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「酒が入ると女性の胸の中に手を入れる癖があった」と暴露された神崎武法・公明党代表

2005-12-03 00:00:05 | 記事・創価学会
 「酒が入ると女性の胸の中に手を入れる癖があった」と暴露された神崎武法・公明党代表が
 平野貞夫氏と講談社を名誉毀損罪で刑事告訴

 2005年7月

 公明党代表の神崎武法氏は、「公明党・創価学会の真実」を書いた平野貞夫氏と、週刊現代に記事を載せた講談社に対し、名誉毀損罪で東京地検に刑事告訴した。

 神崎武法氏が向島の天ぷら屋で、コンパニオンの女性に、≪周囲の議員たちも皆、呆気にとられて神崎氏の”暴挙”を見ていました≫(週刊現代)というひどいセクハラ行為をした記述などに対してだ。

≪酒を飲むと人格が変わる人がときどきいるが、一人困った議員がいた。現公明党代表神崎武法氏である。実は、酒が入ると女性の胸の中に手を入れる癖があったのだ。私は、抵抗する女性を押し倒してまで胸に手を入れるシーンを見たこともあった。目撃者は他にもいる。しかも、全員のいる席でのことである。私には、とても信仰を持つ人間がすることとは思えなかった≫(『公明党・創価学会の真実』平野貞夫著 講談社 2005年06月25日刊)

 だが、公明党・創価学会がメディアやジャーナリストに対し訴訟を乱発し、一方では立法府に陣取る創価学会の出先機関である公明党が、名誉棄損の賠償額の高額化や、メディアやインターネット規制の『個人情報保護法』などの制定を自ら主導し進めてきたことは、著者の平野氏は先刻ご承知であり虚偽など書くわけもない。

 ちなみに、『公明党・創価学会と日本』平野貞夫著(講談社 2005年06月27日刊)の”マドリッドで娼婦を買った職員は”には次のような一節がある。

≪昭和五〇年代後半、山村新治郎議運委員長一行と、南米に旅行したときのことである。ブラジルのサンパウロで、議員団一同、羽根を伸ばしたが、偶然にも私の幼馴染みが現地の有名タレントで、彼が一部の議員に、女性を紹介してくれたのだ。翌朝、公明党の議運理事から、「糖尿病のせいで役に立たなかったが、一〇年ぶりの感激だった」と、手を握らんばかりに感謝されてしまった≫

 この公明党の議運理事というのは、国会の議員会館で女性を襲い、裁判でも有罪となった次の公明党議員ではなかろうか。

創価学会は犯罪者集団だ!!
http://www.toride.org/81/crime.htm

 …(略)…
 また、池田大作の色欲道の弟子として出色なのは、片上公人・元参議院議員です。平成七年二月二十日、当時参議院議員だった片上氏は、議員会館の部屋で、秘書の大崎優子さんに「肩を揉んでほしい」と言って近づき、いきなり抱きついてキスをしたあと、ソファーベッドに押し倒しました。

 片上氏は、大崎さんの顔をなめ回した上、スカートの中に手を突っ込み、セーターをまくり上げて乳首に噛みつくなどしながら、「いまは糖尿病だからワシはできんが、一年後には治すから、その時は寝てくれ」と迫ったのです。大崎さんは、同年十一月、東京地方裁判所に提訴し、強制ワイセツにより被害を受けたとして、八百万円の損害賠償を請求しました。その結果、一審、二審、そして最高裁と、大崎さんの言い分が認められ、片上氏の破廉恥行為が事実であったと認定されました。
 …(略)…

 この有罪議員も当初は事実無根と称していた。
 以下は神崎武法・公明党代表が名誉毀損で刑事告訴した『公明党・創価学会の真実』平野貞夫著と、『神崎武法「向島醜聞」告発の行方 前参議院議員・平野貞夫氏が問うた「女性の人権尊重を唱える」党トップの言動』週刊現代 2005.07.09号のくだんの内容の全文。

