雑木帖

 ─ メディアウオッチ他 ─

「共謀罪」 雑誌ジャーナリズムの沈黙

2006-05-07 13:05:04 | メディア
 ベンジャミン・フルフォード氏は情報媒体として信用ができる順を、「週刊誌、夕刊紙、右翼の街宣車、新聞、NHK」などとしている。右翼の街宣車に関しては判断をするほどの知識がないので何とも言えないけれど、あとの順位に関しては順当であるように思う。
 しかし、今回の「共謀罪」に関してはそれらはあてはまらず例外であるようだ。
 6日発行の『週刊ポスト』『週刊現代』にも「共謀罪」の文字は無い。一番期待が持てると思われたこの二誌は、連休前の号にも「共謀罪」の文字は無かった。この「共謀罪」の問題に関してはこの二誌は新聞・テレビよりひどいということになる。
 8日発行の『サンデー毎日』には、”共謀罪が招く「窒息社会」──平成の治安維持法”という記事が載る。『サンデー毎日』は連休前にも記事を一つ載せていたが、言うまでもなくこの雑誌は新聞社の発行メディアである。

『週刊新潮』や『週刊文春』を含めたその他の雑誌も、全て完璧なまでに沈黙をしているようだ。財界などからの圧力が余程強いのかもしれない。
 雑誌ジャーナリズムにもちょっと落胆である。
 筑紫哲也氏が以前、悪い意味でであるが、「政治家のほうはずうと変わっていないが、メディアのほうが変わってきている」と言ったとか。

 以下に、権力の”統制”の巧みさに関するあまり知られていないものなどを参考までにあげておきます。

 出版界における言論の「寡占」 佐々木敏

●出版界における言論の「寡占」
戦前、すくなくとも1940年以前の日本には、こんにちあるような全国的な書籍流通網や取次会社はなかったため、出版産業はあまり儲からなかった。が、作家やその言論は多様性に富み、地域ごとのバラエティも豊かだった(書籍出版は、初版発行部数が数百部でも刊行可能なスモール・ビジネスだった)。
しかし、このような態勢は、政府が戦争遂行のために世論を誘導していくうえでは不利だった。警察当局は「やれ、北海道に地元だけで有名なプロレタリア文学者がいた」といっては取り締まりに走り、「それ、九州に反戦詩人が出た」と聞けば検閲に赴くというような、まさに東奔西走の苦労を強いられた。

そこで、当局が考えたのは、まず思想の左右を問わず新人の著者がデビューしにくい制度を作り、それでもなお左翼的、反戦的な言論を唱える者が出てくればそれだけを取り締まろう、という言論統制の「効率化」であった。具体的な施策としては、史上初の全国的取次会社である日本書籍配給株式会社(略して「日配」。こんにちの日販の前身)を作った。これにより出版各社は、ひとたびある程度売れそうな本を出せば全国津々浦々で一律一斉に販売してもらえる、というメリットを得た。

が、全国一斉に売るとなると、初版部数は数千部は必要で、となると全国的に名の通った有名な書き手以外は売り出すのが難しい。この結果、検閲は言わば「二段階選抜」となり、一次選考の「足切り」は各出版社の役目となり、彼らは自分の手で無名な著者を排除しなければならなくなった。

こうして、新人の書き手にとって「デビューの敷居」はにわかに高くなった。初版数百部で「とりあえず小規模にデビューさせてみて、読者の反応を見る」といったことはできなくなった。全国向けに初版を数千部刷る以上、無名の新人ではリスクが大きすぎる、という理屈である。

戦時の言論統制手段として生まれた全国的取次会社を核とするこの書籍流通網は、戦後、占領軍の民主化政策で解体された…………と思ったら大間違いである。これはほとんど無傷で温存されたのだ(取次会社制度は、戦前は日配の1社独占体制だったが、戦後は日販、トーハンなど数社が並立する体制に変わったものの、それは寡占には違いなく、「全国一律一斉」の販売網もそのまま残された)。理由は、戦後の日本から(実害のある)反米世論を葬るのに有効だったからである。

