雑木帖

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鈴木宗男の選挙

2005-12-18 10:51:57 | 階層化社会・新自由主義
 朝日新聞は4年前の2001年8月2日に次のような記事を書いた。

 「構造改革は一種のお経」山崎自民党幹事長が本音

 自民党の山崎拓幹事長は2日、宮城県蔵王町で開かれた連合主催のセミナーで、KSD事件などのスキャンダルが過去の話になって参院選に好都合だった、との見方を示した。小泉政権の看板である構造改革についても「一種のお経」と表現するなど、言いたい放題。自民党のおごりが早くも表面化した形だ。

 山崎氏は参院選大勝について「一連のスキャンダル、極め付きはKSD事件だが、そういうものを背負って選挙をやれば大敗を喫したのは必定だ」と指摘。小泉首相を生んだ4月の総裁選がテレビのワイドショーで大きく取り上げられたことで「いつの間にか、スキャンダルは過去の話に押し流された。非常に好都合だった」と述べた。

 さらに、構造改革について「国民全般に、何かと聞いて答えられる人は1人もいない。一種のお経みたいに『構造改革、構造改革』と言っていれば人気が上がる」。山崎氏は自分自身のことを冗談めかして「謙虚さを忘れたような態度。『のど元過ぎれば熱さ忘れる』という感じだ」とも評した。
「国民全般に、(”構造改革”を)何かと聞いて答えられる人は1人もいない」と国の指導者がとんでもない無責任極まりないことを言っているのだから、その本人に「では今小泉政権が進めている”構造改革”とは何なのですか?国民にもわかるように説明してください」と記者が追及しその受け答えを記事にするか、状況としてそれが出来なければ識者に問うて書くか、あるいは記者が自分の思う”小泉構造改革”を参考までに書くかするのが本来の新聞社の役目の一つなのではないのだろうか。
 ”小泉構造改革”とは何なのか、という解析をおこなった新聞・テレビはずっと皆無のようで、その証拠に、未だに「”小泉構造改革”とは何か」と聞かれて答えられる人はあまりいないのではないかと思われる。
 しかし、たとえば司法の現場では早くから以下にあるような認識があり、それは全司法労働組合のホームページで「職場から 司法改革論議を」と謳い、端的にわかりやすく説明されていた。(現在その2001年に公表されたページは消失しているため、保存しておいたものから一部を紹介)。

 諸改革の「最後のかなめ」としての司法改革

 第一に目につくのは、今回の司法制度改革が「この国のかたち」(国家構造)に関係するものだと宣言していることです。これは今回の改革が司法という単独の制度改革ではなく、ひろく国家改造の一環であることが宣言されているのです。このことを具体化したのが「この国のかたちの再構築に関わる一連の諸改革の『最後のかなめ』である」という言葉です。ちなみに、一連の諸改革とは「政治改革、行政改革、地方分権推進、規制緩和等の経済構造改革等の諸々の改革」をさしています。ここはとくに注意を要します。職場では、公務員制度改革と司法制度改革を切り離して、それぞれ個別の改革論議と考えているむきもありますが、実際は有機的に関連している課題だといえます。

 事前チェック型社会から事後チェック型社会へ

 第二に「公共空間」という言葉や「法の支配」という言葉が重要な役割をはたしていることがあげられます。新自由主義経済体制を受け入れている国の制度的な特徴はなんでしょうか。それは行政指導や公共的な規制を極力さけ「完全な自由競争」を実現しようとするところにあります。多くの場合、こうした自由競争が社会的な「貧富の格差の拡大」と社会的紛争の急増をもたらすことは、歴史的な経験でも明らかです。ちなみに公的規制の多くはこうした紛争等諸問題の緩和のために導入されたといってよいでしょう。しかし、新自由主義経済では、この格差を容認し、拡大することが社会的な競争力を強化するという考えに立っています。問題となるのは、社会的紛争が激化した場合の対処ですが、ここでは司法が中心的な役割をはたしていくことになります。「事前チェック型社会から事後チェック型社会へ」という言葉はこの点を端的にあらわしています。そのため司法を「社会の静脈」と位置づけ、社会的紛争の最後の駆け込み場所(「公共空間」)として位置づけています。ここで期待されている司法の役割は「法の支配」の貫徹にありますが、この場合、法は「法(=秩序)」と位置づけられていますので、基本的人権の擁護を含めた広義の意味での「法の支配」とは役割が異なります。

 「自己責任の原則」を司法制度でも重視へ

 最後に、国民の役割が「統治客体から統治主体へ」とされていることを指摘したいと思います。統治主体という言葉は、本来の意味では国民の主権の重要な概念ですが、ここではむしろ「自己責任の問題」として否定的に考えられていることに焦点をあててみます。新自由主義経済の下では、一人ひとりの国民の保護がむしろ社会的競争を緩和する要素として考えられていますので、公共的保護や社会保障はできるだけ切り下げられるという政策が重視されます。そうした社会の中では、個々の国民は自分で自分の生存を支えるために競争しなければなりませんので、「自己責任の原則」が基本とされていくわけです。そこで司法制度においてもこの「自己責任の原則」が重視されるのです。