 『公明党・創価学会の真実』平野貞夫著(講談社 2005年06月25日刊)より

 酒が入ると女性の胸の中に手を入れる癖

 政治改革を断行して、新しい日本を創るため結成された新進党は、党内融合のためいろいろ工夫をこらしたが、一人、酒の席で手を焼いた政治家がいた。
 話は前後するが、細川首相は、非自民連立内閣を発足させると同時に、閣議で政府閣僚の会食について、「料亭での宴会を禁止する」「会食費は可能な限り圧縮する」等を指示した。非自民連立政権に参加した政党会派も、この方針に従うことになり、与党関係の会食はほとんどホテルで行われるようになった。このため、料亭街は火が消えたようになってしまった。
 しかし、八党派による運立政権であり、気心が知れないというか、文化の違いというか、腹を割った話がやりにくいということで、少し色気もあり寛げる場所を探せと、私に指示があった。そこで、私が役人時代、自宅に帰る途中ときどき立ち寄っていた、水戸街道際の「花月」という天婦羅屋の主人に相談した。
 この場所は「向島」の料亭街の入口に当たるところで、お茶を引いたお姉さんたちが立寄るところでもあった。「花月」の主人は、五~六人の会食で、向島のお姉さんの花代も入れて、一人二万円程度で賄おうといってくれた。ホテルのレストランの洋食より、はるかに安い。しかも、関東大震災前に建築した日本家屋で、相当に古家だが、それなりに風情があり、料亭と同じような雰囲気があった。
 非自民連立政権が倒れて、新進党が結成された後も、役員クラスの慰労会などに使った。それぞれの議員が羽根を伸ばし、米沢隆さんなどはカラオケが大好きで、マイクを持ったら放さなかった。
 酒を飲むと人格が変わる人がときどきいるが、一人困った議員がいた。現公明党代表神崎武法氏である。実は、酒が入ると女性の胸の中に手を入れる癖があったのだ。私は、抵抗する女性を押し倒してまで胸に手を入れようとするシーンを見たこともあった。目撃者はほかにもいる。しかも、全員のいる席でのことである。私には、とても信仰を持つ人間がすることとは思えなかった。
 お姉さんたちが一番嫌がるのは、男の汗のついた手で、着物、特に襟元をさわられることだ。洗濯しても落ちにくいからである。これは紳士の常識だ。
 あまりにもひどいので、権藤さんに注意してほしいと頼んだことがある。権藤さんは「悪い癖があるんだよ。酒を飲むと人が変わることで有名なんだ。ストレスを溜めているのだろう。学会からいろんなことをいわれているからさ。そのままにしておいてやれ」といっていた。
 現在の自公連立政権の与党公明党代表として、強大な権力を持ち続ける神崎さんは、料亭での宴会の機会も多いと思う。悪い癖は治っているのだろうか。
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「週刊現代」2005.07.09号

 神崎武法「向島醜聞」告発の行方
 前参議院議員・平野貞夫氏が問うた「女性の人権尊重を唱える」党トップの言動


 公明党・創価学会の奥の奥まで知る男・平野貞夫氏が、45年間の見聞のすべてを2冊の本でぶちまけた。この恐るべき「裏面史」を、神崎武法代表は、どう受けとめるのか──。


 戦後、「民衆の救済」を掲げて活動してきた創価学会の信者たちは、昭和39年('64年)に「世界の平和」を基本理念とした公明党を結成しました。その後、公明党・創価学会は常に一般庶民の目線に立って活動してきました。
 私はこれまで衆議院事務局で33年間、参議院議員として12年間働いてきたなかで、公明党・創価学会と深くつきあってきました。彼らの真摯な姿を見てきたからこそ、国会職員や別の政党の議員としての立場を超えて、協力を惜しまなかったのです。
 ところが、いまの公明党・創価学会は小泉政権と談合して、基本理念とは正反対の政治を進めるまでに堕落してしまいました。その事例は、枚挙にいとまがありません。内政で言えば郵政民営化や所得税の定率減税廃止しかり、外交で言えば自衛隊のイラク派遣しかりです。その先にあるものは、国民の健全な意思を踏みにじるファシズムだど思うのです。

 山拓の「学会と異体同心発言」

     ◇     ◇
■平野貞夫1935年、高知県生まれ。法政大学大学院修了後、衆議院事務局に就職。衆議院副議長秘書、議長秘書、委員部長などを経て、'92年に自民党と公明党の推薦を受けて参院選に初当選した。以来、小沢一郎現民主党副代表の腹心として'93年に新生党、'94年に新進党、'98年に自由党の結党に参加。'03年には民主党に合流し、参議院財政金融委員長に就任、昨年政界を引退した。
 長年にわたって「裏の国対委員長」の異名を取り、公明党の裏事情にも精通。このほど『公明党・創価学会の真実』『公明党・創価学会と日本』(いずれも講談社刊)を同時に出版した。
     ◇     ◇

