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大川小学校 津波訴訟 に思うこと

2016-10-26 23:49:29 | 日記
本日、注目の大川小学校津波訴訟の判決がありました。
判決では、津波は予見できたと指摘、学校側の責任を認め、市と県に賠償を認める判決が下されました。



この裁判が始まった当初、裁判を起こした原告側に対する批判のような記事も目にしたことがあります。未曾有の大災害で起きたことに対して裁判なんて、という内容だったと思います。ですが、ご遺族はなぜ子供たちは死ななければならなかったのか、それを一番知りたい、という気持ちが強いというようなことも聞きました。

そして今日の判決です。
ご遺族の原告側の勝訴でしたが、たとえ勝訴であっても、ご遺族の気持ちは晴れないでしょう。
中には、複数のお子さんを亡くされた方もおり、そのお気持ちはいかばかりか、と考えてしまいます。

安全なはずの学校。大川小学校も避難場所に指定されていました。
そんなところで、なぜ、こんな多数の犠牲者を出してしまったのか。

しかし、この大災害でも、児童生徒全員が助かった学校もあります。
それは釜石の海岸近くにある小学校、中学校です。学校の立地が海岸近くだったため、日頃から津波に対する訓練を行っていたということです。このため、震災当日も、校舎敷地内にいた生徒たちは、誰の指示を受けるのではなく、自主的に校庭にに集合、そして以前から避難場所として指定されていた場所に向かって走って行ったそうです。
が、その避難所の裏山が崩れていることを見た生徒たちは、ここも危ないからもっと高台へ、と先生たちを促しさらに避難し、全員が助かったということです。それでも、津波はすぐそばにまで来ていたようです。
大川小学校は海岸から4kmも離れているため、まさか津波がここまで、ということもあり、このような訓練は行なっていなかったのかもしれません。
それでも、地震後40分以上もただ校庭にとどまっていた、ということが最も悔やまれる点ではないでしょうか。
なぜ、その間に避難するという考えに至らなかったのか。。

人間というものは、今までに経験してこともない災害などにあうと、考える力をなくしてしまうような傾向にあるということです。
多くの死者を出してしまった海岸側の住宅地では、地震直後は物音ひとつしないようにとっても静かだったそうです。叫び声も騒ぐ声も聞こえなかったとか。また、地震があったからどこかへ避難しようと声を掛け合うようなこともなかったということです。
そのため、多くの犠牲者を出してしまいました。

大川小学校でも、あまりに大きな地震に気をとられ、次に何をしたら良いのか、状況の判断を全く考えつかなかったのかもしれません。
中には、ここは危ないから逃げよう、と進言した児童もいたということですが、それが生かされることはありませんでした。
釜石の学校のように日頃から訓練をしていたら、別の結果になっていたかもしれません。

学校は安全、と思われているところ。
その場所に応じた日頃の防災訓練も必要ではないでしょうか。
若い子供たちがなくなるのは忍びないです。

今回の判決は、教育現場にも大きな影響を与えた判決だと思います。


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