さらに2人の同僚が自殺した。マリノビッチ氏は、同僚のジャーナリストがそうしたように精神的苦痛から逃れるため麻薬やアルコールに走ることだけはしなかったが、しかし、ひどい欝病に陥ってしまった。そして、友達も失った。
 第1次湾岸戦争後、クルド人の反乱が起こった当時、CBSテレビのフランク・スミス氏は、この反乱を現地取材していて、戦闘に巻き込まれた。彼は17時間にわたり溝の中に隠れていたのだが、その間にイラク兵に見つかった同僚が処刑される音を聞いた。スミス氏も結局は捕まってしましい、アブグライブ刑務所にぶち込まれた。スミス氏の檻からは、電気ショックの拷問や、板切れでぶたれる虐待を受ける囚人達が見えた。いまでもスミス氏の脳裏に焼きついているのは、ゴムのホースで滅多打ちにされ、犬のように泣き叫ぶ幼い少年であった。「それでもその少年の泣く声は途絶えなかった」と同氏は語る。
 スミス氏は、やっと出獄できたが、悪夢で眠れなくなっていた。「毎晩が怪奇映画を見ているようなものだった」と語る。心の病に陥り、カウンセリングを受けた。そして針治療まで受けて、やっと悪夢を見なくなった。
「アメリカ精神療法ジャーナル」誌の調査では、フォトグラファーは、戦争取材で最も心の病にかかり易いという。何故なら、彼らはより被写体に近づかねばならず、犠牲者を助けようとする人間の本能を捨てざるを得なくなるからである。
「フォトグラファーは、恐ろしいイメージが断片的に脳に蓄積され、それが突然現われてくる。一方、ライターは取材した事実を起承転結をつけて整理して書くので、突如忌まわしい記憶が襲ってくるようなことは少ない」と元BBC記者の精神科医マーク・ブレイン氏は語る。
 専門家は、ジャーナリストの精神的外傷は、暴力、殺戮が唐突に起こる場所、人々がそれらを予期できず、備えることができないところが最も悪いという。今のイラクがまさにそうだ。爆弾はあちこちで容赦なく爆発し、人々を殺している。しかもイラクに送られている記者の多くは、これまで戦争取材を経験したことがない。
 シカゴトリビューン紙で長年中近東を取材したスティーブ・フランクリン氏は、「バグダッドの外国人記者達は、安全という悪魔に取りつかれている。彼らは常にトランシーバーを持ち歩き、住む家を土嚢で固めなければならない。しかし、本国のボスには、『危なくて、家から取材に出られない』などとはいえない」と語る。本国のエディターは、バグダッドで孤立している特派員達に精神的サポートを与えていないのである。
 報道機関は、戦争取材から帰国した記者に十分な注意を払わなければならない。まず、そのような記者は帰国後、強い孤独感に襲われる。そして彼らは、自分と同じ経験をしてきた同僚としか付き合わなくなる。彼らの袖を引っぱり、必死に食べ物を求めてきたイラクの子供達の手を振り払って帰国した罪悪感を、どうやって何も知らない同僚に理解してもらえるか、わからないからである。
 昨年、BBCは対処法を安全トレーニングプログラムに組み込むようにした。監督者は、戦争取材を終えた帰国記者に対する対処法を教えられている。ロイター通信も同じようなプログラムを持ち、マネージャートレーニングや電話による対処も行なっている。CNNは、記者達に対するトレーニングを他社に先駆けて行なっている。また、希望者にはプライベートなカウンセリングも行なっている。


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