 私は'92年に高知県選挙区から参院選に出馬した際、与党・自民党と野党・公明党から推薦をもらった唯一の候補者でした。いまでこそ選挙で自民党公認の候補者が「小選挙区は私に、比例区は公明党に入れてください」などと言っていますが、当時は極めて異例のことでした。だから当選確実が出たときの第一声の挨拶で私は、「創価学会の皆さんのおかげです」とお礼を述べたのです。
 しかし、最近の自民・公明連立政権を見ていると、激しい憤りを禁じえません。
 たとえば、4月24日に行われた衆議院福岡2区の補欠選挙では、前回'03年11月の総選挙で落選した山崎拓首相補佐官(当時)が返り咲きを果たしましたが、翌日の朝日新聞は次のように伝えました。
<山崎氏も必死だった。(4月)10日夜、公明党地区責任者らを前に、かつての創価学会批判をわびた。「皆さんとは一心同体ならぬ異体同心の思いです」。前回衆院選の落選は、自身の女性スキャンダルで学会票が逃げたことが一因と言われてきた>
 かつて徳川幕府はキリスト教徒を弾圧するため、「踏み絵」を行いました。平成の今日、公明党・創価学会は、小泉首相の無二の盟友として知られ、当時首相補佐官という権力の中枢にいた山崎氏に「かつての創価学会批判をわび」させ、「皆さんとは異体同心の思いです」との言質を取ったのです。これは、創価学会という宗教団体が、首相補佐官という国家権力者に対して思想信条のいわば「逆踏み絵」を行ったものに他なりません。創価学会と「同心」となった政治家が総理官邸の中枢に送り込まれたわけで、まさに中世の暗黒時代を想起させます。

 「向島の天ぷら屋で」

 山崎氏の場合、女性スキャンダルが原因で創価学会票が逃げたとのことですが、公明党の幹部たちも女性スキャンダルには事欠きません。それは、私が長年にわたってつけていた日々のメモをひもとくと、一目瞭然です。
 たとえば、竹下政権下で大型間接税(消費税)の導入をめぐって国会が紛糾していた昭和62年('87年)、私は公明党の大久保直彦書記長ら執行部から、よく意見を求められました。
 大久保書記長はじめ、当時の公明党執行部が会合場所に指定してくるのは、新宿の韓国料理店・銀竜閣でした。銀竜閣では留学という名目で韓国人美女たちを集め、とかく過激なサービスを行っていました。当時の公明党執行部は銀竜閣が大のお気に入りだったのです。
 また、昭和48年('73年)9月に超党派の議員団がヨーロッパ5力国を歴訪し、私も同行しました。このときも、当時の公明党議員は自民党、社会党の議員とともに、マドリッドで買春行為に耽っていました。
 いまをときめく神崎武法代表の女癖の悪さに、辞易したこともありました。
 平成5年('93年)に自民党長期政権が崩壊し、非自民の細川護煕連立政権が発足しました。細川首相は自民党の料亭政治との決別を宣言し、わざわざ閣議で「料亭での宴会を禁止する」と指示したほどでした。
 しかし、なにせ8党派による連立政権のため、互いに気心が知れないところがあります。お互いが打ち解けて話し合う場が必要となったのです。そこで連立政権の幹部たちは私に、「色気があって、こっそりくつろいで話せる場所を探してくれないか」と頼んできました。
 私は衆議院事務局時代に、たびたび立ち寄っていた天ぷら屋Kの主人に頼みました。Kは向島料亭街の入り口に位置し、料亭街の女性たちが立ち寄る場所でもありました。関東大震災前に建築した日本家屋のため、料亭に負けないくらいの風情があります。しかも、主人が花代も入れて一人2万円程度で2階の広い座敷を開放してくれるとのことでした。
 こうしてKはいつしか細川政権幹部と、その後の新進党幹部たちの密か恋ドンチャン騒ぎの会合場所となりました。そんな席に神崎氏も姿を見せたのです。
 神崎氏といえば東大卒で司法試験に合格し、検事出身という公明党きってのエリートです。重要な会議の場などでも、決して自分の意見を言わない無口な人でした。いつもメモばかりしていて、会議が終わるとすぐに創価学会の幹部に報告を入れます。新進党の総務会長に就任したときも、真っ先に要求したのは専用の電話回線と電話ボックスを設けることでした。

