雑木帖

 ─ メディアウオッチ他 ─

ネットとマスメディア

2005-12-29 12:51:41 | メディア
 今年4月1日のエイプリルフールの日、アメリカの科学を危ぶむ人々が、「分かった、われわれはもうあきらめます」と題したブラック・ユーモア、アイロニーにみちた一文を発表したことを『メディア危機』(金子勝、アンドリュー・デウィット共著)が紹介している。
 アメリカでは現在、進化論を学校で教えることがとてもむずかしく(聖書の「天地創造説」、もしくは「ID論」──知的な設計者が介在しているという論。「天地創造説」の公教育が1987年に最高裁の判決で違憲となったため新たに登場したもので、その”知的な設計者”を神とすれば、「天地創造説」ということになる──を教えるべきとの趨勢が前にもまして強くなっている。現大統領のブッシュ氏もその勢力の一員)、教師の3分の2が何らかの圧力を経験しているなどの事実を受けてのものである。
 良質なジャーナリズムは、何よりバランスを重視するものである。われわれ(メディア)は、読者に対して、全てのアイディアを公平に提示し、科学的に信用に足る議諭や事実が欠けているという理由だけで一部の理論を無視したり、疑ったりしないという責任がある。あるいはわれわれメディアは、科学者たちが専門分野を、たとえば上院議員や流行作家よりもよく理解しているなどと考える単純なミスをおかしては、読者に申し訳ないのだ。もし政治家や利害団体が嘘や誤解を招くようなことを言っても、ジャーナリストとしてのわれわれの責務はもちろん、彼らの言葉をコメントや反論をつけずに引用することである。これ以外のことをすれば、それはエリート主義であり、したがって誤りである。
 僕はこれを読んだ時に日本の大新聞・テレビのことそのままであるように思った。この僕の感想はアイロニーでもなんでもない。
 日本の新聞の記事は8割が官庁などの記者クラブ発の発表モノであり、それはインテリジェンスならぬ批判抜きの単なるインフォメーション、ジャーナリズムならぬ単なるメッセンジャー・ボーイの記事なのだが、アメリカでは「神(かみ)」、こちらでは「お上(かみ)」であることが偶然とはいえ興味深いのではないかと思ったりもする。

 僕はマスメディアをいろいろ批判しているが、不要なものだとは勿論思わない。現実の問題として、新規参入が今の制度や業界のしがらみなど諸々の理由からむずかしいことなどを考えれば、新規参入を可能なようにするために制度などを改善するか、あるいは今の報道の現場が立ち直るしかないと思っている。”マスメディアの規模と機能の全容に迫ることなく、単に記者や情報消費者個人の「良心」に期待をつなぐような半端なメディア論がいまなお横行しているけれども、現実のメディア状況に手もなく裏切られ、蹴散らされいるだけである。良心や善意は、巨大システムのなかに容易に溶けていくのである。エンツェンスベルガーのいう「子供だまし」の議論は依然、果てることなくつづいている”(『不安の世紀から』辺見庸著)といえどもである。

 しかし、そのためにはまず今のマスメディアの状態を知らなければならない。でなければ、どのようにすべきかも議論さえできない。ちょうど、26日のエントリーの「ゆとり」教育の件で言ったように、基礎事実をふまえない議論はバーチャルなものであり、どんなに意志や情熱をかたむけ、知恵を出しあおうとも、多分現実を変えることはできない。
 言うまでもなく、この基礎事実の知識というのは、このマスメディアの問題だけでなく、人がものを考えるとき、問題の解決をするときには必要なものである。ところが、その世の中の基礎事実の伝達という役目を担っているのが、マスメディアであり、そのマスメディアの多くが(とくに大新聞・テレビ)現在その役を放棄しているかのような状況は世の中にとって非常に危ないのである。
 ネットがあるではないか、という意見もあるかもしれない。けれどネットで語られる世の中の問題は、その多くがマスメディアの報道をもとにしたもの、もしくはそれをきっかけとして提出されるもので、そうでないものはネットでもひろまらないようだ。
 これは世の中のほとんどの第一次情報をマスメディアにたよらなければならない現状からは致し方の無い面もたしかにある(他に社会心理学的な要素もあると思うが、これについては次の機会にゆずりたい)。たとえば、ある問題の当事者、あるいはその関係者、またその件に詳しい人などが、ネットでその現実や問題点などを公にしてくれれば(第一次情報の提供)、世の中はマスメディアに第一次情報報をたよる必要はなくなる。しかし、現実にはそれは結構むずかしい。
 まず、当事者や関係者がネットでそういうことができる環境があるかどうかだが、法律的にも、また時間制約的にも、むずかしいと思わざるをえない。仮に、それらが可能である場合でも、その事実の公表を多くの人に知ってもらう術もむずかしい。いったい誰がネットでそれを他の多くの人に伝えられるだろうか。また、その世の中にとっての重要さを認識させてくれるだろうか。
 世の中の問題の議題設定機能はこのようにネットを多くの人が利用するようになった今でも、マスメディアのほうにまだある。
「多くの人々にとって、メディアに取り上げられない事象は、存在していないことと同じである。現実にわれわれが見聞きできるもの、逆にわれわれが見聞きできないものも含め、すべては、マスコミの世界をコントロールする者たちによって決定されているのだ」(『創られる現実~ニュース・メディアの政治』マイケル・パレンティ著)
 こういう現実の一面はまだあまり変わっていないのではないかというのが僕の認識だ。

参考:
 ギャラップ社の調査によれば、アメリカ人で聖書の「創世記論」を信じている人は48%で、ダーウィンの「進化論」を信じている人は28%。アメリカでは未だに学校の教科書に「進化論」を含めるかどうかが問題になっている。
 ニューヨーク・タイムズの一面に載った全国世論調査では、公立学校で人類の起源として聖書の『アダムとイブ』の天地創造説を教えるべきだという人が79%にのぼった。とはいえ、進化論も教えるべきだも8割いて、結局68%の人は、「進化論も創世記論も信じられる。神の導きで人間に進化した」に。ただし、30%の人は「天地創造も"科学理論"として教えるべき」で、「進化論だけ教えて天地創造には触れない」も20%いる。(ギャラップ社の調査は3年ほど前、ニューヨーク・タイムズの記事は2000年3月のもの)

アメリカ:進化論裁判 2005年05月06日 media@francophonie
http://blog.livedoor.jp/media_francophonie/archives/21055665.html


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2 コメント

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こんばんは (高田昌幸)
2005-12-29 17:08:31
はじめまして。高田と言います。このエントリ、非常に参考になりました。こちらからも、関係のありそうな記事をトラックバックさせてもらいました。
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はじめまして (c-flows)
2005-12-29 21:51:25
コメントとトラックバックをありがとうございます。

ブログ記事を拝見させていただきました。とても勉強になります。

「自由記者クラブ」が実現し発展すれば、本当に正しい行為をおこなって不遇に処される記者(新聞社やテレビ局、雑誌社、フリーランスなど全ての記者)の保護団体の役目も果たしそうです。そういう機能が今のメディア界にはないので(一般の業界企業でも同じですが)、そういうものができればよいとも思いました。

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