 『日本の黒い霧』 松本清張著

 同様なことは、ロバート・B・テクスターの[日本における失敗]の中にも出ている。
 「1946年、私が働いていた県に接続する県のCICの隊長は私に、彼が最も重要な任務を委任している彼の最も[貴重]な部下は、職業的テロリストの団体として世界的に有名な日本の秘密警察の元高級警察官だった、と云った。このCIC分隊の一隊員は、この元秘密警察官は県下に起る一切のことを知っている、と云って驚嘆していた。分隊長はこの有能な[日本人部下]の助力を得て、穏健なニューディール派占領軍職員の日本人との接触をさえ細心に見守っていた」
 GSが「追放」という武器を持っているのに対して、G2はCICという「諜報」武器を持って対抗した。従って、CICが下部傭員に情報活動に有能な元特高警察官を傭い入れたことは不思議ではない。ここにおいて、占領後最初に追放された特高組織がいつの間にかG2の下に付いて再組織されたのであった。

 『夜明け前の朝日──マスコミの堕落とジャーナリズム精神の現在』 藤原肇著

 朝日・講談社巻き込む「大激論」の欠落した部分

 …(略)…

L そうですか。それでは落合はともかく松本清張ですが、私は『神々の乱心』を非常に興味深く読んだので、あれについてのコメントはいかがですか。

F 私も先生と同じでとても興味深く読みました。
 冒頭にある大連アヘン密輸事件の密輸犯が、三島由紀夫の祖父の平岡錠太郎であり、吉薗周蔵という実在の人物を二人に分け、吉屋謙介と荻園泰之という主人公にして、筋を展開する清張の手腕はなかなかのものです。しかし、落合莞爾の『陸軍特務・吉薗周蔵の手記』を読んでいるので、清張が小説の中では触れるに至らない、アヘン売人の中に若き日の牧口常三郎(創価学会初代会長)がいたり、大杉栄が後藤新平のスパイだった話との関連で、ちょっと物足りないという感じがします。

L えっ、大杉栄が後藤新平のスパイだったのですか。そんな話は今まで一度も聞いたことがないが、アナキストの大杉は後藤内相にとって、最も警戒すべき要注意人物だったはずです。それなのに、大杉が手下だったというのは奇想天外で、私にはとても信じることができないが、そんな奇妙なことがあり得るでしょうか。

F だから、秘められた歴史の真相は興味深いのです。でも、この件に関しては『朝日と読売の火ダルマ事件』の中に、ちょっとほのめかして書いておいたのですが、先生はそれにお気づきにならなかったのですか。

 秘められた歴史のジグソーパズル

L 後藤新平のことは正力松太郎の話の中に、だいぶ出て来たのは記憶しておりますが、大杉が後藤のスパイだということに関しては、恥ずかしいが記憶に残っておりません。

F 実は、大杉と同棲していた伊藤野枝がスパイで、彼女の祖父は玄洋社の頭山満と親しく、後藤の親分だった児玉源太郎に私淑した、杉山茂丸と繋がりがあったのです。

L そう言えば夢野久作の親父の杉山茂丸は、明治から昭和にかけて政界の巨大黒幕だが、彼は『児玉大将伝』という非常に痛快な、児玉源太郎の伝記を書いていましたな。

F 児玉台湾総督の下で民政長官だったのが、後に内相に就任した後藤新平だったし、彼が名古屋時代に作った娘の静子の息子が、メキシコに渡った左翼演劇家の佐野碩です。静子が結婚した医者の佐野彪太の兄が佐野学で、野坂参三とは遠戚関係で繋がっており、野坂の身内は神戸のモロゾフ製菓の筋です。その周辺には警保局長や特高課長がいて、すべてが後藤に繋がっていることから、後藤が共産党を作ったと考えられるのです。

L そんなバカな…。どうして内務大臣が共産党など作りますか。

F 共産党を作ってそこにシンパを集めれば、弾圧する時に手間があまりかからないし、世界的なスケールで展望して見るならば、情報収集をする上で非常に便利です。後藤新平は日本人離れした大型の政治家だったから、ソ連の外交官ヨッフェと親交を結び、英国流の帝国主義を手本に使いながら、日本の政治を改革しようと試みています。

L 確かに満鉄の初代総裁として釆配を揮い、関東大震災後の東京市長としても活躍して、日本の政治家の水準を越えていた人です。
 それにしても、あなたと喋って歴史の話をしていると、松本清張が文春に連載したイラン革命の話で、冒頭に出て来るイラン系ユダヤ人商人が、米国から祖国を遠望するのを思い出して、実に奇妙な感じがしてなりませんな。

 『無謀な挑戦』 藤原肇著

 歴史の教訓は、警察が情報を握ることによって、支配権力にとって鉄壁といえる堅固な立場を確立していくし、警察が国家権力を握ったときに強烈な全体主義国家が成立することを教えている。


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