 神崎氏は「セクハラはない」と

 そんな生真面目なイメージの神崎氏の人格が豹変したのは、宴会が始まってしばらくたってからのことでした。詳細は拙著『公明党・創価学会の真実』に書きましたが、神崎氏が、横に侍らせたコンパニオン女性に対して、目に余るセクハラ行為に及んだのです。
 多少の猥談をするとかいう程度なら理解もできますが、これは少々違いました。それまで政治談義に耽ったりカラオケに興じたりしていた周囲の議員たちも皆、呆気にとられて神崎氏の”暴挙”を見ていました。私には、信仰を持ち、「私達が志向するのは人権が最大に尊重される男女共同参画社会」(公明党新宣言)と唱える政党の幹部がする行為とは、とても思えませんでした。
 料亭に出入りする芸者やコンパニオンたちが一番嫌がるのは、男のべとついた手で着物、特に襟元を触られることです。一度、着物に男の汗がつくと、洗濯しても落ちにくいからです。だから着物の襟元に触らないのは、料亭遊びのイロハです。
 ところが神崎氏にかかると、コンパニオンの女性は単なるストレスのハケ口にしか映らないようでした。神崎氏の行為に我慢ならなくなって、私は、神崎氏の後見人とも言える権藤恒夫公明党副委員長に注意してくれるよう頼みました。すると、権藤氏は次のように答えたのです。
「神崎には悪い癖があるんだよ。酒を飲むと人が変わることで有名なんだ。きっとストレスを溜めているんだろう。学会からいろんなことを言われているからね。しばらくはそのままにしておいてやったらどうか」
 現在、自公連立政権の与党・公明党代表として絶大な権力を持つ神崎氏は、料亭での宴席の機会も多いことでしょう。あのころの女癖が治っていることを祈るばかりです。
 神崎代表とは今年5月20日、衆議院第一議員会館地下2階のエレベータ前で、数年ぶりに出くわしました。神崎代表が私を呼び止め、「最近あなたはウチを強く批判している」と厳しい調子で迫ってきたのです。私は「批判すべきことがあれば、これからも厳しく批判するよ」と答えて、別れました。

 Kでの宴席にしばしば参加していた山岡賢次代議士(民主党)は、次のように語る。
「確かに新進党が発足したころは、平野氏が幹事役になって、よく宴会をやっていました。神崎氏も何度か顔を見せたことがあったかと思います。神崎氏だったかは記憶が定かでありませんが、女性にセクハラ行為を行っていた議員もいたのは覚えています」
 一方、Kの主人と夫人も、神崎氏の参加を認めて言う。
「当時は幹事役の平野さんをはじめ、毎回10名程度の政治家の方がいらっしゃいました。3~4人のカモメ(女性コンパニオン)とギター二人のバンドを呼んで、2階を貸し切りにして楽しんでおられました。(神崎代表の写真を見せると)この方も確かに見た覚えがあります」
 これに対して、公明党広報部を通して神崎代表に、「平野氏が著書で暴露した、天ぷら屋Kでのセクハラの記述は事実なのか」聞いてみた。すると、「ご質問の点に関する記述を見た。全くの事実無根であり怒りを禁じえない。直ちに刑事告訴する」とのことだった。念のため創価学会にも同様の問い合わせをしたところ、「こちらがコメントする類のものではないと判断します」とのことだった。
 神崎氏の主張する「全くの事実無根」とは、「コンパニオンにセクハラを働いた」ことを指すのか、それとも「天ぷら屋Kに出入りしていた」ことを指すのか。改めて公明党広報部に問い合わせると、次のような回答だった。
「常識的に考えて、天ぷら屋に出入りすることが問題とは思えません。当然ながら、『セクハラ行為』が事実無根であり、怒りを禁じえない対象であると判断します」

 波紋を呼ぶ”爆弾本”

 公明党事情に詳しい政治評論家の浅川博忠氏にも、意見を聞いてみた。
「神崎代表は検事出身の、いわゆる”ヤメ検”で、女性問題を普段から警戒する公明党にあっても、特に身辺が用心深いことで知られています。昨年秋に『代表交代説』が囁かれましたが、結局生き残ったのは、女性支持層に潔癖さが評価されたことが一因としてあったと言われるほどです。よほど酪酊していれば別でしょうが、神崎代表が女性にセクハラ行為というのは、にわかには信じがたいことではあります」
 公明党に「刑事告訴する」と言わしめる本を出した平野氏は、次のように語った。
「私は実際目撃したのだから、神崎氏の行為については事実です。2冊の著書を通じて私が訴えたかったのは、基本理念から遠く離れたいまの公明党に目覚めてほしいということです。そこのところを理解してほしいと思います」
 平野氏の著書には他にも、暴力団と公明党との関係や、創価学会の池田大作名誉会長と秋谷栄之助会長の微妙な関係などについても記述している。この2冊の”爆弾本”が波紋を坪ぶのは必至である。


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