表1=「一連の諸改革」のめざす社会
表2=司法制度改革の基本的な考え方
 新自由主義の本場のアメリカ人であるビル・トッテン氏の書き方はもっとわかりやすい。

温故知新 -ビル・トッテン- (日本海新聞)
http://www.nnn.co.jp/rondan/tisin/051013.html

民営化、自己責任の社会
2005/10/13の紙面より

 先週米国のハリケーンについて書いたが、書き足りないのでもう一度今週も取り上げる。今回の災害が明らかにしたことの一つは、米国が実はどの先進国よりも貧困が多いという事実である。

先進国一の貧困率

 米国勢調査局の発表によると二〇〇四年度の米国の貧困率は12・7%、人数にすると三千七百万人が貧困線以下で暮らす。ブッシュ政権成立の年から上昇して四年間で貧困者数は約五百九十万人も増えた。米国民の医療保険未加入率は15・7%で約四千五百八十万人が医療保険に入っていない。これも前年比八十万人増である。州別では今回ハリケーンの被害をうけたミシシッピやルイジアナはワースト10にランクされている。そして貧困者が暮らす地区が壊滅的な被害を受け、少数の黒人が行う略奪事件を、企業がスポンサーとなっている米国メディアは記事として大きく取り上げた。
 …(略)…

弱者に金を使うな

 今回の米国のハリケーンで露呈したことは、国を動かしている一部の富裕層が政治家をも動かして自分たちの利益になるように奉仕させているということである。一般の国民を支援するためには税金を使わせたくない、だから社会投資はなるべく少なくする。富裕層は金があるから国に頼らなくても自分を守ることができるから公共交通機関のような社会インフラなど米国には不要なのだ。

 それだけではない。自分の子弟は私立に行かせるので公立学校への予算削減を主張する。高額な民間の保険に入れる自分たちには国が提供するメディケアなどの国民健康保険もなくしたい。民間のガードマンを雇えるから警察さえ少なくしようとしているのが米国である。

 こうしてすべてを民営化、私有化して社会投資を少なくしたい。社会的弱者に使われるお金はなるべく少なくしたい。避難命令を出したのだから、被災したのは自己責任だというのが米国政府の基本態度である。おそらく今ブッシュ政権がもくろんでいるのは被災地の復興作業でどうやって企業をもうけさせるかであろう。小さい政府、民営化、自己責任の社会。それが日本があがめる米国である。(アシスト代表取締役)
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http://www.nnn.co.jp/rondan/tisin/051103.html

大衆が手を取り合い変化を
2005/11/03の紙面より

 …(略)…

 特権階級側の政策

 現在日本で起きていることを見て分かるのは、政府が一般国民ではなく権力と資金力を持つ一部の特権階級のビジネスのための政策をとっているということだ。これが顕著なのは米国の歴史である。一八〇〇年代の労使紛争から北米自由貿易協定まで、政府がどちらの支援を行ったかといえば常に特権階級側であり、公正な賃金、八時間労働、子供労働法などは思慮深い政府が国民のために導入したのではなく、長い労使紛争の後に労働者に与えられた権利だった。しかしテレビや大新聞は日経、ニューヨークダウの株価といったエリート側の視点からのニュースは流しても、経営者と一般労働者の賃金の差がどれほど開いているか、ホームレスの統計や失業手当を失った人の数は報道しない。ニュースの多くは殺人事件や暴力犯罪で、それ以上に絶え間なくお笑いやドラマの洪水で物事を深刻に考えるのがばからしいことであるかのように人々の心をマヒさせていく。
 …(略)…
 先の衆院総選挙で、この「新自由主義」を小泉構造改革ととらえ、それを対立軸として選挙を戦ったのが新党大地の鈴木宗男氏であった。
 ジャーナリストの魚住昭氏がその鈴木宗男氏の選挙を『月刊現代』11月号でレポートしているが、新党大地の本部に取材にきた地元記者が「ここだけ全国と違う風が吹いている」とつぶやいたという。
 魚住昭氏も引用しているが、鈴木宗男氏の考え方の主旨を新党大地のホームページから一部紹介しよう。

