雑木帖

 ─ メディアウオッチ他 ─

”duck the issue(問題の先送り)”

2005-12-31 03:32:43 | 政治/社会
『週刊東洋経済』2005.11.19号の「経済ニュースを読む英語」に、次のような『ヨーロッパ・ウォールストリート・ジャーナル』(10月28日付)の記事の紹介があった。
 フランス元文化相のジャック・ラング氏が英国主催のEUサミットについて、トニー・ブレア英首相とゴードン・ブラウン英財務相に語りかけた。
「ゴードンよ、トニーよ、なぜハンプトン・コートのサミットを、欧州の社会モデルに献呈しようというのか。その社会モデルが問題なのではない。欧州の社会モデル、より具体的には、正義、人間の解放(emancipation)、人権の尊厳(sanctity)といった価直観を基盤とする社会モデルには、疑念を差し挟む余地などありようがない(cannot be placed in doubt)。これらの価値観や目標は共有のもので、フランス国民が喜んでこれを返上するなどとは信じられない。いや、欧州は価値観を変えてはならない。しかし、これらの価値観を守るために、そのやり方を変えなければならないということなのだ」
 また、ブレア首相が、social Europe(社会主義的な欧州)と呼ばれる欧州大陸に、もっと競争原理の文化を根付かせる合意を取り付けようとしたのに対して、ドイツの、これが最後のひのき舞台となったシュレーダー首相が反撃をした。
欧州はnever-ending liberalization(終わりのない自由化)かretention of basic European values(欧州の基本的価直観の維持)かを選択する岐路に立っていると問いかけ、Anglo-Saxon capitalismを牽制…
 日本でも同じような議論が起こって然るべき状況だと僕は思うのだが、それがないのがとても不思議に思えた。小泉政権になって、アメリカ型新自由主義的な社会に日本が猛烈な勢いで移行しつつあることに注意を呼びかけている森永卓郎氏も、最近発言の機会が減っていると書いていた。このように発言の機会が大きく減ることは、2001年に小泉首相が誕生した時にもあり、その時は小泉内閣を批判する記事を載せてくれたのは『アサヒ芸能』と『東スポ』くらいだったという。
 この『週刊東洋経済』のページには、センテンスの紹介コーナーもあった。そこに「duck the issue(問題の先送り)」という一語があった。僕はそれを見たとき、はたと思いいたった。結局これは日本の支配階層が得意とする「問題の先送り」なのだと。
 数年後、様々な問題が噴出したときになって日本ではnever-ending liberalization(終わりのない自由化)が議題にのぼるのだろう。
 いや、もしかしたらそのときになってもそれは議題にすらならないのだろうか。

 僕は国民的な議論がおこなわれ、その結果アメリカ型の新自由主義社会を選択したというのであれば、それはそれでいたしかたないと思う。けれど、問題は、そういう議論すらおこなわれず、郵政民営化だの公務員削減だのという言葉で、ごまかしごまかし既成事実化されていくことにある。

「小泉構造改革をどう生きるか」 森永卓郎
http://nikkeibp.jp/sj2005/column/o/index.html

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2 コメント

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ラング氏の発言 (MASA)
2006-01-05 22:17:10
http://www.euractiv.com/Article?tcmuri=tcm:29-146651-16&type=Analysis



関連英文記事を見つけました。
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世界的な岐路 (c-flows@管理人)
2006-01-06 20:36:04
ありがとうございます。

ドイツの新首相に就任したキリスト教民主同盟のメルケル党首は、2003年、イラク攻撃でアメリカと対立していたシュレーダー首相について、「シュレーダー氏はすべてのドイツ国民の声を代表しているわけではない」とワイントン・ポストに寄稿したように、対米協調派で、今後その線に沿って舵取りをする模様です。さらに就任直後には、「ヨーロッパは従来の社会保障を減らし、”痛みを伴う改革”に耐えなければならない」ともスピーチしているそうで、僕には「第二のサッチャー」のような気がしています(バックにいる支援者が誰なのか知りたいところです)。

フランスもEU憲法の批准案が国民投票で拒否され、アラブ・イスラム系住民の暴動がそれに追い討ちをかけるように勃発し、欧米における影響力を弱めつつあります。

世界は大きな岐路にあるのかもしれません。

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