雑木帖

 ─ メディアウオッチ他 ─

5つの見解

2006-02-21 21:56:47 | 政治/社会
 次の5つの見解を、順番に日本の現況を表す5段階の分布図とした場合、多くの庶民の実感はどのあたりに位置するのだろうか。

 A 大新聞の社説など
 B 民主主義はたぶん”空気”じゃない(雑観練習帳)
 C 調査報道と分析能力を失えば新聞はネットに完敗する(コロンビア・ジャーナリズム・レビュー)
 D 国やマスコミよりも信じられるもの・・・(らんきーブログ)
 E 書く気力が萎えてきた(「メディアを創る」天木直人)

 Aは具体的な例は挙げなかったが、大新聞の、いかにも”満足の文化(ジョン・ケネス・ガルブレイス)”な人々、快適な環境のなかで書かれた、緊張感のない、ただ言うだけの諸々の社説など、と考えていただきたいと思う。
 また、Cは日本ではなく、アメリカにおける記者の見解だが、日本にも十分あてはまるものと思われるのでなかに加えた。
 ちなみに、Bの筆者は新聞記者であり、おそらく日本の記者のなかでは良いほうの部類に入る人ではないかと思う。

 僕の場合、大新聞・テレビの記事や報道ばかりに接していると、知らず知らずのうちに現実感の希薄化がおこる。そういう時ノーム・チョムスキー氏の論評などでハッと目が覚めたりすることもある。
『人間を幸福にしない、日本というシステム』という著作でカレル・ヴァン・ウォルフレン氏は、新聞・テレビなどのマスメディアは、「偽りの現実」を市民にうえつけるのに手を貸していると書いている。僕もまったくその通りだと思わざるをえない。
 政府の審議会なるものを例にとれば、ウォルフレン氏はおおよそ次のようなものだと言う。
 審議会は、日本の統治システムをより民主的にする制度だという偽装が施されている。国民の代表によって構成されているとされるが、内実は官僚に従える召使によって構成されており、その召使たちは審議会を設置した官僚の意向に沿って結論を出さなければならないことをよく心得ている。その官僚の意向──審議結果は関係省庁によって事前に用意されている。ただし、ごくわずかな変更の余地は残され、審議会のメンバーが手繰り人形に見えるのを防いでいる。…
「権力が偽りの現実によって栄え、嘘と幻想によって維持されている」(ウォルフレン)。その手助けさえしているのが、大新聞・テレビだというわけだ。

 僕の感じでは、多くの人の世の中に対する実感はCとDの間くらいではないだろうかと思う。また、現在の日本の状況を一番よくあらわしていると思えるのは、DとEの間くらいだろうか。

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2 コメント

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はじめまして (ぶいっちゃん)
2006-02-23 22:57:26
こんな素晴らしい記事に取り上げてくださり有難うございます。らんきーブログのぶいっちゃんと申します。ネット社会では確かにおっしゃる通りだと思います。ただネット人口(こういった問題に関心がある)もまだまだ少数派のようですので現実社会ではネットをしない人はAが多いのでしょうね。早く情報の均等化が進むといいと思います。

お詫びですがTBを違う記事でしてしまいました。

申し訳ありませんでした。

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こちらこそはじめまして (c-flows@管理人)
2006-02-24 23:12:50
「らんきーブログ」さんの記事を読み、久し振りに鋭敏な感覚の一節に出会ったという感想をもちました。



TBの件は別にいいと思います。

それより、今「TB」の意味を考え中でもあり、文中で「らんきーブログ」さんの記事を使っているにもかかわらず、TBをしていないことをどうかお許し下さい。



新聞記者氏というのは僕から見れば意外ですが、「特ダネ記事」を書くことにことのほか重きをおいているという気がします。それは出世にも大きくからむからでもあるようです。

でも、読者が望んでいるのは、まず日々の記事での誠実さ、取材のプロとしての分析ではないだろうかと思ったりします。

政官財の記者クラブでの発表をそのまま記事にするのではなく、その背景や意味合いなどの分析、また危惧のようなものがあればそれにも言及するなど、日々のルーチンワークのなかでのそういう良い記事を望んでいるのだと思います。

逆に言うと、普段の記事でそういうことができていないのに(できている人はほとんどいないというのが新聞・テレビの現状です。そしてこれは記者の能力云々以前の、新聞・テレビにおける構造的な問題なのです)、特ダネなんかねらってどうするんだろうか、と素朴に疑問に思います。

「社説」や「論説」などより先に、こちらのほうをまず解決してほしいと僕などは考えてしまいます。



もう一つ意外に思うのは、現役の記者に、自分は伝えるべきことを伝えていない、という自覚を持っていない人もいるようだということです。

僕は立花隆著の『アメリカジャーナリズム報告』を中学のメディアリテラシーの授業で将来のためにやってほしいと考えているのですが、もしかしたら、メディアリテラシーとは別の意味で、この本は必要になっているのか?とも思ってしまいます。

もう既にジャーナリズムとは本来どうあるべきか、という哲学すらももっていない人々が記者などになっている時代なのだろうか、と。

アメリカのジャーナリズムに僕は幻想を抱いているのではありません。しかし、ジャーナリズムとはこうあるべきだ、との哲学、理念のようなものは、そこに書かれているのです。

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