新党大地の基本的考え 平成17年8月29日
http://www.muneo.gr.jp/kangaekata.html

 小泉純一郎総理は、郵政民営化を踏み絵にして、今回の総選挙を国民投票になぞらえている。今回の総選挙が日本の進路を決める国民投票になりうるということで、私も小泉総理と同じ認識だ。但し、私の理解は、争点は郵政民営化の是非ではなく、日本が新自由主義政策を継続するか否かだ。
 新自由主義とは「強い者を優遇してもっともっと強くしそれで日本経済を活性化させる」という考え方だ。社会的弱者や首都圏以外は切り捨てられる。外国のハゲタカ資本とでも手を握って分捕り合戦に励む強者が新自由主義では英雄だ。ニッポン放送・ライブドア騒動で国民にもその姿が見えたと思う。

 今回自民党がホリエモン(堀江貴文ライブドア社長)に出馬を要請し、堀江氏も無所属で出馬することになったが、これは小泉総理と竹中平蔵大臣が進めている新自由主義政策の必然的帰結だ。

 私は新自由主義政策には反対だ。一部の者だけが強くなる政策では、結局、日本全体の国力が弱体化すると考えるからだ。公平配分を担保して、日本国民であるならば、親の経済力や地位、生まれ育った地域に関係なく平等なチャンスを与えるのが日本の伝統にも即しているし、経済力を強化すると考える。

 外国の例を見ても、アメリカのブッシュ政権は小泉・竹中流の新自由主義だが、ドイツ、フランスなどのヨーロッパは異なる。ブレア首相のイギリスも公平配分に十分配慮している。

 特に日本の子供たちのことを考えなくてはならない。小泉・竹中流の新自由主義をあと十年続けると、階層分化が進んでしまい、親の所属する階層によって子供たちの可能性が制約されてしまう。これはよくない。
 選挙結果は次のとおりで、たしかに北海道には風が吹いた。

 [北海道ブロック得票数]
  民主党 1,090,727票
  自民党  940,705票
  新党大地 433,938票
  公明党  368,552票
  新党日本 294,952票
  国民新党 244,933票
  共産党  241,371票
  社民党  152,646票


 けれど北海道だけではなく、鈴木宗男氏の新党大地のように、他の選挙区でも、今日本で進んでいる新自由主義社会化、それは富裕層のための社会であり、犠牲を強いられる社会であり、固定化される階層化社会であり、憲法25条(生存権、国の生存権保障義務)すら脅かす社会だが、それを選択するのかどうかをきちんと説明した上で問うた選挙であったのなら、選挙結果は自ずと変わっていたのではないかと思う。

 憲法25条については、自民党の改憲論だけではなく、本来は権力をチェックすべき役割を担った新聞社である読売新聞が、2004年の改憲試案で現行25条に新たに3項を追加し、社会保障を国民の自己責任にして国の責任を軽減しようとしているし、日経新聞は、福祉バラマキ政治の梃子になっている25条の生存権規定などは構造改革のためには要らない、廃止すべしとも言っているようだ。この日経新聞は社長が内閣府の『社会保障の在り方に関する懇談会』に出席し、医療保険の「免責制度」まで提案している。
 医療保険の「免責制度」とは、一定の金額までは全額患者が支払うというもので、たとえば免責金額が1500円の場合、診療請求金額が保険無しで計算して1500円を超えるときは1500円までを患者は保険に入っていても支払わなければならないという制度だ。3割負担の医療保険の場合、たとえば診療の請求が保険無しで3000円であれば、3割の負担だから 3000円×0.3で 本来なら患者の支払う金額は900円であるが、この免責制度が導入されると1500円を(免責金額が1500円のとき)支払わなければならなくなる。保険無しで1200円のときは、これも3割負担で1200円×0.3=360円にはならず、1200円全額請求される。
 たかが1500円と言えるような人はいいが、困る人は多いだろう。とくに持病をかかえていて病院通いを続けている人などは場合によっては相当な負担増になるのではないだろうか。
 ちなみに、読売新聞は記者職の平均年収が30代半ばで1000万円、日経新聞は1100万円だ(毎日新聞750万円、朝日新聞1150万円)。
 大新聞やその系列のテレビ(こちらの年収は全上場会社の平均年収ランキング─こちらは30代半ばではなく全ての年代の平均─でフジが1567万円でトップ、2位が朝日放送の1525万円、3位日本テレビ1462万円、4位TBS1443万円と上位4位までを独占し、8位にテレビ朝日が1357万円で入っている)が「小泉構造改革」にまっとうな批判をくわえないばかりか、広告塔のようなことまでやっているのは、財界(メディアにとってはスポンサーだ。昨今外資の大スポンサーも随分と増えていることだろう)からの圧力もあるのかもしれないが、他方で、新自由主義社会化で自分らは困らないという私的な理由もあるのかもしれないと思ってしまう。

 参考:
 日本でもテレビや冷蔵庫を持てない「年収180万円」社員が激増する (森永卓郎)
 http://blog.goo.ne.jp/c-flows/e/6f1a34ae52720f54f1add7e1b6c15119

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